プレマサイババ
我々はたぶん神をつまりスワミを理解することはできないのだろうが、理解しようとする、つまり近づく努力は必要だし、ともかくスワミの雰囲気にどっぷり浸かってみる事によって、ぼんやりスワミが見えてくる事はあるらしいのである。
しかし、スワミの雰囲気は相当強い。たとえれば太陽のようなものである。あまりまともに当たっていると、疲れてしまう感じである。慣れるまでこちらで適当に加減することは必要かもしれない。
再び風邪気味である。ダルシャンに出る元気もなく、部屋でごろごろする。
朝はずいぶん冷えるようになった。ダルシャンラインに並んでいても、背中の方からジワッと冷えてくるので、ワイシャツをクルタピジャマの下に着ている。ショールを羽織っている人も多い。
アニ・クマール先生のお話を伺った。スワミが講演をする時英語で同時通訳する人である。学校の先生で生物を教えているらしい。
このクマール先生は日本人贔屓で有名なのだそうである。なぜそうなったのかは知らない。しかし、スワミが日本人をさして「おまえの日本人が来ている。」とクマール先生に言うそうだから、相当である。
彼は、それほど若いうちからスワミの傍にいたわけではなく、信者である奥さんに連れられてはじめてここに来た時も、アシュラムの外に滞在したのだという。科学的に物事を考え、しかもそれを学生に教える立場の人にとって、奇跡で有名なサイババは、少し距離を起きたい存在である。
それが、どんな理由か、今では家に帰る間もないほどスワミの傍にいるという。
こういう講演でクマール先生の話す言葉は、ほとんど全てスワミの言葉であると思う。充分にサイババを知り尽くした人が臨機応変にその言葉を引用している感じ。これでなければあのような同時通訳はできないと納得した。
彼の話の中で印象に残っているのは、『真理・真実も場所と時をわきまえて話すのでなければ、かえって悪い結果をもたらす』という事。『相手にプラスになるように話すのが正しい話し方』という事。相手のことを考えて、相手の立場に歩み寄って、相手に受け入れられる事を話さなければ、意味がないという事。
そう話すクマール先生の話も、薬を砂糖に包んだりオブラートにくるんだりしているように思われた。
たとえそれが真実であっても、それによって相手が落胆し悪い方向に進んでしまうような話をするよりも、相手を勇気づけて前向きに生きられるような言葉を使った方が良いという事だ。私には、耳の痛い話である。
建物の管理の事務所の留守番を一度してみたが、英語が分からないのでほとんど役に立たなかった。それでも、こういった仕事を引き受けてみると、はじめて分かることもある。
アシュラムの宿舎には、それぞれの部屋に建設費用を出した人がいる。その人はドナーと呼ばれ、使用について優先権を持っている。しかし、優先権と云っても一年中というわけではもちろんない。
ドナーでない一般の人は3人ないし4人一組でひと部屋を借りている。最長期間は2ヶ月だという。
また日本人に限っては、25歳に達しない人は、アシュラムに宿泊できないのだそうだ。かつて宿泊した大学生がメチャクチャをやらかして、アコモデーションがそのように制限してしまったのだそうである。日本人の25歳以下は子供扱いという事だ。どうも日本人の評判は良ろしくない。最近いろいろトラブルを起こしているだけでなく、以前から問題を持ち込んでいたらしい。
日本では宗教的な教育が全く欠如しているので、そのために、聖地に土足で上がり込むような、さらにもっとひんしゅくをかうことをしてしまう人が出てきてしまうのだろう。あるいは、こういったことが起きるのは、テレビでやっている海外取材もののバラエティ番組の悪影響かもしれない。
グループに晴海さんという30歳くらいの男性がいる。
晴海さんは事務所にいることが多いので、話す機会も多い。彼は自分のアガスティアの葉を見つけてもらったと言っていた。場所はマドラスの近くらしい。バラナシで会った人に続いてふたりめである。晴海さんが、それを当然のこととして淡々と語っているのを聞くと、本当に見つかることもあるのだと思ってしまう。見つかるべき人は見つかるのかもしれない。
ちなみに、春の旅行の時バラナシでアガスティアの葉の話しをしてくれたおじさんは、今もアシュラムに来ている。たぶんあれから一度は日本に帰っているはずであるが、またこうして、こちらに来ている。この人は現在、グループには属さずアシュラムの外に宿泊している。少し離れた安いところらしい。
そういえば、春に来たときには、スワミのアガスティアの葉が博物館に展示してあったが、今回見に行ったときには展示がなくなっていたようだ。あるいは、単に見落としたのかもしれないが、アガスティアの葉についてのトラブルが報告されて、展示を取りやめた可能性はある。
スワミの講演集を借りて読んでいる。76年の夏期講習の講演をまとめたものである。対象が大学生という事もあって、スワミはずいぶんはっきりと、学生向けの話をしている。
興味深い言葉としては「自らの神聖を忘れてしまった人間は狂った猿だ。」と云っている事。
それから、ふたり連れのあやしげな日本男児が現れた。ふたりともひげを伸ばしていて痩せた体型。少し野性的で危険な感じさえする。しかも、いかにも日本人である。旧日本軍の陸軍軍人のような、あるいは野武士のような、そんな古いタイプの日本人の雰囲気を持っている。話してみると、たいそう言葉が丁寧である。年長の方が45歳。落ち着いた話し方をする。インドのアシュラム回りをだいぶん長くしているそうである。自分の考えをしっかり表現する力を持っていて、日本のヨガ道場についても詳しい。若い方は35歳くらいだろうか。年長の師匠について歩いているという感じ。こちらも丁寧な言葉を使う。不思議なふたりである。
私は、彼らふたりを日本の土着の神様がサイババに会いに来たようにも感じた。なぜそう感じてしまうのかは分からないが、そんな感じがするのである。彼らはふたりとも白いクルタピジャマを着て、頭に白いハンドタオルを巻いているのだが、その姿が日本神話にでてくる神様のように見える。
プッタパルティーのサイババは、シルディーのサイババの生まれ変わりだという。その、次の転生の話。
現在のサイババの次のサイババは、現在のサイババが94歳?とかでこの世界を離れて、その8年後とかにバンガロールよりもさらに南の地方で生を受けるという。彼は7人?の聖人によって育てられ、『プレマサイババ』として活動する。
シルディーのサイババから、サティアそしてプレマと矢継ぎ早に転生を繰り返して、神がインドで活動する、その理由は何なのだろう。
我々はたぶん神をつまりスワミを理解することはできないのだろうが、理解しようとする、つまり近づく努力は必要だし、ともかくスワミの雰囲気にどっぷり浸かってみる事によって、ぼんやりスワミが見えてくる事はあるらしいのである。
しかし、スワミの雰囲気は相当強い。たとえれば太陽のようなものである。あまりまともに当たっていると、疲れてしまう感じである。慣れるまでこちらで適当に加減することは必要かもしれない。
再び風邪気味である。ダルシャンに出る元気もなく、部屋でごろごろする。
朝はずいぶん冷えるようになった。ダルシャンラインに並んでいても、背中の方からジワッと冷えてくるので、ワイシャツをクルタピジャマの下に着ている。ショールを羽織っている人も多い。
アニ・クマール先生のお話を伺った。スワミが講演をする時英語で同時通訳する人である。学校の先生で生物を教えているらしい。
このクマール先生は日本人贔屓で有名なのだそうである。なぜそうなったのかは知らない。しかし、スワミが日本人をさして「おまえの日本人が来ている。」とクマール先生に言うそうだから、相当である。
彼は、それほど若いうちからスワミの傍にいたわけではなく、信者である奥さんに連れられてはじめてここに来た時も、アシュラムの外に滞在したのだという。科学的に物事を考え、しかもそれを学生に教える立場の人にとって、奇跡で有名なサイババは、少し距離を起きたい存在である。
それが、どんな理由か、今では家に帰る間もないほどスワミの傍にいるという。
こういう講演でクマール先生の話す言葉は、ほとんど全てスワミの言葉であると思う。充分にサイババを知り尽くした人が臨機応変にその言葉を引用している感じ。これでなければあのような同時通訳はできないと納得した。
彼の話の中で印象に残っているのは、『真理・真実も場所と時をわきまえて話すのでなければ、かえって悪い結果をもたらす』という事。『相手にプラスになるように話すのが正しい話し方』という事。相手のことを考えて、相手の立場に歩み寄って、相手に受け入れられる事を話さなければ、意味がないという事。
そう話すクマール先生の話も、薬を砂糖に包んだりオブラートにくるんだりしているように思われた。
たとえそれが真実であっても、それによって相手が落胆し悪い方向に進んでしまうような話をするよりも、相手を勇気づけて前向きに生きられるような言葉を使った方が良いという事だ。私には、耳の痛い話である。
建物の管理の事務所の留守番を一度してみたが、英語が分からないのでほとんど役に立たなかった。それでも、こういった仕事を引き受けてみると、はじめて分かることもある。
アシュラムの宿舎には、それぞれの部屋に建設費用を出した人がいる。その人はドナーと呼ばれ、使用について優先権を持っている。しかし、優先権と云っても一年中というわけではもちろんない。
ドナーでない一般の人は3人ないし4人一組でひと部屋を借りている。最長期間は2ヶ月だという。
また日本人に限っては、25歳に達しない人は、アシュラムに宿泊できないのだそうだ。かつて宿泊した大学生がメチャクチャをやらかして、アコモデーションがそのように制限してしまったのだそうである。日本人の25歳以下は子供扱いという事だ。どうも日本人の評判は良ろしくない。最近いろいろトラブルを起こしているだけでなく、以前から問題を持ち込んでいたらしい。
日本では宗教的な教育が全く欠如しているので、そのために、聖地に土足で上がり込むような、さらにもっとひんしゅくをかうことをしてしまう人が出てきてしまうのだろう。あるいは、こういったことが起きるのは、テレビでやっている海外取材もののバラエティ番組の悪影響かもしれない。
グループに晴海さんという30歳くらいの男性がいる。
晴海さんは事務所にいることが多いので、話す機会も多い。彼は自分のアガスティアの葉を見つけてもらったと言っていた。場所はマドラスの近くらしい。バラナシで会った人に続いてふたりめである。晴海さんが、それを当然のこととして淡々と語っているのを聞くと、本当に見つかることもあるのだと思ってしまう。見つかるべき人は見つかるのかもしれない。
ちなみに、春の旅行の時バラナシでアガスティアの葉の話しをしてくれたおじさんは、今もアシュラムに来ている。たぶんあれから一度は日本に帰っているはずであるが、またこうして、こちらに来ている。この人は現在、グループには属さずアシュラムの外に宿泊している。少し離れた安いところらしい。
そういえば、春に来たときには、スワミのアガスティアの葉が博物館に展示してあったが、今回見に行ったときには展示がなくなっていたようだ。あるいは、単に見落としたのかもしれないが、アガスティアの葉についてのトラブルが報告されて、展示を取りやめた可能性はある。
スワミの講演集を借りて読んでいる。76年の夏期講習の講演をまとめたものである。対象が大学生という事もあって、スワミはずいぶんはっきりと、学生向けの話をしている。
興味深い言葉としては「自らの神聖を忘れてしまった人間は狂った猿だ。」と云っている事。
それから、ふたり連れのあやしげな日本男児が現れた。ふたりともひげを伸ばしていて痩せた体型。少し野性的で危険な感じさえする。しかも、いかにも日本人である。旧日本軍の陸軍軍人のような、あるいは野武士のような、そんな古いタイプの日本人の雰囲気を持っている。話してみると、たいそう言葉が丁寧である。年長の方が45歳。落ち着いた話し方をする。インドのアシュラム回りをだいぶん長くしているそうである。自分の考えをしっかり表現する力を持っていて、日本のヨガ道場についても詳しい。若い方は35歳くらいだろうか。年長の師匠について歩いているという感じ。こちらも丁寧な言葉を使う。不思議なふたりである。
私は、彼らふたりを日本の土着の神様がサイババに会いに来たようにも感じた。なぜそう感じてしまうのかは分からないが、そんな感じがするのである。彼らはふたりとも白いクルタピジャマを着て、頭に白いハンドタオルを巻いているのだが、その姿が日本神話にでてくる神様のように見える。
プッタパルティーのサイババは、シルディーのサイババの生まれ変わりだという。その、次の転生の話。
現在のサイババの次のサイババは、現在のサイババが94歳?とかでこの世界を離れて、その8年後とかにバンガロールよりもさらに南の地方で生を受けるという。彼は7人?の聖人によって育てられ、『プレマサイババ』として活動する。
シルディーのサイババから、サティアそしてプレマと矢継ぎ早に転生を繰り返して、神がインドで活動する、その理由は何なのだろう。