如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

秋の旅(17)

2007-10-21 15:04:58 | インド旅行記
11月23日
生誕祭当日。ずいぶん早く起きて行ったつもりだったが、もう千人以上の人が並んでいた。もちろん男性だけで、である。女性の方も同様だろうから、マンディールに入れるかどうかぎりぎりのところかと思う。マンディールの周囲に場所を決めてダルシャンラインを作っているのだが、南側の広場、東の通路、北の広場もすでに一杯で、結局私はインディアンキャンティーンの前の列に並んだ。まだ5時前である。その後も人はどんどんどんどん集まってきて、アシュラム中人で溢れかえるようになった。
普段ならダルシャンラインになれている人達が多いから、待たされても問題ないのだが、この日ばかりは違っていた。6時頃になっても何の音沙汰もないものだから、列を作って座っていた人達が立ち上がってマンディールに向かって動き出してしまったのだ。これでもう収集はつかなくなってしまった。セバダルの人の数は知れているから、動き出した群衆を制することはできそうもない。

私はその時点で式典に参加するのは止めて、宿に戻ることにした。式典を遠くから見ることに、それほどの興味はなかった。
しかし、外に出るためにガーネーシャゲートに行くのがたいへんだった。
やっとのことで宿に帰り着いたが、疲れが出てそのまま寝込んでしまった。風邪がぶり返したらしい。寝起きに寒いところでほこりを吸い込みながら座っていたのが利いたらしい。

11月25日
23日24日と二日寝たので、体調はずいぶん回復した。朝からダルシャンに参加する。やっと静かにダルシャンを受けられると云う感じがする。
インディアンエアラインのオフィスに行って、ゴア~デリー間のチケットの依頼をした。依頼をして宿に戻ってから、もう少しアシュラムに止まるべきではなかったか、ゴアに行っても何もないし、この旅行の目的はサイババなのだし、とつまらないことをまた考えた。そして結局、チケットが取れたら、それはスワミがゴアに行った方がよいと言っている、チケットが取れなかったら、それはスワミがもう少しアシュラムに留まれと言っていると解釈する事にして、落ち着いた。全てはスワミのご意志であると、少なくともこの旅においては思える。
 
11月26日
航空券は取れなかった。私は少しほっとして、航空会社の人に「スワミが私にここに留まるように言っている。」とうれしそうに言った。航空会社の人は笑っていた。
それで今度は、デリーに帰るための列車のチケットの予約をするために、バスターミナルに行った。ターミナルは生誕祭の名残でまだ少し混雑していた。しかし十日先の列車のチケットを買うことに支障があるとは思えなかったが、聞いてみたら、すでに売り切れだという。
日本に帰れなくなっては一大事。それで、どんなクラスでもいいですと言ったら、12月2日のAc1stクラスになってしまった。100ドルを超えるチケットである。
とにかく、これで帰りの手配はできたわけである。日本には帰れそうである。

しかし、デリーで一週間時間を潰すのはもったいないような気がした。頭に浮かぶのは、ジャイプル。イスラム圏の、砂漠の雰囲気のある観光都市である。行ってみたいと思う。
コーベット国立公園。ゾウサファリがあって野生の虎が見られるかもしれないところ。ジャイプルとコーベットを組み合わせればちょうど一週間だろう。ゾウサファリには興味がある。日本で旅の計画を立てるときに、いつも頭にあったのはゾウに乗ることだった、しかし、結局まだその機会がない。しかし、ほこりっぽい砂漠の空気や、ゾウで歩くインドの草原がホントに楽しいかどうかあやしいものではあると思えたりする。
デリーでぶらぶらのんびりする方がよいかもしれない。そう思ったりもする。しかし、デリーにあまり良い思い出はない。それにデリーには、たいして見るべき所もないようだった。
そのほかに行くところと云えば、ダラムシャラー。しかし、単にダライラマがいる所と云うだけで、ガイドブックには地図もない。行ったらつまんない所だったという事にもなりかねない。まあそれでも良いのだが。
ダラムシャラーを日本の神様の師匠の方は、プッタパルティーとはまた違って霊的な感じのする場所だと言っていた。しかし、別の人の話では寒いだろうと言う。それに遠い。バンガロールからだと3000kmである。列車で旅する距離だろうか。それでもダラムシャラーにひかれる。行って行けないことはないと思う。

オーガニゼイションの団体さんが、帰った。
それから、グループのミーティングは夜の7時半から事務所の建物の前で行われている。昼間公然と日本人が集まって行動すること自体を自粛しているのである。夜集まるのだったら、まだ昼間の方がよいのではと思ったりもする。
アシュラムには現在かなりの数の日本人が入っていて、その中には問題を起こしているグループのメンバーも入っているらしい。
そんなこともあって、いろいろと気を使ったり心配したりしているらしい。
もっとも、日本人だと思っているとシンガポールチャイニーズだったりするので、どの人が日本人なのか本当のところはよく分からない。
 
11月27日
工事の終わったアシュラムは静かだし、生誕祭が終わってスワミも落ち着いたらしく、ゆったりとしたダルシャンが行われている。

ウエスタンキャンティーンが開く前はよく通っていたレストランに久しぶりに寄ったら歓待してくれた。ウエスタンキャンティーンがオープンしてから、だいぶん客は少ないらしい。
日本人の件については、地元の新聞に大きな記事が出たらしく、よく知っていた。どうも知らないのは私のような英語も分からない日本人だけなのかもしれない。どのような記事が載ったのか、私の英語力では聞き出すこともできない。
この件は、銀行で話したチベッタンの青年も知っていた。日本人に風貌の似た東洋人にとってはいい迷惑だったかもしれない。彼はアシュラムの外にあるチベッタンレストランの人だったと思う。
 
博物館に行く坂の途中で、金を恵んでくれと云うおじさんにあった。ハイダラバッドに住んでいるというインド人である。帰りの旅費まで滞在に使ってしまったので、帰りの旅費が欲しいのだそうだ。身なりはきちんとしていて、お金を無心するような人には見えないのだが。
「自分も旅行者で、必要な金以外は持っていない。アシュラムのアコモデーションに相談すると良い。スワミは信者を見捨てたりはしない。」と云うようなことを言って別れた。
本当に旅費が必要なら、同じハイダラバッドから来ている人に借りれば、あとで返す事も簡単にできるはずだと思う。
黒い服の部族の人達は、まだかなりプッタパルティーに残っていて、中にはみやげ物を売ってお金を稼いでいる者もいる。思っていたより普通のインド人である。にこにこ笑って買ってくれ買ってくれと、せがまえれたりする。

グループの事務所に寄ると、旅行者が残していったものが大量に置いてあった。その中に本もあった。
ここの生活にふさわしくない書籍は捨ててしまうとのことで、その中から一冊文庫本をいただいた。そう云った厳格さに私などはなじめなかったりする。

宿のマネージャーに1日にチェックアウトする旨伝えると、「今度いつ来るか?」と聞く。「20年後。」「20年!?」「インドはとても遠いからね。」
そお、インドはとても遠い。あなた方は非常に幸せな人達だ。会おうと思えば毎日スワミはすぐそこにいるのだから。

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