如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

完全ということ

2007-07-20 21:18:39 | サイ・フォーラムへの書込み
完全ということ 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年11月30日

>サイババは、現れます、ただし自分がすべてを創り出したにもかかわらず、カルマによる苦しみなどは、取り除きません、この答えを出してくれる人

答えになっているかどうかわかりませんが、カルキの問答にこんなのがあります。
Q.もし神が完全であり、世界が不完全だとすると、創造主もその責任を取るべきではないでしょうか? どうなんですか?
A.世界は完全です。ただ、人間の理解がまちがっているだけです。

かなり危険な解答です。怒り出す人も大勢いるでしょう。
仮にこの世界が「完全」だとすると、「完全」な神の、その「完全」というのはどういうことなのか?このあたりがポイントなのかもしれません。

この件についてババが、なんと言っているか知りたいですね。


完全ということ(つづき) 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年12月 1日

ババの御言葉にこんなのがありました。
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人間が天地万物を神と見るならば、喜びや悲しみという二重の経験を与える力は消え去ります。その時、人は真理を知り、泰平の心を知るのです。神はひとつ、ただひとつです。「ただひとつ。ふたつ目はない。それがブラフマンである」 それは世界に内在するすべてを超越した原理です。人間は神を知るために全力を尽くさなければなりません。神こそ真理なのです。
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さて、神=完全として、この文章の「神」を「完全」に置き換えると、
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人間が天地万物を「完全」と見るならば、喜びや悲しみという二重の経験を与える力は消え去ります。その時、人は真理を知り、泰平の心を知るのです。「完全」はひとつ、ただひとつです。「ただひとつ。ふたつ目はない。それが「完全」である」 それは世界に内在するすべてを超越した原理です。人間は「完全」を知るために全力を尽くさなければなりません。「完全」こそ真理なのです。
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まあ、言葉の遊びといえばそれまでですが、何か見えてくるものがあるかなあと思いまして・・・

帰依しているという気持ち

2007-07-20 21:03:02 | サイ・フォーラムへの書込み
帰依しているという気持ちを捨てる 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年11月20日

10月10日のダラサ祭の講話(2回目)はすばらしいものですが、その中に以下の文章があります。
ナインさんのお話に出てくる本の内容はこんな感じでしょうか。
ちなみに、以下の文章の「神」・「神さま」を「ババ」に置き換えて読んでみることをおすすめします。
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 肉体の目に頼ってはいけません。神の目を養いなさい。心を神の光に向けなさい。その光はすべての人の中にあります。同じことがシャンカラの有名な歌『バジャ・ゴーヴィンダム』でも説かれています。神を思い、神の栄光を歌いなさい。ほんとうは、神はみなさんとかけ離れたものではありません。みなさん自身が神です。みなさんとわたしは、ひとつです。神さまは自分とは違ったものであり、自分は神さまに帰依しているという気持ちを捨てなさい。



帰依しているという気持ちを捨てないゾ! 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年11月23日

前出したダラサ祭の講話(2回目)の「自分は神さまに帰依しているという気持ちを捨てなさい」が、どうも気になってしかたがないのです。
それで考えました。

「帰依しているという気持ちを捨てなさい」というのは、「それぞれの立場でババのように考え、ババのように行動しなさい。」ということなのでしょう。
しかし、これではまだ不十分です。
さらに、「ババのように」と意識しなくとも自然にそうならなければ,「帰依しているという気持ち」は捨てられないのです。

そうこういろいろ考えると結局、この言葉は究極の言葉であって、私のような市井の徒には歯が立たないということがわかりました。

結論として、私はこれからもとうぶんバクティーとサンニヤーサでいくことになりました。
ただし、努力目標として「スワミだったらどう考えるか」を掲げておくことにします