如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

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2007-07-10 23:47:02 | Weblog
先日はNHKについて辛口な内容を書いてしまったので、今日はフォローしておかなければと思ったりする。
NHKの番組のすごいところは、野生動物の生態を撮影したドキュメンタリー番組。民放ではまねできません。
以前放送されたアマゾンの野生動物の映像なんぞは、それまでの同種の番組とはあきらかに一線を画する作品でした。
いったいどのように撮影しているのかと考えると、ほんの数秒、数十秒のシーンに大変な労力と費用がかかっていることが想像できる。
それを、たいした前触れもなくポンッとテレビ番組で放送してしまうところがNHKのNHKたるところ。それをもう一度見たいと思っても、いつ再放送するのかわからない。そしてそのうちに番組の名前もわからなくなってしまって、ただ、「あれはすごかった」という記憶が残るだけ。

それからNHKといえば大河ドラマ。最近は、はずれの年もあるが、今年は今までのところまずまずの出来だと思う。主人公はぱっとしないし、ヒロインらしいヒロインも見当たらないが、その分リアリティーを感じる。
そして、なんと言っても千葉真一演ずる板垣信方がいい。他の俳優の演技もよいが、それも千葉真一の迫力に他の俳優が感化されているのではないかと思うくらいだ。しかしその板垣信方も次回あたりが最後かもしれない。ということで来週の「風林火山」は見逃せません。

話はかわるが、ここしばらく、予知夢のことも、サイババのことも書いていない。このブログのサブタイトルからするとちょっとまずいかもしれない。
当たり前だが今でも夢は見ている。しかし、無理に夢を思い出したり、記録したりはしていない。それの方が自然だと思う。
それになんというか、このごろでは、未来に対する不安とか期待とかそういう気持ちが以前に比べて少なくなってしまったようだ。
今、未来について思うことといえば・・・飼い猫が生きているうちは路頭に迷わせたくはないので、私の方が長生きしなければと思う・・・そのくらい。

では、サイババについてはどうだろう・・・サイババとの縁は、たぶん永遠に続くのだろうと思う。私はけっしてよい信者ではないが、それでもいつもサイババの影響下にいる事を感じている。
しかしだからといって、南インドにいる肉体としてのサティアサイになにがなんでもと執着しているわけでもない。
肉体は遅かれ早かれ滅びる。サイババとは、滅び去る肉体の事ではない。
ではサイババとは何か?・・・残念ながら私にそれを語る力はありません。あるいは言葉で表現できる類のものではないのかもしれません。

無題

2007-07-08 22:50:13 | Weblog
今日は、除草剤をたくさん散布した。
4時間くらいかけて70リットルを、手動式のスプレーで散布した。
ということは、4時間くらい後ろ向きで畑や庭を歩いたということだ。
なぜ後ろ向きに歩くかというと、除草剤をまいたところを歩きたくはないから。たぶんみんなそうしていると思う。
後ろ向きに歩くと、足腰のゆがみを矯正できるそうだから、だいぶん姿勢がよくなったかもしれない。

除草剤が有効に作用するには、散布してから6時間は雨が降らないほうがよい。経験的には3時間でもそれなりに効果はあるようだが、なるべく降らない方がよい。
かつて、除草剤をまいたらすぐに夕立が降ってがっかりした事も一度ならずある。
今は、インターネットの天気予報のおかげで、依然とはくらべものにならない正確な天気予報が手に入る。
GooやYahooの雨雲の動きの予想は、特に便利。Yahooだと6時間先まで予想される。
その雨雲の動きの予想を見て初めてわかった事は、私の住む群馬県西部に雨を降らせる積乱雲は、長野県の八ヶ岳や北アルプスでできた雲が東に流れてきたものであるらしいということ。
もちろん、地元でできた積乱雲が急な雨を降らせる事はあるのだが、本格的な夕立雨を降らせる大きな積乱雲の塊は、もっと西の方から来る。

「明日のエコではまにあわない」はNHKのキャンペーンの標語。
その割りに、NHKさんはずいぶんたくさんの受信料を使ってずいぶんたくさんのチャンネルを持って、公共放送を流している。
地上波2、衛星3は、多すぎるのではないかと思ったりする。
衛星1chは大リーグ放送。衛星2chは大相撲と名人戦と映画。衛星3chはハイヴィジョン番組の再放送用かな。
そういえばNHKFMの放送を縮小してゆこうという話を以前聞いた事があるが、それより衛星放送をひとつ減らした方がと思ったりする。
これは受信料をまじめに納めている一視聴者の意見です。
受信料だとか、年金だとかは、ちゃんと払っていれば、NHKやお国がきっちり管理して無駄なく有効に扱ってくれているんだろうと、昔はそう信じていたんだけれど。考えてみれば生身の人間のやる事ですから・・・

それにしても、温暖化。温暖化をとめる手段は、もうないのかもしれません。極地の氷が減少すれば、今まで以上に地球は太陽の熱を吸収するようになる。そうするともっと地球は暖かくなって、氷が解ける。悪循環・・・
温暖化対策に消極的な大国があるらしいが、その消極的である理由がよくわからない。
まさか、キリスト教的な終末をイメージしているとも思えないし・・・スーパーボルケーノによる冬とか、映画でやっていたように温暖化から一気に氷河期に戻るとか、NASAが小惑星の地球衝突を予測しているとか。
そういえばアメリカ映画に付きまとっている終末・大破局を期待する雰囲気というのは、どうしても好きになれない。
もちろんその破局のあとに、再生・新しい世界の建設のイメージはあるのだが、破局なしに緩やかに何とかしたいものだと思いますよね。ほんとに。

カミングアウト

2007-07-01 23:52:12 | Weblog
久しぶりに、ミュージックフェアを見ていたら、太田裕美・中村中・岩崎宏美が「友達の詩」というのを歌っていた。
これがとてもよい曲で、中村中の声がなんとも言えず魅力的。女性の声なのだがそれでいて低音域に独特の響きがある・・・
さいわい録画していたので繰り返し聞いてみたが、最初に聞いたときの新鮮さが薄れない。もちろん、太田裕美の声も岩崎宏美の声も大好きなのだが、それに勝るとも劣らない中村中である。

中村中については何も知らないので、インターネットで調べたら、彼女はカミングアウトしたという。
カミングアウトという言葉をたまに聴くが意味がわからないので、調べたら coming out of the closet のことなのだそうだ。今まで隠していた事柄を「押入れから出して」表明すること・・・をカミングアウトというらしい。
何を彼女はカミングアウトしたのか・・・とさらに調べるとどうも彼女は元は彼であったらしい。
しかし、最初の印象のとおり、中村中はどうみても女性である。声にしても男が無理に女性の声を作っているようには聞こえない。

確かに「友達の詩」の歌詞にはどうも意味のよくわからないところがあった。女性が愛した男性への思いを歌う歌として聴いてもそれほど不自然ではないのだが、あまりにも古風というか自分に自信のない臆病で弱気な歌詞に思えた。しかし、性同一性障害を抱えた人がその気持ちを歌うとして意味を取ればなるほどとわかる。
まあ、そういういろんなことはどうでもよいことで、そういった先入観を全く持たずに「友達の詩」を聞けたことはよかったと思う。
ちなみに、YouTubeで中村中の歌う「友達の詩」がフルコーラス聴けます。
今後の彼女の活躍に期待したいです。

先日、注文した本を読み始めたら、以前読んだ事のある本だったということがあった。本の題名や作者だけでは読んだ事があるのかないのか判断できなくなってきているらしい。
そういうことはずいぶん前にもあったので、老化が進んだなどと悩むことではないのだが、近頃では新たに読んでみたいと思う本が少なくなった。だから、自然と本を読み返すことが多くなってきている。無理して新しい本を探す事はないのかもしれない。
そういった意味では、蔵書の整理がそろそろ必要な時期ではある。たいした量ではないのだが、押入れに山積みにしておくのはいかにもまずい・・・

ラマナ・マハルシの「あるがままに」を少しずつ読んでいる。この本は問答集になっていて、質問者のいろいろな質問にマハルシが答える形になっている。
感じとしては、この本はどこから読んでもよいようで、どこを読んでも金太郎飴のように同じ答えが返ってくる。そこがこの本のよいところと言えるかもしれない。
マハルシの考え方はヒンドゥの思想の発展したものなのだろうが、禅にも通じているし、大乗仏教や密教にも通じているように思う。