如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

自覚

2007-07-21 22:27:09 | サイ・フォーラムへの書込み
自覚 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年12月10日

スワミは普通の人です。
ナザレのイエスも、ゴータマさんも、空海さんも、ダビンチも、ベートーベンも、マツモトチズオもみんな普通の人です。
そんなの当たり前です。同じ人類なのですから。
ところが、スワミはなぜか「自身が神の化身であること」を明確に自覚している。たぶんそこのところが他の人と非常に違うのではないでしょうか。(イエスはその点スワミと似ているかもしれません)

人は、祈る動物です。理由は知りませんがそういう動物らしいのです。たぶん無神論者でも我知らず祈っている時があるのではないでしょうか。
そして、かつて私の祈りに答えてやって来てくれたのは、スワミでした。もしスワミにその「神の化身としての明確な自覚」がなければ、やっては来なかったでしょう。

というわけで、
すでに高齢のスワミが、たとえば将来老いのためにあの鋭いまなざしを失い、ビヴティーを指の間からポトポト落としながらダルシャンの会場をヨボヨボと歩いたとしても、私はその足下にひれ伏したいと思います。


ファン 投稿者:だるまばらむ  投稿日:2002年12月13日

大庭さんの「個人崇拝」を読ませていただいて、私がはじめてホワイトフィールドでダルシャンを受けたときのことを思い出しました。
周囲の人がババに酔いしれるように手を合わせるのを見ながら、場違いな感じがして「人の上に人をつくらず」とか思い浮かんだりして、少し斜めの視線でババを見ていました。この時の写真がなぜかあります。スワミと私がいっしょに写った写真は残念ながらその時の2枚しか持っていません。
しかし、郷に入っては郷に従えと、手を合わせたりしてババに集中してみると、これがなかなか気分の良いものなのですね。これって一種のマインドコントロール?
ダルシャンの前にたっふり待たせるのも、かなりマインドコントロールになるでしょう。
まあ、そういったことを考えながらでも、結局早起きして、あるいは炎天下に並んででも出てしまうだけの魅力がダルシャンにはありました。

まあ、信者の末席にも並べないような私は、スワミの「ファン」なのだと思います。その証拠に、ダルシャンの時スワミに手を拭いてもらったハンカチを数枚大切に持ってます。これってエルビスが汗を拭いたタオルを大切にしているオバサンと同じことです。まったくそのとおりなのです!!!

ファンを個人崇拝者というなら、たぶんその通りなのでしょうけれど、大庭さんの言うほど危険なことではないのでは、と思いました。(投影という問題はあるわけですが・・・これはいずれまたの機会に)

信仰のチェックの件ですが、逆に、なぜ大庭さんがサイババを信仰するようになったのか、この点がはっきりすれば、大庭さんにとってのチェックポイントが見えてくるのではないかと、思ったりします。
信仰というのは、個人的なもの、主観的なもの、責任はすべて個人個人で取ってゆくべきものなのだと思います。
信仰して地獄に堕ちるならそれも結構・・・ってくらいの覚悟があってもいいのかもしれません。(言いすぎだとは思いますが、勢いなもので、ご容赦下さい)

そういえば、大庭さんが昔の名前の頃に、スワミが寂滅されたときに信者の方が後を追うのではないかと心配されていましたが、確かにそんなことがあってはいけないわけです。

本当のところ、人間の意識というものは、過去現在未来にわたって影響し合っているものなので、ある時点で肉体が終わったからといって、だからスワミがいなくなってしまったということではないのです。
時間に関する人間の意識というものは、(たぶん)生きるという目的のために、ずいぶん狭められていますから、そのような誤解をされるのでしょう。
実際、たとえば、今の時点でさえも、もし私が本当に望むなら((ここのところが一番難しいのですが!))ナザレのイエスと直に心を通わすことができるはずなのです。
まあ、そんなわけですから、現在のスワミと心が通じ合っている方は、全く問題ないわけです。もちろん信者の方(元信者も含む!)は少なくとも間違いなくスワミと心が通じていますから大丈夫です。
 サイラム

**コメント** 
大庭さんは、このフォーラムの管理者です。ハンドルネームを大庭に変え、この時期サイババ批判を集中して行っています。
「この時の写真」は、このプログの2006年3月19日に載せてあります。


○×△◇ さまへ 投稿者:ヴァシタ  投稿日:2002年12月17日

君が、サイババの信者かどうか知らないのですが、
もし君が信者だとすると、信者を見てその宗教の主宰者(教祖)の人格を判断するということもあるので・・・

君みたいな超肯定派が、何かちょっとしたきっかけで超否定派に変わる事って、よくあるのです。
自分の中にある否定的な考えを打ち消すために、肯定を叫び続けるのだが・・・
これパウロの回心の逆パターン。

**コメント** 
私もハンドルネームを変えて、書込みしてます。