新潟市文化財センター。旧武田家住宅。新潟市西区木場。
2023年10月1日(日)。
新潟市文化財センターの展示を見終わり、敷地内にある新潟市指定民俗文化財の旧武田家住宅と畜動舎を見学した。
武田家の先祖は、越後に逃れた甲斐国武田一族の武将が、高橋姓を名乗って曽根(旧西川町)で百姓となり、その子初代源助の代に割元役となったと伝えられている。割元役とは、江戸時代の村役人の役職で、郡代・代官などの指揮下に名主(庄屋)を支配して十数か村から数十か村を統轄し、年貢の割り当てや命令の伝達などを行った。
その子の源助(2代目高橋源助 代々襲名)も割元役を務め、地域の開発に尽力したが、天和元(1681)年に処刑されてしまった。その妻と長子は、小中川(現在の燕市)に逃れて、およそ30年後、木場村(現在の西区木場、旧黒埼町木場)に移住した。その後建てられたものが現在の旧武田家住宅であると伝えられている。
なお、「座敷」と「裏中門」は明治時代に入ってから建て増されたと考えられている。
旧武田家住宅は、裏中門造りの代表的な民家として、昭和45(1970)年4月、旧黒埼町(当時黒埼村)の有形民俗文化財に指定された。翌年、旧所有者である武田源助氏から旧黒埼村への寄贈を受け、現在の西区緒立流通2丁目にある緒立八幡宮脇に解体移築・整備し、「黒埼常民文化史料館」として公開してきたが、2011年に再び文化財センター敷地内に解体・移築した。
西蒲原の低湿地では信濃川・中ノ口川の破堤により、たびたび水害に見舞われた。「ダイドコロ」と「小間」の奥に、水害への備えとして床高を上げて中2階とした「寝間」が2室ある。「裏中門」には、洪水に備えた防災の知恵がよく表れている。
中門(ちゅうもん)造りは、北陸〜東北地方日本海沿岸に見られる民家の形式の一つで、母屋の土間に棟を違えたおもに馬屋となる突出部(中門)が付くL字型の平面を基本とする。馬屋沿いに母屋への通路を設け,妻の方に出入口をもつことが曲り屋と異なる特徴で、豪雪時の出入りを容易にするためという。
このほか座敷、寝部屋、台所、勝手などを突出させている場合も中門造りと称する。
中門造 の特色は間取にある。最も多い形態は母屋の前方にのみ中門を突出しているもので,これを前(表)中門という 。これと反対に中門が母屋の後方に伸びているものを後(裏)中門という。前中門は一般に ニワで,農作業場・厩等にあてられ,ニワ中門・厩中門とも呼ばれている。後中門はほとんど畳敷の寝間になっているので寝間中門ともいう。
このほか、平面がU字形になるものを両中門、T字形になるものを木槌中門(きづちちゅうもん)、背面に中門を持つものを裏中門、中門が主として入り口になっているもの を玄関中門、主として厩(うまや、まや)になっているものを厩中門と分類することもある。
手前から奥に、仏間、母屋、裏中門。
ニワ(土間)の独立柱。
裏中門。
16時ごろに見学を終え、翌日の佐渡日帰り旅行に備えるため、イオンで食料の買い出しをして、道の駅「新潟ふるさと村」へ向かった。