カトリック新発田教会・聖堂。新発田市中央町。
2023年9月30日(土)。
9月28日(木)昼過ぎに新発田市役所付近でカトリック新発田教会を探したが見つけられなかったが、村上市まで来てネットで検索して場所を特定できた。30日(土)村上市から胎内市を経て教会付近まで来て、幼稚園への道標を発見。狭い道路を進むと、教会裏側・西側・司祭館側の駐車場があり駐車し、12時30分頃到着。東側の広い車道へものちほど回ったが、柵があるので立入はできない。内部見学は事前予約というネットでの案内があり、告知板を見ると「原則、土日で事前予約」とあった。予約はしていないので躊躇したが、思い切って連絡先に電話して了解してもらった。鉄の扉の下にある「ストッパー」を自分で外して、内部に入り、あとは自由見学。見学料は志納箱に納めた。
東側の広い車道側からの教会堂。
建築家アントニン・レーモンドは帝国ホテルなどの設計者として知られるフランク・ロイド・ライトの弟子で日本で活躍したことは1980年代初めから知っているので、ぜひとも建築作品を味わいたいと思っていた。前川國男、吉村順三、ジョージ・ナカシマなどの建築家がレーモンド事務所で学んだ。
レーモンドは、1888(明治21)年ボヘミヤ(現チェコ)に生まれた。1910年プラーク工科大学を卒業後、アメリカに渡る。1914年イタリアを旅行した帰路ノエミ・ペルネッサン(1889年フランスのカンヌ生まれ)に出会い、結婚。以来2人で建築設計の仕事を続ける。
1916年フランク・ロイド・ライトのもとタリアセンで働く。1919年帝国ホテル建築のため、ライトとともに来日。戦中に一時離日するが、戦後再来日し晩年まで日本に常住する。1923年レーモンド設計事務所を設立。1964年勳三等中綬賞を受賞する。1965(昭和40)年カトリック新発田教会設計。66年献堂式。1974年アメリカに帰国。1976年米国で死去。
戦前の作品に、東京女子大学礼拝堂・講堂・本館・、聖心女子学院修道院、軽井沢聖パウロカトリック教会。戦後は、国際基督教大学図書館、立教学院聖パウロ礼拝堂、南山大学(名古屋市)など多数がある。
カトリック新発田教会は、1876年新発田市への布教が始まったのち、明治16年7月小人町(現大手町)に布教所開設、明治36年巡回教会となり、1931年(昭和6年)現在地近くの借家に司祭定住、同10月11日初めてミサが捧げられた。
現在のカトリック新発田教会の聖堂と隣接する司祭館は、日本近代建築界の巨匠といわれたアントニン・レーモンドが1965(昭和40)年に設計した。翌1966年8月に完工し、11月3日にレーモンド夫妻も列席して、伊藤庄治郞司教によって献堂式を行った。レーモンドによる設計は、彼と親交のあった当教会の司祭ジョセフ・ノツォンの依頼で実現した。総工事費(聖堂)は、3万ドル(アメリカ篤志家シュルツ氏の寄付)。
外観は煉瓦と杉丸太、和紙の窓のユニークな教会堂で、内部は六角形の尖塔の下にある中央祭壇を信者席が半円形で囲み一体感がある。燭台、和紙のステンドグラス、椅子は、レーモンド夫人のノエミ・ぺルネッサンがデザインしたものである。
アントニン・レーモンドの晩年における彼の集大成ともいわれる教会堂は、名建築の一つに数えられ、2004年「第5回日本建築家協会25年賞大賞」を贈られた。
構造は、基壇部分がレンガ積みの組積造りで、レンガをタテ・ヨコに組合せ、その中に補強鉄筋とコンクリートが打ち込まれている。レンガ壁は外壁であると同時に内壁であり、極めて耐震性が高い構造になっている。
基壇の上部に杉丸太の小屋組みが載せられている。丸太材(杉)は、村上市の山中で伐採したものを、使用部位別に伐採現場で選り抜いて運んだ。この丸太の皮むきだけで約2か月を要したという。
祭壇の上に組まれた太い6本の登り梁が丸太の束を支え、上部のサイドライトから柔らかい光が落ちてくる。
レーモンドは、素材そのものを大切にする考え方の強い人であったので、南山大学も恵比寿にあった神言会東京修道院等、彼の設計はコンクリート打放しが多い。そしてカーテンの取付は不可。
レーモンドは、日本の大工の技を高く評価し、特に丸太材の組合せの技量に感心していた。
レンガは、荒川町坂町の中山窯業で製作。使用されたレンガは1,300度で焼成してあるが、1,000度程度の低温で焼いたものは水を通して凍ってしまう。(新発田教会のレンガは完成後40余年を経ても、3.6万個のうち透水したものは1枚も無い。)
建具は、正面入口扉、窓などすべて木製建具透明ガラス入れ。窓には切り抜いた和紙が貼られステンドグラス風の独特の外観を持つ。
竣工時には亜鉛鉄板葺きだった屋根が銅板葺きに変えられたほかは、まったく当時の姿を残している。
十字架は、アントニン・レーモンドの作品で、「イエス=キリスト=神の=子=救い主」のギリシア語の頭文字「ΙΧΘUΣ」(イクトゥス=魚)とキリストのからだ=パンがデザインされた、他の教会にはない斬新な十字架のデザインである。
祭壇から信徒席を見たとき、対面のため司祭と信徒は一体なのだと実感する設計になっている。第二ヴァチカン公会議(1962年-1965年)の典礼刷新における、いわゆる「対面ミサ」での日本における最初の設計といわれる。
信者用椅子は、ノエミ・ペルネッサンの作品である。
聖水盤は、レーモンドが自ら焼成したもの。
洗礼盤。