原発から20キロの避難区域内の家畜が殺されてしまうという衝撃の報道。
まごころこめて育てた牛や馬や鶏を、そんな風にされて大丈夫な畜産家の方はいないだろう。
私の高校の隣にあった大学では馬・豚・ヤギ・ヒツジ・鶏・犬・ウサギ…などなど沢山の家畜(?)を飼育していた。
あの学校が福島第一原発のちかくにあったらどうしただろう。
私が高校時代溺愛していた馬、パーフェクトワールド(牝馬 鹿毛)が避難区域内にいたら、私はどうしていただろう。
あの子に毎日会えないなんて、生きていく価値がないと思えるほど大好きだった馬。
畜産家の方々の心を思うと、私まで張り裂けそうだ。
さて、先日の続き。
荷物を引き上げクライアント先のビルを出てまず向かったのは、徒歩10分以内にある新幹線の仙台駅。
どうしてもはずせない予定が11日の夜にあったため、なんとしても東京に戻りたかった私。
しかし、駅の周辺は人がごった返していて近づくことができなかった。
それでもなんとか駅に向かってにじり寄っていると、正面から来た男性が親切に教えてくれた。
「駅には入れないよ。新幹線もしばらくは無理だ。」と。
その頃から強い風と雪が舞い始めた。
とにかく、情報収集&安否連絡をするために落ち着ける場所を探そう!ということになり、
たどり着いたのが仙台駅から徒歩5分のシティホテルの外のスペース。
街路樹の周りにベンチがあり、とりあえずそこでパソコンを開くことにした。
携帯はすべて利用できなかったが、パソコンの通信に使用しているEmobileの電波は生きていて、
取り急ぎ職場にはチームメンバー全員無事であることを連絡できた。
そうこうしているうちに雪で視界が白くなり、キーボードを打つ手がかじかんできた。
それでも、カフェもショップもコンビニさえ開いておらず、寒さをしのげる場所はない。
途方に暮れかけた時、シティホテルのスタッフさんがホッカイロとバスタオルを配ってくれ、
それから1時間もしないうちに、安全確認の取れたホテルロビーに招き入れてくれた。
電気は通っていないが、雪と風と寒さをしのげるだけで、そこは本当に天国のようだった。
そして、そこが私たちチームと、一緒に避難することになった大勢の人たちのつかの間の我が家となった。
↑参加してます↑
まごころこめて育てた牛や馬や鶏を、そんな風にされて大丈夫な畜産家の方はいないだろう。
私の高校の隣にあった大学では馬・豚・ヤギ・ヒツジ・鶏・犬・ウサギ…などなど沢山の家畜(?)を飼育していた。
あの学校が福島第一原発のちかくにあったらどうしただろう。
私が高校時代溺愛していた馬、パーフェクトワールド(牝馬 鹿毛)が避難区域内にいたら、私はどうしていただろう。
あの子に毎日会えないなんて、生きていく価値がないと思えるほど大好きだった馬。
畜産家の方々の心を思うと、私まで張り裂けそうだ。
さて、先日の続き。
荷物を引き上げクライアント先のビルを出てまず向かったのは、徒歩10分以内にある新幹線の仙台駅。
どうしてもはずせない予定が11日の夜にあったため、なんとしても東京に戻りたかった私。
しかし、駅の周辺は人がごった返していて近づくことができなかった。
それでもなんとか駅に向かってにじり寄っていると、正面から来た男性が親切に教えてくれた。
「駅には入れないよ。新幹線もしばらくは無理だ。」と。
その頃から強い風と雪が舞い始めた。
とにかく、情報収集&安否連絡をするために落ち着ける場所を探そう!ということになり、
たどり着いたのが仙台駅から徒歩5分のシティホテルの外のスペース。
街路樹の周りにベンチがあり、とりあえずそこでパソコンを開くことにした。
携帯はすべて利用できなかったが、パソコンの通信に使用しているEmobileの電波は生きていて、
取り急ぎ職場にはチームメンバー全員無事であることを連絡できた。
そうこうしているうちに雪で視界が白くなり、キーボードを打つ手がかじかんできた。
それでも、カフェもショップもコンビニさえ開いておらず、寒さをしのげる場所はない。
途方に暮れかけた時、シティホテルのスタッフさんがホッカイロとバスタオルを配ってくれ、
それから1時間もしないうちに、安全確認の取れたホテルロビーに招き入れてくれた。
電気は通っていないが、雪と風と寒さをしのげるだけで、そこは本当に天国のようだった。
そして、そこが私たちチームと、一緒に避難することになった大勢の人たちのつかの間の我が家となった。
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どしゃぶりの昨日とは打って変わって、暖かい日差しと美しい青空に包まれた今日。
我が家の菜の花畑はこれでもかというくらい満開。
それにしても、相当遅咲き。
2月頃から咲きだす菜の花もあるので、
このまま咲かずに枯れるのではないかと本気で心配し始めた矢先、
ぽろぽろと花開き始め、あれよあれよという間にゴージャスに。
そして、背丈もぐんぐん伸びて菜の花らしい大きな株になった。
う~ん、春らしい。
寒い冬を小さな体で乗り越えて、沢山の花を咲かせてくれた。
これから毎年頼んだよ♪
話は変わって今日のリツ。
ねこ毛が舞い散り始めた今日この頃。
窓を開けて掃除機をかけていると、
リツが窓辺から動かない。
目線を追ってみると、お客様が。
生後半年ちょっとのタロちゃん(♂)。
目もあかない頃、三つ子でお隣の家に保護されたそうだ。
その後1匹貰い手が決まり、残る2匹のうちの片割れ。
最近やっと男の子らしい精悍な顔つきになってきた。
↑参加してます↑
我が家の菜の花畑はこれでもかというくらい満開。
それにしても、相当遅咲き。
2月頃から咲きだす菜の花もあるので、
このまま咲かずに枯れるのではないかと本気で心配し始めた矢先、
ぽろぽろと花開き始め、あれよあれよという間にゴージャスに。
そして、背丈もぐんぐん伸びて菜の花らしい大きな株になった。
う~ん、春らしい。
寒い冬を小さな体で乗り越えて、沢山の花を咲かせてくれた。
これから毎年頼んだよ♪
話は変わって今日のリツ。
ねこ毛が舞い散り始めた今日この頃。
窓を開けて掃除機をかけていると、
リツが窓辺から動かない。
目線を追ってみると、お客様が。
生後半年ちょっとのタロちゃん(♂)。
目もあかない頃、三つ子でお隣の家に保護されたそうだ。
その後1匹貰い手が決まり、残る2匹のうちの片割れ。
最近やっと男の子らしい精悍な顔つきになってきた。
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関東は桜の花が真っ盛り。
先週木曜と金曜は友人と夜桜を見に行き、日曜は甘母と昼間の桜を見に行った。
そして、今日はいもちゃん(妹)ちの近くの桜並木をご紹介。
あ、去年もやりましたね。
桜並木の中にすんでいるいもちゃん。
というと鳥とか虫のようだけど、あながち間違っていないのだ。
いもちゃんが住んでいるのは東京の下町。
川が沢山流れていて、そのうちの1本の川沿い。
窓を開けて下を見るとすぐに川。
その川沿いには桜並木。
3階建アパートの3階に住んでいるいもちゃん。
だから窓を開けると、この時期目の前は桜。
春になると、鳥たちが花粉や蜜を食べに来て、窓の外は大騒ぎになるそうだ。
来年の春も、この桜並木を見に来られますように…
最近、当たり前のように明日が来ることを信じたいと思うようになってきた。
裏を返せば、当たり前じゃないのかもしれないという疑いが生じているのかもしれない。
最悪の事態を頭の片隅に置き、最高の事態をイメージしながら、そのどちらにも対応できるように
柔軟な思考と心を持って生きていきたいと、心底思う。
あ、そういえば甘父は先週土曜日の朝ドイツ出張に旅立ちました。
今回はドイツ→チェコ→ハンガリー→ドイツという強行出張。
ちょうど桜が満開のころ、日本にいられないなんてかわいそうな人。
↑参加してます↑
先週木曜と金曜は友人と夜桜を見に行き、日曜は甘母と昼間の桜を見に行った。
そして、今日はいもちゃん(妹)ちの近くの桜並木をご紹介。
あ、去年もやりましたね。
桜並木の中にすんでいるいもちゃん。
というと鳥とか虫のようだけど、あながち間違っていないのだ。
いもちゃんが住んでいるのは東京の下町。
川が沢山流れていて、そのうちの1本の川沿い。
窓を開けて下を見るとすぐに川。
その川沿いには桜並木。
3階建アパートの3階に住んでいるいもちゃん。
だから窓を開けると、この時期目の前は桜。
春になると、鳥たちが花粉や蜜を食べに来て、窓の外は大騒ぎになるそうだ。
来年の春も、この桜並木を見に来られますように…
最近、当たり前のように明日が来ることを信じたいと思うようになってきた。
裏を返せば、当たり前じゃないのかもしれないという疑いが生じているのかもしれない。
最悪の事態を頭の片隅に置き、最高の事態をイメージしながら、そのどちらにも対応できるように
柔軟な思考と心を持って生きていきたいと、心底思う。
あ、そういえば甘父は先週土曜日の朝ドイツ出張に旅立ちました。
今回はドイツ→チェコ→ハンガリー→ドイツという強行出張。
ちょうど桜が満開のころ、日本にいられないなんてかわいそうな人。
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311回想シリーズその1、その2はこちら。
真っ暗な会議室から薄暗い廊下に出てみると、クライアント先のスタッフのみなさんも
事務所内から出てきたところだった。
ビルを出るように言われ、財布と携帯だけ持って階段室へ向かう。
大きな傘立てや書類棚が傾いたり倒れたりしていた。
給茶室のコーヒーメーカーが倒れ、セッティングされていた水と豆が散乱していた。
エレベーターホールの天井にはまっていたラグラーチェ5枚全てが床に落下していた。
階段は窓がなく真っ暗。
足元がほとんど見えない状態で、手探りで声を掛け合いながら下る。
息を吸うと粉っぽい空気がのどに入ってくる。
壁が剥がれたのか、足元は瓦礫だらけ。
7階から下るのがこんなに長いとは…と感じたころ、うっすらと外の明かりが入る1階に到着。
急いで外に出ると、大通りはビルから出てきた人で埋め尽くされていた。
ビルの真下は危ないということで、中央分離帯まで避難。
車通りは多いが、信号は消えたまま。
その時、東京にいる同僚から電話があったが、通信状況が悪く切れてしまった。
その後一切携帯がつながらなくなる。
(きっと、この頃海沿いの街に津波が押し寄せていたのだろう。
この後もしばらく情報が入らなかったため、我々が津波の被害を知ったのは翌朝だった)
中央分離帯にいる間も余震は続き、信号や道路標示、街灯が揺れてミシミシギシギシいう音が
絶えることはなかった。
今にも雪が降りそうな仙台の空。
長いこと外にいるのはつらい。
このまま外にいても動きが取れない。
揺れが落ち着いたのを見計らいパソコンや荷物を取りに戻ることに。
とはいえ、いつが「落ち着いた」状況なのか分からず、結局賭けのような感じでビル内に戻り、
さっき下った真っ暗な階段をまたもくもくと登る。
会議室に駆け込み仕事道具をキャリーケースに戻し、天井から降ってきた粉や漆喰の欠片で
真っ白になったパソコンとコートと自分の荷物(東京に戻る日だったためスーツケースも)を
持ってまた暗い階段を下りる。
いつ来るかわからない地震におびえ、焦りで指先が冷たく手のひらに汗をかいていたのを覚えている。
携帯の照明で足元を照らしながら階段を下りていると、壁が剥がれたと思っていた瓦礫は実は
天井が崩れたものだということが分かり背中がひんやりする。
3F4Fの踊り場の壁には横に向かって大きなヒビが入り、壁が剥がれていた。
もう一度外に出てやっとほっとした。
つづく
先週までの2週間ほど美しく庭を彩ってくれたハクモクレンは週末の大風でほとんど
花びらが落ちてしまった。
また来年会えるのを楽しみに。
明日で震災から1カ月。
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真っ暗な会議室から薄暗い廊下に出てみると、クライアント先のスタッフのみなさんも
事務所内から出てきたところだった。
ビルを出るように言われ、財布と携帯だけ持って階段室へ向かう。
大きな傘立てや書類棚が傾いたり倒れたりしていた。
給茶室のコーヒーメーカーが倒れ、セッティングされていた水と豆が散乱していた。
エレベーターホールの天井にはまっていたラグラーチェ5枚全てが床に落下していた。
階段は窓がなく真っ暗。
足元がほとんど見えない状態で、手探りで声を掛け合いながら下る。
息を吸うと粉っぽい空気がのどに入ってくる。
壁が剥がれたのか、足元は瓦礫だらけ。
7階から下るのがこんなに長いとは…と感じたころ、うっすらと外の明かりが入る1階に到着。
急いで外に出ると、大通りはビルから出てきた人で埋め尽くされていた。
ビルの真下は危ないということで、中央分離帯まで避難。
車通りは多いが、信号は消えたまま。
その時、東京にいる同僚から電話があったが、通信状況が悪く切れてしまった。
その後一切携帯がつながらなくなる。
(きっと、この頃海沿いの街に津波が押し寄せていたのだろう。
この後もしばらく情報が入らなかったため、我々が津波の被害を知ったのは翌朝だった)
中央分離帯にいる間も余震は続き、信号や道路標示、街灯が揺れてミシミシギシギシいう音が
絶えることはなかった。
今にも雪が降りそうな仙台の空。
長いこと外にいるのはつらい。
このまま外にいても動きが取れない。
揺れが落ち着いたのを見計らいパソコンや荷物を取りに戻ることに。
とはいえ、いつが「落ち着いた」状況なのか分からず、結局賭けのような感じでビル内に戻り、
さっき下った真っ暗な階段をまたもくもくと登る。
会議室に駆け込み仕事道具をキャリーケースに戻し、天井から降ってきた粉や漆喰の欠片で
真っ白になったパソコンとコートと自分の荷物(東京に戻る日だったためスーツケースも)を
持ってまた暗い階段を下りる。
いつ来るかわからない地震におびえ、焦りで指先が冷たく手のひらに汗をかいていたのを覚えている。
携帯の照明で足元を照らしながら階段を下りていると、壁が剥がれたと思っていた瓦礫は実は
天井が崩れたものだということが分かり背中がひんやりする。
3F4Fの踊り場の壁には横に向かって大きなヒビが入り、壁が剥がれていた。
もう一度外に出てやっとほっとした。
つづく
先週までの2週間ほど美しく庭を彩ってくれたハクモクレンは週末の大風でほとんど
花びらが落ちてしまった。
また来年会えるのを楽しみに。
明日で震災から1カ月。
↑参加してます↑
私は、日本は一つの船だと感じる。
今までそんな風に感じることはなかったのに。
地震と津波と原発で船底に穴が開いてしまった船。
その穴を全力で埋める人がいる。
その穴から入ってきてしまった水を外に掻き出している人がいる。
以前に同じような体験をして修理のノウハウを伝えている人がいる。
穴が開いた衝撃で怪我をしてしまった乗組員の救護をしている人がいる。
全力で助けようとしてくれている他の船に乗っている人もいる。
そして、推進力が落ちないように通常通り必死で船を漕ぐ人がいる。
私は今は船を漕ぐ係だ。
でも必要とされれば穴をふさいだり怪我の手当てをする人になる。
そう思って船を漕ぐ。
気持ちは一つ。
そう思って自分にできることをやっていこうと思う。
Pray For JAPAN
日本のチカラを 信じてる。
↑参加してます↑
【3月11日金曜日】
朝、出社中に私が仙台にいると知った友達からメールがあった。
返信する際に、「今日東京に戻れるの♪これ以上大きな地震が来て新幹線がとまらないといいんだけど…。」
という不吉極まりないメールを送っていたことに、読み返していて気がついた。
通常通り仕事を開始し、週末で作業が立て込んでいたこともあり、ランチはちかくのハンバーガー屋さんで
軽くすませることに。
避難訓練させられてるの。
13時にはクライアント先に戻り、各自粛々と作業。
14:00からはクライアントとミーティングがあり、ミーティング中に14:46を迎えることになる。
最初からかなり大きな揺れであっという間に椅子に座っていることすらできなくなった。
「地震が来たら机の下にもぐって頭を守れ」
小学校の避難訓練で何度もやったことだ。
知識としてはもちろんあるが、実際に椅子から転げ落ちそうな揺れの中では、
机の下に移動することなんて到底不可能のように感じた。
これ、ずっと前に買った気力を奪うベスト。
骨董品なんだろう、細かい彫刻が施された飾り棚(箪笥?)が踊るように動き倒れてきた。
テーブルの上にあったお茶碗や書類がばらばらと床に落ち、作った書類にコーヒーがこぼれる。
巨大なテーブルと壁の間に椅子をおいていた私は、テーブルが移動してつぶされてしまわないように、
パソコンがテーブルから飛び降りてしまわないように、両方を押さえつけながら椅子から転げ落ち
ないように手足を踏ん張っていた。
やっぱだめだわ。やる気が…
先輩が一人そんな状況の中でドアを開けてしがみつき、我々の退路を確保してくれていた。
そのうち、ミシミシいっていた壁や天井から漆喰の粉のような白いものが部屋中に充満して
息が苦しくなってきたところで、暗転。停電したのだ。
粉とともに漆喰のかけらや壁の破片などが頭上からバラバラと降ってくる。
そうこうしているうちに揺れが収まり始め、私たちは会議室から飛び出した。
つづく
どんどん失せてく~ぅ。。。
***********************************************************************************
次に地震が来た時に、(もちろん来てほしくはないが)リツコトのごはんに困らないように
と思って1食分が袋分けされているサンプルとペットボトルの水を使っていないキャリーに収めた。
それに加え、避難所生活をしなければならなくなった場合でねこを連れていける状況だった時の為に
リツコトが大嫌いなベストとリードを準備。
そうじゃなくても、ベストは寒さ対策・リードは何かしら役に立つだろう。
人間の食事は数日我慢すれば手に入るようになる。
あたりまえだけど、ペットは二の次三の次になる。
リツコトを守る手立ては、自分自身でたてておかなければならない。
***********************************************************************************
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朝、出社中に私が仙台にいると知った友達からメールがあった。
返信する際に、「今日東京に戻れるの♪これ以上大きな地震が来て新幹線がとまらないといいんだけど…。」
という不吉極まりないメールを送っていたことに、読み返していて気がついた。
通常通り仕事を開始し、週末で作業が立て込んでいたこともあり、ランチはちかくのハンバーガー屋さんで
軽くすませることに。
避難訓練させられてるの。
13時にはクライアント先に戻り、各自粛々と作業。
14:00からはクライアントとミーティングがあり、ミーティング中に14:46を迎えることになる。
最初からかなり大きな揺れであっという間に椅子に座っていることすらできなくなった。
「地震が来たら机の下にもぐって頭を守れ」
小学校の避難訓練で何度もやったことだ。
知識としてはもちろんあるが、実際に椅子から転げ落ちそうな揺れの中では、
机の下に移動することなんて到底不可能のように感じた。
これ、ずっと前に買った気力を奪うベスト。
骨董品なんだろう、細かい彫刻が施された飾り棚(箪笥?)が踊るように動き倒れてきた。
テーブルの上にあったお茶碗や書類がばらばらと床に落ち、作った書類にコーヒーがこぼれる。
巨大なテーブルと壁の間に椅子をおいていた私は、テーブルが移動してつぶされてしまわないように、
パソコンがテーブルから飛び降りてしまわないように、両方を押さえつけながら椅子から転げ落ち
ないように手足を踏ん張っていた。
やっぱだめだわ。やる気が…
先輩が一人そんな状況の中でドアを開けてしがみつき、我々の退路を確保してくれていた。
そのうち、ミシミシいっていた壁や天井から漆喰の粉のような白いものが部屋中に充満して
息が苦しくなってきたところで、暗転。停電したのだ。
粉とともに漆喰のかけらや壁の破片などが頭上からバラバラと降ってくる。
そうこうしているうちに揺れが収まり始め、私たちは会議室から飛び出した。
つづく
どんどん失せてく~ぅ。。。
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次に地震が来た時に、(もちろん来てほしくはないが)リツコトのごはんに困らないように
と思って1食分が袋分けされているサンプルとペットボトルの水を使っていないキャリーに収めた。
それに加え、避難所生活をしなければならなくなった場合でねこを連れていける状況だった時の為に
リツコトが大嫌いなベストとリードを準備。
そうじゃなくても、ベストは寒さ対策・リードは何かしら役に立つだろう。
人間の食事は数日我慢すれば手に入るようになる。
あたりまえだけど、ペットは二の次三の次になる。
リツコトを守る手立ては、自分自身でたてておかなければならない。
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