如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

秋の旅(18)

2007-10-21 16:36:58 | インド旅行記
11月28日
今朝のダルシャンでスワミにビブーティーを出していただいた。はじめてである。
それからハンカチを使っていただいた。私は5人目だったが、それでもビブーティーを充分に私の手の中に載せていただいた。不思議なものである。ビブーティーはスワミの手にできてから配られるのではなく、信者に渡す分だけが、必要なだけその都度スワミの指先に現れるのではないかと思える。なんかすごく感激してしまった。場所は、マンディールの正面に向いた位置で、グループの人がずらっと並んでいたのだ。
生誕祭の前からいまいちうまくいっていなかったものが、全てパッと解消されたような、みんなとても幸せな気分になれた。
例のオーラが見える青年は感激したらしく涙を溢れさせていた。実際スワミの力はそのようなものなのである。彼があのように感極まって涙を流してしまうのは、相当強い霊感を受けたからだろう。私は鈍いから、なかなかそうはならない。
そう云えば以前、11月15日くらいだったか、ビブーティを出している手元を見ていたら、その時距離は5メートルくらい離れていたのだが、ビブーティを出す瞬間にその手の所が鈍く光って見えた。フラッシュと見間違えた可能性が全くないとは言えないが、その位置にカメラはなかったし、光の色もフラッシュにしては赤っぽい感じがした。
その話をグループの人にしたところ、人によってまたその人の状態によっていろいろな見え方をするようだ、との事。サイババの起こす現象は、同じ現象でも見る人によって少しではあるが違って見えているのかもしれない。
もらったビブーティはハンカチにくるんで大切にしまった。
ビブーティをいただくだけでこんなに感激してしまうとは思わなかったが、オーラの見える青年に影響されたようで、バジャンが終わってもしばらく広間に座ってその余韻をかみしめてしまった。
ちなみに、今日が本当のスワミの誕生日だという事で、ケーキが用意されていた。本当の誕生日が別にあるという事が理解できないのだが、まあ、良い日を選んで誕生日にするとか、そういったこともあるのだろう。

11月29日
今朝は、スワミに声を掛けていただいた。「どこから来た?」「JAPAN」「JAPAN?」。彼は知っているのに聞いてくれるのだと思う。
でも、私の口からインタビューをお願いすることはできなかった。一度呼んでいただいているのに、またお願いすることなど欲張りすぎに思えたのだ。
そして、二日続きでビブーティをいただいた。ただ祈るのみであった。二日も続けてなんて、こんな事は珍しいと、あとでグループの人が言っていた。

バジャンの練習をするというので、アシュラム内のグループの人の入っている部屋に行ってみた。細長い8畳くらいの部屋を4人が使っているらしい。ベットのない部屋である。部屋の隅にそれぞれの荷物をまとめてある。窓際にスワミの写真が飾ってあり、香が焚かれている。歌われたバジャンは、インドの有名なものと、日本製のもの。

11月30日
今日は午後のダルシャンで最前列に座ることができた。三日続けての最前列である。とても不思議な感じさえする。
もう充分にサイババと一緒に過ごすことができたという満足感があった。これ充分だという気持ちと、もっともっと近づきたいという気持ちの両方が混ざり合っている。

ホテルの料金を支払い、荷物をまとめ、これからの旅に必要のないものはグループの事務所に置いてきた。

12月01日
朝のダルシャンに出てから、宿を引き払った。
宿を出る前に、同じ宿に宿泊しているグループの女性に声を掛けてみた。最近あまり部屋を出ていないようで、今日もまだバジャンの前の時間なのだが部屋にいるようだったからだ。
部屋から出てきた彼女が言うには、風邪の菌がリンパ腺に入って2,3日動くこともままならなかったそうだ。しかし、回復してきたという。あと数ヶ月はプッタパルティーに留まるつもりだそうだ。

12月02日
これでバンガロールともお別れだと思うと、少しばかり寂しい思いもある。プッタパルティでの日々は私にとって宝物であったと思う。
しかし、どの道ここにいつまでもいるわけにはゆかない。
まだ薄暗い朝の駅に向かって歩きながら、そう思う。

寝台車の部屋は2人部屋で、クーペと呼ばれるタイプの客室である。
私のベットは2段ベットの上段である。しかし、寝るとき以外は下段のベット兼シートに座っていることもできる。同室の紳士は私と同じくらいの年齢のおだやかな感じの人である。
広い個室に2人だから、ずいぶんゆったりした感じだ。洋服のロッカーと食事用に小型のテーブルもあり荷物をおくスペースも十分ある。窓は大きな一枚ガラスで薄茶色のUVカット。そのために外の景色は秋のように見えてしまう。このガラスは、外から見ると中が全く見えないようにできている。そのためもあって、ホーム側から見るとあまり良い車両には見えないのだが、車内のつくりはまずまずである。

走り出してしばらくすると、食事の注文を聞きにボーイが来た。どのくらいの値段なのか少し不安であるが、あんまり貧乏げに旅するのもつまらないので、同部屋の紳士と同じ物にする。
もちろんこの列車には、食堂車が付いているからそちらに食べに行っても良いのだろうが、車両が少し離れているので面倒である。それで、ボーイに注文するとボーイが運んできてくれるのだ。出てくるものはアルミで包まれていて飛行機の機内食のような感じである。見た目は機内食ほどきれいではないが、味は機内食より良かった。味がよいのは、車内で調理しているからだろう。
朝食が終わると飲み物を聞いてきて、昼食の注文を取って行く。
それから、別の人がシーツと枕と毛布を持ってきた。最後に車掌がチケットのチェックに来て一通り終わり。

最初の駅はバンガロールから3時間くらいのダルマバラム。バンガロールよりもこの駅の方がずっとプッタパルティに近い。50kmくらいである。バスの数も多い。この駅から乗ればもう1日プッタパルティーにいられたわけだが、切符を買うときにはそれをよく知らなかったし、バンガロールにもう一度寄っておきたい気持ちもあった。
ダルマバラムは小さい駅である。しかし、ここからわずか50km先にはサイババがいる。

列車は、乾いた感じの土地を北に向かって走っている。だいたいは畑で、周囲に木が並んでいたりする。あまり人影は見えないし、人家も少ない。デカン高原は広大な平原なのだと実感する。水さえあれば充分に穀倉地帯になるのだろうが、どの程度の雨量があるのかと思う。

この列車は、ニーザム・ムッディーンまで2400kmを35時間くらいで走りきるから、車中一泊である。これだと割に楽ではある。やはり、車中で2晩は少しきつい。
午後になって駅のない場所で列車がしばらく止まった。はじめの話では、機関車が線路からはずれたとか言っていたが、本当はストライキであったらしい。春の旅でもストライキがあったことを思い出した。

アシュラムでもらった文庫本森本哲郎の『人間へのはるかな旅』を読む。興味深い内容で退屈しない。今私が読むべき本であるような気がする。読みながら、あるいはこの本はスワミが私に与えてくれたのではないかと思う。

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