アートマン 投稿者:だるまばらむ 投稿日:2003年 1月12日
アートマンの話がしばらく続いていましたので、某HPから、COPYしてきました。
少し長文ですが、わかりやすいかなと思いました。
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「非らず。非らず」 『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』 4.5.6
彼はいった。
ああ、実に良人に対する愛のために良人がいとしいのではない。
アートマンに対する愛のために良人はいとしいのだ。
ああ、実に妻に対する愛のために妻がいとしいのではない。
アートマンに対する愛のために妻はいとしいのだ。
(中略)
ああ、実に生き物に対する愛のために生き物がいとしいのではない。
アートマンに対する愛のために生き物はいとしいのだ。
ああ、実に万物に対する愛のために万物がいとしいのではない。
アートマンに対する愛のために万物はいとしいのだ。
実に、アートマンこそ見るべきもの、聞くべきもの、考えるべきもの、認識すべきものなのだ。
マイトレーイーよ。ああ、アートマンさえ見られ聞かれ考えられ認識されたなら、万物が知られるのだ。
いわば二元対立というものがあるならば、
その場合、一方が他方を見る。その場合、一方が他方を嗅ぐ。
その場合、一方が他方を味わう。その場合、一方が他方に語る。
その場合、一方が他方を聞く。その場合、一方が他方を考える。
その場合、一方が他方に触れる。その場合、一方が他方を認識する。
しかし、人にとってすべてがアートマンそのものとなったとき、
彼は何によって何を見るのであろうか。彼は何によって何を嗅ぐのであろうか。
彼は何によって何を味わうのであろうか。彼は何によって何を語るのであろうか。
彼は何によって何を聞くのであろうか。彼は何によって何を考えるのであろうか。
彼は何によって何を触れるのであろうか。彼は何によって何を認識するのであろうか。
この世の万物がそれによって認識するその当の本体を、人は何によって認識できるのか。
この『非らず。非らず』(neti neti) という(ことばでのみ表される)アートマンは
捉えることができない。捉えられないから。
壊れることがない。壊されないから。
こだわりがない。こだわらないから。
つながれず、動揺せず、損なわれない。
ああ、認識の主体を何によって認識することができようか。
これで、マイトレーイーよ。お前は教えを受けた。
ああ、実に不死の本質とはこれだけのことだ、と語り終えると、
ヤージュニャヴァルキヤは、遍歴行者の生活に入った。
アートマンの話がしばらく続いていましたので、某HPから、COPYしてきました。
少し長文ですが、わかりやすいかなと思いました。
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「非らず。非らず」 『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』 4.5.6
彼はいった。
ああ、実に良人に対する愛のために良人がいとしいのではない。
アートマンに対する愛のために良人はいとしいのだ。
ああ、実に妻に対する愛のために妻がいとしいのではない。
アートマンに対する愛のために妻はいとしいのだ。
(中略)
ああ、実に生き物に対する愛のために生き物がいとしいのではない。
アートマンに対する愛のために生き物はいとしいのだ。
ああ、実に万物に対する愛のために万物がいとしいのではない。
アートマンに対する愛のために万物はいとしいのだ。
実に、アートマンこそ見るべきもの、聞くべきもの、考えるべきもの、認識すべきものなのだ。
マイトレーイーよ。ああ、アートマンさえ見られ聞かれ考えられ認識されたなら、万物が知られるのだ。
いわば二元対立というものがあるならば、
その場合、一方が他方を見る。その場合、一方が他方を嗅ぐ。
その場合、一方が他方を味わう。その場合、一方が他方に語る。
その場合、一方が他方を聞く。その場合、一方が他方を考える。
その場合、一方が他方に触れる。その場合、一方が他方を認識する。
しかし、人にとってすべてがアートマンそのものとなったとき、
彼は何によって何を見るのであろうか。彼は何によって何を嗅ぐのであろうか。
彼は何によって何を味わうのであろうか。彼は何によって何を語るのであろうか。
彼は何によって何を聞くのであろうか。彼は何によって何を考えるのであろうか。
彼は何によって何を触れるのであろうか。彼は何によって何を認識するのであろうか。
この世の万物がそれによって認識するその当の本体を、人は何によって認識できるのか。
この『非らず。非らず』(neti neti) という(ことばでのみ表される)アートマンは
捉えることができない。捉えられないから。
壊れることがない。壊されないから。
こだわりがない。こだわらないから。
つながれず、動揺せず、損なわれない。
ああ、認識の主体を何によって認識することができようか。
これで、マイトレーイーよ。お前は教えを受けた。
ああ、実に不死の本質とはこれだけのことだ、と語り終えると、
ヤージュニャヴァルキヤは、遍歴行者の生活に入った。