11月13日
ダルシャンでどこに座れるかが、私の毎日の最大の関心事である。朝早起きするのもそのためである。5時前はまだ暗く、宿の人も玄関のソファーで毛布にすっぽりくるまってミイラのようなスタイルで寝ている。それでも、道に出ればダルシャンに向かう人がぽつりぽつりと歩いて行くので、お茶と軽食の屋台が出ていたりする。ガーネーシャゲートの入り口の前には花を売るおばさん達が出ている。ゲートを入ってすぐの所にあるガーネーシャの像にお参りする人がいるためだ。ゲートを入ると、すでにダルシャンラインはできていて、百人程度は並んでいることが多い。いつも良いくじを引く人がいるので、その人の後ろに並びたい気もするが、グループの人が並んでいる時はその列の後ろにつくことが多い。
5時15分頃にオームを21回唱える。その後、5時半頃にマントラらしきものを唱える10人くらいの男性の一隊がマンディールから出てきてガーネーシャの前で祈った後、アシュラム一周をスタートする。唱える人はほんのひとりかふたりなのであるが、ものすごく良く通るすばらしい声である。
そのすぐ後に女性のナガラサンキルタンが、ガーネーシャの前から出発する。この時の女性の先頭をきってリードボーカルを歌うのは、白いサリーを着た背の高い年輩のおばさんである。たぶん180cmくらいはあるだろう。
このころになるとだんだん東の空が黄色く染まり始める。その後に男性のナガラサンキルタンがスタートする。女性の方は鉦とタンバリンくらいしか使わないが、男性の方は風琴も使われる。私はダルシャン優先なのでナガラサンキルタンには加わらないが、これに参加している日本人もいる。
ナガラサンキルタンがスタートする頃に、広間に入るくじ引きが行われ、6時頃には順に広間に入る。私は、貴重品をマネーベルトに入れているので、いつも身体検査をされて余分に時間がかかってしまう。しかし、マネーベルトをはずすのもトラブルの元のようなので、いつもそうしている。
ダルシャンラインの辺りの木にはカラスがたくさん集まっていて、糞が落ちてきたりする。アシュラムは緑が多いこともあって、カラスの寝場所になっているのである。インド人だけでなく外国人でも、アシュラム内では裸足で生活している人を見かけるが、彼らは鳥の糞などあまり気にしていないようである。
午後のダルシャンのためのダルシャンラインは、日陰に作られることが多い。それでもずいぶん暑いし、工事の関係でほこりっぽい。工事の方は少し遅れているのではないかと思う。生誕祭にとにかく間に合わせなければならないから、ダルシャンの時にも溶接していたり、機械が動いていたり、2階のベランダでは、サイババが下にいるのに作業を続けていたりする。
11月14日
今日からウエスタンキャンティーンがオープンした。それで、インディアンキャンティーンの2階は閉店した。ウエスタンキャンティーンのコックさんはイタリア人だそうで料理はイタリア風。肉のような食感の物が出ていたりして、おいしい。これを20Rs以下で食べられるのは贅沢なありがたい気がする。ただし、インドの人にとってはここは入りづらい場所なのだろう。ほとんど入ってこない。インディアンキャンティーンの一階の食事は食べたことがないが、お代わり自由の定食が6Rsである。インドの人にはそちらの方が口に合っているのかもしれないし、20Rsは3食分だからずいぶん高いわけだ。インディアンキャンティーンの2階のメニューでも私には充分と思われたが、ウエスタンキャンティーンが開くと、やはりだいぶん差があることが分かった。
それより私にとってありがたかったのは、インディアンキャンティーンの1階に漂っているヨーグルト飲料の酸っぱい匂いから遠ざかれたことである。
このアシュラムには、どの宗教の人も出入り自由である。ヒンドゥー教徒以外ではやはりキリスト教徒が多いかもしれない。
アシュラム内で信者のグループが集会を持つ事は黙認されている。ただし、アシュラムの他の人々に迷惑にならない範囲でのことであろうが。
バジャンの練習を木陰でやっているグループはいくつかある。ギターなどは使っても良いらしく、賛美歌のようなものも歌われている。
日本人にしても、西洋人にしても、バジャンで歌われる歌にはなかなかなじめないのが実情のようである。バジャンで歌われる歌は1回あたり15曲くらい、1日2回で30局。一週間に一度くらいは同じ歌が歌われるのだろうか。数百曲のバジャンがあって、それぞれメロディーがついている。覚えられるわけはないのだが、リードしてくれるから、現地の言葉を知っている人は、それにあわせて歌うことができるのだと思う。
しかし、バジャンで信者が熱狂してしまうと云うようなことはない。信者達は基本的にはいつもたいへんに冷静である。ダルシャンの時手紙を渡そうとして、じたばたする人がいることはいるが、それもたいしたことはない。毎日毎日スワミがダルシャンに出てきて、信者とごく自然に触れあっている事によって、こう云う穏やかな雰囲気が作られているのだろうと思う。
11月15日
小さな女の子どもをふたり連れた夫婦がアシュラムに来ている。小さい方の子供は、まだ自分では歩けないくらいだ。
サイババの英文を毎日翻訳している夫婦もいる。旦那さんが翻訳して、奥さんが校正している。
その奥さんの話では、サイババは子供の頃スーパーマンのように空を飛んでいたと云う話があるそうだ。サイババの子供の頃を想像するとさぞかしかわいかったろう、と言う。この奥さんに限らず、女性にはサイババをあたかも恋人のように慕っている人が多いようだ。
この旦那さんが風邪で入院した。もうひとり、若い日本の男性がやはり風邪で入院した。アシュラムに風邪が流行っているのである。
その若い男性が入院した病院の部屋のスワミの写真からアムリタが出たという話だ。グループの人も実際にそれを見て確認したという。しかし、だからといって騒ぎになるわけでもない。ここでは、そう云ったことは良くある事として受け取られている。
宿の料金が値上げされると聞かされた。450Rsだという。高い。一気に3倍である。マネージャーに下げてくれと言うと400Rsまでは下げたが、それ以上は下げてくれない。とんでもない話だが、強く拒否できなかった。多分あんまり高い値段を言われたので、実感が湧かなかったのだ。
それで他の宿を探してみた。アシュラムの東の方、ガーネーシャゲートから歩いて10分以内に新築や工事中のアパート・マンションはたくさんあるのだが、ゲストハウスは見あたらない。しかしアシュラムの北の方にはずいぶん宿があった。ガーネーシャゲートから遠くなる分少し安い。しかし、まずまずの部屋は350Rsである。それでも替えようかと思ったが、遠くなる事と、部屋が少し落ちる事を考えてやめにした。
私の泊まっているのと同じ宿に、同じグループの女性が泊まっていたのを知った。聞けば、しばらく前からここに泊まっているのだそうである。彼女は200Rsで泊まっているという。インド人の知り合いの紹介だそうだ。ということは、まだ値下げ可能なわけだ。
考えてみれば、こう云うことになったのは、私が態度をはっきりせずに、いつチェックアウトするか分からないような事を言っていたのが原因なのだ。1ヶ月泊まるからいくらにしてくれと、そう交渉していれば、問題はなかったのだが。しかし、それは後の祭り。
ちなみに、もうひとり、同じグループの若者が下の階に数日前から入っている。彼は450Rsのままだそうである。彼は、生誕祭を前にして、それまで泊まっていた宿を追い出されたと云う。その辺の理由はよく分からないが、生誕祭には多くの人間が押し寄せることだけは確かなようである。
その若い男は、人のオーラが見えるのだそうである。見えると言うよりは感じると云う事かもしれないが、とにかくそう云ったものを感じることができるのだそうである。
彼も体調を崩している。しかしきまじめだから、私のように宿の部屋でごろごろしていたり適当に栄養を付けたりしない。寝る時以外はほとんどアシュラム内で生活しているようである。
11月16日
ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」を借りて読んでいる。おもしろい。
ヨガナンダは今世紀の前半にアメリカにヨガを普及させた人物である。カルカッタの実業家の次男で大学も出ているヨガの出家者である。この人の師は、ババジの弟子であるという。ババジとは、ヒマラヤ山岳地方に住むヨガ行者で、数百年、あるいは数千年生きているが、まだ30歳くらいの容貌だという。この人の系列の様々なヨガ行者の話や、ヨガナンダが外国で会った食事をしない聖女の話など、写真入りで詳しく書いてあった。いかにも詳しく確信を持って書かれているので、つい信じたくなってしまう。
彼のヨガは呼吸法を主体とするものらしい。そう云えばダルシャンの時に見かけるドイツ人は、この本の写真の人のように、瞑想による法悦状態に入っているようだった。
インドは奥の深い国で、日本では想像もできないようなことが起きている国なのだと思う。それに比べると日本というのは狭い国で、みんなが同じように考えて同じように生きている。
11月17日
24時間バジャンを歌い続ける日があった。わたしはとても参加できないが、日本人グループのかなりの人数は参加していた。スワミは普段と変わりなく、いつもと同じ時間で現れて時間で住居に戻った。自由参加という事もあり、それほど気合いが入っていると云う感じもない。明け方早めに行ってみたが、広間にいる人の内の半数近くは居眠りをしているようであった。風邪でもひかなければよいと思った。
工事は完成に近づいて、足場の取り外しが始まった。明日から生誕祭のスケジュールが始まるのだから、ぎりぎりで間に合わせた感じである。
アシュラム内に機関銃で武装した兵士が数名いた。何事かと思う。兵士の服装は黒ずくめで、特殊部隊のよう。使っている車はブルーの乗用車であった。
今泊まっている宿の隣の宿に料金を聞いたら350Rsだという。それで、今の宿の男に明日から隣に移るといったら、300Rsでいいよという。
あとで、宿の主人同士で話し合っていた。こんな事が起きるのも、宿の料金の設定がいい加減だからだと思う。それに、アシュラムの外に関して云えば、それほど部屋が埋まっている感じもしない。それなのに普段の3倍では取り過ぎである。
しかし、2階に泊まっていたオーラの見える日本人の男性は、値下げ交渉ができずにまた別のホテルに移っていった。北の方の少し離れた場所だそうである。
オーガニゼイションJAPANが主催の百人を越える団体がアシュラムに入った。飛行機はチャーター便だそうである。事務所の入っている建物をほとんど占有するらしい。それで、前からアシュラムに宿泊している人達の多くは、シェッドに移動している。シェッドというのは体育館のような所である。貴重品の扱いには気をつけないといけないだろうと思う。
オーガニゼイションの団体さんがここに泊まるために、グループの人達は数日前から部屋の片づけや移動など準備にいそがしかった。しかし、団体さんの方はそのあたりの状況をあまり知らないようで、準備をしていたグループの人達は多少不満げであった。それにしても団体さんの人数があまりに多いので、アシュラム内でもずいぶん目立つ。
スワミは、サイババ教を創設したわけではない。彼は精神的な指導者であり、教師であると思う。サイババを自分の教師(グル)としている人は、サイババの写真を飾り、写真に向かって瞑想をするが、それは、自分の中にグルを生かし続けるためである。グルのハートを自分のハートとして、毎日の生活を送るということである。サイババが『神の化身』であるように、全ての人が『神の化身』なのであるから、サイババのハートに近づくことが、目標なのである。その過程を霊性修行というのだろう。したがって、霊性修行は個人的なものである。霊性修行に決まった形はなく、それを量るモノサシのようなものもないだろう。
そして、全ての宗教が目指すものも、結局そのあたりにあるのではないかと思う。どの宗教も『神を愛しなさい、全ての人を愛しなさい。』と云う。人間は、愛する対象にだんだん似てくるものであるらしい。愛すると云うことは、対象をありのままに理解し、その存在を認めることであろう。
現在のサイババのアシュラムは、サイババ個人のカリスマによって成り立っているのであり、彼に会うことによって受ける精神的な影響が、アシュラムを存在させているのである。したがって、現在のサイババが肉体を離れたときには、本人が予言している次のサイババ、プレマサイババを待ち望むようになるのかもしれない。
もっとも、インドにはサイババ以外に多数のグルがいるようで、サイババひとりが飛び抜けているわけでもないような話も聞く。精神面を重視する人々から見れば、サイババの物質化による奇跡は、やはりマイナスに評価されるかもしれない。
ダルシャンでどこに座れるかが、私の毎日の最大の関心事である。朝早起きするのもそのためである。5時前はまだ暗く、宿の人も玄関のソファーで毛布にすっぽりくるまってミイラのようなスタイルで寝ている。それでも、道に出ればダルシャンに向かう人がぽつりぽつりと歩いて行くので、お茶と軽食の屋台が出ていたりする。ガーネーシャゲートの入り口の前には花を売るおばさん達が出ている。ゲートを入ってすぐの所にあるガーネーシャの像にお参りする人がいるためだ。ゲートを入ると、すでにダルシャンラインはできていて、百人程度は並んでいることが多い。いつも良いくじを引く人がいるので、その人の後ろに並びたい気もするが、グループの人が並んでいる時はその列の後ろにつくことが多い。
5時15分頃にオームを21回唱える。その後、5時半頃にマントラらしきものを唱える10人くらいの男性の一隊がマンディールから出てきてガーネーシャの前で祈った後、アシュラム一周をスタートする。唱える人はほんのひとりかふたりなのであるが、ものすごく良く通るすばらしい声である。
そのすぐ後に女性のナガラサンキルタンが、ガーネーシャの前から出発する。この時の女性の先頭をきってリードボーカルを歌うのは、白いサリーを着た背の高い年輩のおばさんである。たぶん180cmくらいはあるだろう。
このころになるとだんだん東の空が黄色く染まり始める。その後に男性のナガラサンキルタンがスタートする。女性の方は鉦とタンバリンくらいしか使わないが、男性の方は風琴も使われる。私はダルシャン優先なのでナガラサンキルタンには加わらないが、これに参加している日本人もいる。
ナガラサンキルタンがスタートする頃に、広間に入るくじ引きが行われ、6時頃には順に広間に入る。私は、貴重品をマネーベルトに入れているので、いつも身体検査をされて余分に時間がかかってしまう。しかし、マネーベルトをはずすのもトラブルの元のようなので、いつもそうしている。
ダルシャンラインの辺りの木にはカラスがたくさん集まっていて、糞が落ちてきたりする。アシュラムは緑が多いこともあって、カラスの寝場所になっているのである。インド人だけでなく外国人でも、アシュラム内では裸足で生活している人を見かけるが、彼らは鳥の糞などあまり気にしていないようである。
午後のダルシャンのためのダルシャンラインは、日陰に作られることが多い。それでもずいぶん暑いし、工事の関係でほこりっぽい。工事の方は少し遅れているのではないかと思う。生誕祭にとにかく間に合わせなければならないから、ダルシャンの時にも溶接していたり、機械が動いていたり、2階のベランダでは、サイババが下にいるのに作業を続けていたりする。
11月14日
今日からウエスタンキャンティーンがオープンした。それで、インディアンキャンティーンの2階は閉店した。ウエスタンキャンティーンのコックさんはイタリア人だそうで料理はイタリア風。肉のような食感の物が出ていたりして、おいしい。これを20Rs以下で食べられるのは贅沢なありがたい気がする。ただし、インドの人にとってはここは入りづらい場所なのだろう。ほとんど入ってこない。インディアンキャンティーンの一階の食事は食べたことがないが、お代わり自由の定食が6Rsである。インドの人にはそちらの方が口に合っているのかもしれないし、20Rsは3食分だからずいぶん高いわけだ。インディアンキャンティーンの2階のメニューでも私には充分と思われたが、ウエスタンキャンティーンが開くと、やはりだいぶん差があることが分かった。
それより私にとってありがたかったのは、インディアンキャンティーンの1階に漂っているヨーグルト飲料の酸っぱい匂いから遠ざかれたことである。
このアシュラムには、どの宗教の人も出入り自由である。ヒンドゥー教徒以外ではやはりキリスト教徒が多いかもしれない。
アシュラム内で信者のグループが集会を持つ事は黙認されている。ただし、アシュラムの他の人々に迷惑にならない範囲でのことであろうが。
バジャンの練習を木陰でやっているグループはいくつかある。ギターなどは使っても良いらしく、賛美歌のようなものも歌われている。
日本人にしても、西洋人にしても、バジャンで歌われる歌にはなかなかなじめないのが実情のようである。バジャンで歌われる歌は1回あたり15曲くらい、1日2回で30局。一週間に一度くらいは同じ歌が歌われるのだろうか。数百曲のバジャンがあって、それぞれメロディーがついている。覚えられるわけはないのだが、リードしてくれるから、現地の言葉を知っている人は、それにあわせて歌うことができるのだと思う。
しかし、バジャンで信者が熱狂してしまうと云うようなことはない。信者達は基本的にはいつもたいへんに冷静である。ダルシャンの時手紙を渡そうとして、じたばたする人がいることはいるが、それもたいしたことはない。毎日毎日スワミがダルシャンに出てきて、信者とごく自然に触れあっている事によって、こう云う穏やかな雰囲気が作られているのだろうと思う。
11月15日
小さな女の子どもをふたり連れた夫婦がアシュラムに来ている。小さい方の子供は、まだ自分では歩けないくらいだ。
サイババの英文を毎日翻訳している夫婦もいる。旦那さんが翻訳して、奥さんが校正している。
その奥さんの話では、サイババは子供の頃スーパーマンのように空を飛んでいたと云う話があるそうだ。サイババの子供の頃を想像するとさぞかしかわいかったろう、と言う。この奥さんに限らず、女性にはサイババをあたかも恋人のように慕っている人が多いようだ。
この旦那さんが風邪で入院した。もうひとり、若い日本の男性がやはり風邪で入院した。アシュラムに風邪が流行っているのである。
その若い男性が入院した病院の部屋のスワミの写真からアムリタが出たという話だ。グループの人も実際にそれを見て確認したという。しかし、だからといって騒ぎになるわけでもない。ここでは、そう云ったことは良くある事として受け取られている。
宿の料金が値上げされると聞かされた。450Rsだという。高い。一気に3倍である。マネージャーに下げてくれと言うと400Rsまでは下げたが、それ以上は下げてくれない。とんでもない話だが、強く拒否できなかった。多分あんまり高い値段を言われたので、実感が湧かなかったのだ。
それで他の宿を探してみた。アシュラムの東の方、ガーネーシャゲートから歩いて10分以内に新築や工事中のアパート・マンションはたくさんあるのだが、ゲストハウスは見あたらない。しかしアシュラムの北の方にはずいぶん宿があった。ガーネーシャゲートから遠くなる分少し安い。しかし、まずまずの部屋は350Rsである。それでも替えようかと思ったが、遠くなる事と、部屋が少し落ちる事を考えてやめにした。
私の泊まっているのと同じ宿に、同じグループの女性が泊まっていたのを知った。聞けば、しばらく前からここに泊まっているのだそうである。彼女は200Rsで泊まっているという。インド人の知り合いの紹介だそうだ。ということは、まだ値下げ可能なわけだ。
考えてみれば、こう云うことになったのは、私が態度をはっきりせずに、いつチェックアウトするか分からないような事を言っていたのが原因なのだ。1ヶ月泊まるからいくらにしてくれと、そう交渉していれば、問題はなかったのだが。しかし、それは後の祭り。
ちなみに、もうひとり、同じグループの若者が下の階に数日前から入っている。彼は450Rsのままだそうである。彼は、生誕祭を前にして、それまで泊まっていた宿を追い出されたと云う。その辺の理由はよく分からないが、生誕祭には多くの人間が押し寄せることだけは確かなようである。
その若い男は、人のオーラが見えるのだそうである。見えると言うよりは感じると云う事かもしれないが、とにかくそう云ったものを感じることができるのだそうである。
彼も体調を崩している。しかしきまじめだから、私のように宿の部屋でごろごろしていたり適当に栄養を付けたりしない。寝る時以外はほとんどアシュラム内で生活しているようである。
11月16日
ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」を借りて読んでいる。おもしろい。
ヨガナンダは今世紀の前半にアメリカにヨガを普及させた人物である。カルカッタの実業家の次男で大学も出ているヨガの出家者である。この人の師は、ババジの弟子であるという。ババジとは、ヒマラヤ山岳地方に住むヨガ行者で、数百年、あるいは数千年生きているが、まだ30歳くらいの容貌だという。この人の系列の様々なヨガ行者の話や、ヨガナンダが外国で会った食事をしない聖女の話など、写真入りで詳しく書いてあった。いかにも詳しく確信を持って書かれているので、つい信じたくなってしまう。
彼のヨガは呼吸法を主体とするものらしい。そう云えばダルシャンの時に見かけるドイツ人は、この本の写真の人のように、瞑想による法悦状態に入っているようだった。
インドは奥の深い国で、日本では想像もできないようなことが起きている国なのだと思う。それに比べると日本というのは狭い国で、みんなが同じように考えて同じように生きている。
11月17日
24時間バジャンを歌い続ける日があった。わたしはとても参加できないが、日本人グループのかなりの人数は参加していた。スワミは普段と変わりなく、いつもと同じ時間で現れて時間で住居に戻った。自由参加という事もあり、それほど気合いが入っていると云う感じもない。明け方早めに行ってみたが、広間にいる人の内の半数近くは居眠りをしているようであった。風邪でもひかなければよいと思った。
工事は完成に近づいて、足場の取り外しが始まった。明日から生誕祭のスケジュールが始まるのだから、ぎりぎりで間に合わせた感じである。
アシュラム内に機関銃で武装した兵士が数名いた。何事かと思う。兵士の服装は黒ずくめで、特殊部隊のよう。使っている車はブルーの乗用車であった。
今泊まっている宿の隣の宿に料金を聞いたら350Rsだという。それで、今の宿の男に明日から隣に移るといったら、300Rsでいいよという。
あとで、宿の主人同士で話し合っていた。こんな事が起きるのも、宿の料金の設定がいい加減だからだと思う。それに、アシュラムの外に関して云えば、それほど部屋が埋まっている感じもしない。それなのに普段の3倍では取り過ぎである。
しかし、2階に泊まっていたオーラの見える日本人の男性は、値下げ交渉ができずにまた別のホテルに移っていった。北の方の少し離れた場所だそうである。
オーガニゼイションJAPANが主催の百人を越える団体がアシュラムに入った。飛行機はチャーター便だそうである。事務所の入っている建物をほとんど占有するらしい。それで、前からアシュラムに宿泊している人達の多くは、シェッドに移動している。シェッドというのは体育館のような所である。貴重品の扱いには気をつけないといけないだろうと思う。
オーガニゼイションの団体さんがここに泊まるために、グループの人達は数日前から部屋の片づけや移動など準備にいそがしかった。しかし、団体さんの方はそのあたりの状況をあまり知らないようで、準備をしていたグループの人達は多少不満げであった。それにしても団体さんの人数があまりに多いので、アシュラム内でもずいぶん目立つ。
スワミは、サイババ教を創設したわけではない。彼は精神的な指導者であり、教師であると思う。サイババを自分の教師(グル)としている人は、サイババの写真を飾り、写真に向かって瞑想をするが、それは、自分の中にグルを生かし続けるためである。グルのハートを自分のハートとして、毎日の生活を送るということである。サイババが『神の化身』であるように、全ての人が『神の化身』なのであるから、サイババのハートに近づくことが、目標なのである。その過程を霊性修行というのだろう。したがって、霊性修行は個人的なものである。霊性修行に決まった形はなく、それを量るモノサシのようなものもないだろう。
そして、全ての宗教が目指すものも、結局そのあたりにあるのではないかと思う。どの宗教も『神を愛しなさい、全ての人を愛しなさい。』と云う。人間は、愛する対象にだんだん似てくるものであるらしい。愛すると云うことは、対象をありのままに理解し、その存在を認めることであろう。
現在のサイババのアシュラムは、サイババ個人のカリスマによって成り立っているのであり、彼に会うことによって受ける精神的な影響が、アシュラムを存在させているのである。したがって、現在のサイババが肉体を離れたときには、本人が予言している次のサイババ、プレマサイババを待ち望むようになるのかもしれない。
もっとも、インドにはサイババ以外に多数のグルがいるようで、サイババひとりが飛び抜けているわけでもないような話も聞く。精神面を重視する人々から見れば、サイババの物質化による奇跡は、やはりマイナスに評価されるかもしれない。