2023年3月初旬の寒さが緩んだ日に、急遽な感じで伊賀鉄道に輪行チャリ鉄活動をしに行きました。その前月の2023年2月13日、漫画家の松本零士先生が御逝去されました。ご冥福をお祈り申し上げます。宇宙戦艦ヤマトや宇宙海賊キャプテンハーロック、銀河鉄道999などなどの名作を世に送り出した松本零士先生ですが、鉄道との関わりも何件かあって、その中で、元近鉄線で近鉄から経営分離され系列子会社を経たのち上下分離経営となった伊賀鉄道には、松本零士先生の作画された“忍者列車”が走り、忍者のまち伊賀市のランドマークとして伊賀市民の足としてガンバっています💪。
前年に、境遇の似ている養老鉄道で輪行チャリ鉄しましたが、今回は巨匠を追悼としての伊賀鉄道線を訪線しました。営業キロ数16.6kmのローカル私鉄です。
京都から伊賀市なら日帰り圏内で、早朝にくるまを走らせて、9時頃までに今回のベース地点となる伊賀神戸(いがかんべ)駅に到着。近鉄線と伊賀線の共同駅ですが、改札は別々に分かれていて一旦改札を出てからの乗り換えになっています。経営分離される前は当然同一ラッチ内での乗り換え駅だった事でしょう。駅周辺はお店とかが全然無いですが、何故か駅前駐車場はたくさんあります。近辺のゴルフ場へのために置かれているのでしょうか。送迎バスの停留所があったりもします。
伊賀神戸駅の次の駅は比土(ひど)駅。線路に沿った道路がないのでだいぶ迂回して国道422号線で比土駅に向かう感じに自転車を走らせて到着。ここも駅周囲に何も無い感じで田んぼばかりが目立ちます。ちょうど緑の忍者電車が到着しました。
次の駅までは、伊賀線内では一番駅間が長い2.6kmの距離があり、また全線中で標高の一番高いところを通ります。伊賀線の東側を走って行くと、途中に何か公園のようであるが、フェンスとチェーンで施錠されて出入り自由じゃない感じの施設があって、城之越(じょうのこし)遺跡と看板が出ています。後で調べてみたら、古代の日本庭園のルーツであるように“伊賀上野観光協会”のサイトに書かれています。なるほど公園じゃない訳です。この横を更に進んでいき、貯水池が散在する30m程の丘陵を登り下っていったところで、次の駅上林(うえばやし)駅に到着です。駅周囲はここも基本的に田んぼばかりです。
伊賀鉄道では比土駅~新居駅のあいだでサイクリングトレインを実施していますが、スロープのない駅では階段に板張りスロープを設置しています。近江鉄道にもこんな感じのサイクリングトレイン対応策を見ることができます。
線路沿いのあぜ道を行けると思ったら道が途切れていたので、国道422号線まで降りて次駅をめざします。途中の丸山交差点付近は低地で浸水しやすい土地の様で、何やら注意を促す看板が多く掲出されています。この交差点から入り込んだところが、次の駅丸山駅です。僅かな集落と田んぼばかりの周辺風景です。くノ一グラウンド前駅との副名称が付けられています。近くにある元丸山小学校の校舎とグラウンドが、なでしこリーグ所属の女子サッカーチーム『伊賀FCくノ一三重』の練習場となっているためとのことです⚽️。
因みに、チームの幟に描かれているマスコットキャラは、“くノんちゃん”と名付けられ、ゆるキャラ系のかぶりものも居られますが、なかなかかわいいかも知れないです。
丸山駅は、島式2線の交換可能駅で、ちょうど2列車が交換待ちをしました。
緑の忍者電車(元東急1000系電車)は、よく見たら全面に中間車時代の雨樋が丸出しで残っていて、見ようによってはJR西日本の113系3800番台通称サンパチ君をも想起する安価改造をされている印象を受けます。でも、くノ一忍者顔ラッピングのおかげか幾分目立ちにくくはなっています。これは、松本零士先生がよい仕事をしたという功績に当たるのでしょうか…?
なお、隣に停まっているピンク色忍者電車は、元々の運転台付きの顔をしています。でも伊賀線移籍に際して正面行先表示器はLED表示の小さいものに変えられているっぽいです。
丸山駅でちょっと長く居座ったところから次駅へ向かいますが、ちょっとだけ元丸山小学校の伊賀FCくノ一の練習場まで行ってみました。しかし、残念ながら平日だからか逆に誰もいませんでした。
集落内の道と国道422号線を繋いで、次の駅、依那古(いなこ)駅に到着です。先の丸山駅と同じくらいの立派な駅舎がありますが無人駅です。乗降人員的には丸山駅の2倍以上居られますが、それでも二桁の数字です。駅周辺の民家の割合はちょっと多くなってきています。
写真は撮り忘れたのですが、依那古駅から次に向かう道中の田んぼの脇のほうに、新しい建物で何かメルヘン調のかわいらしい建物があって、『いなこ保育園』とのことでした。長野県安曇野市の長野県立こども病院ほどの規模ではないけど、あれと似た様なほほえましい外観の子ども用施設なので、リンクで紹介致します。
そんな沿線施設を見ながらも、線路沿いの田んぼのあぜ道を漕いで、次の駅、市部(いちべ)駅に到着です。
副名称で「ゆめぽりす伊賀前駅」と付けられています。しかし、その伊賀市ゆめぽりすセンターは、駅から1.2kmほど離れた丘の上のニュータウンの中にありちょっと遠い様です。駅の周辺は田んぼと河川敷があるばかりで、何か所かある集落もちょっと駅からは離れ気味です。にも関わらず、比土駅よりも結構多いので、なかなか不思議な状況です。
市部からは田んぼの中をまっすぐに走る伊賀線に沿う、田んぼのあぜ道を伝って、次の駅、猪田道(いだみち)駅に到着です。相対式ホームで交換可能駅であり、無人駅ですが小さくも立派な駅舎があります。この駅も元々は有人駅だった雰囲気を残しています。
猪田道駅の東側には小さめの集落がありますが、そのほかはやっぱり田んぼばかりの地域なので乗降は少なそうな駅でもあり、無人駅化も止むない感じの駅です。
猪田道駅から次の駅までは、伊賀市街地の丘陵地帯に30m程の高度を登っていくのですが、登り切ったところから急に市街地になってたりして、こういう巡り方をしていると、伊賀市の地形的特徴についてもがっつり体感出来てしまいます。
住宅街と旧街道っぽい道を走り抜けて、次の駅、四十九(しじゅく)駅に到着です。1面1線の単線駅で、副名称に『イオンタウン伊賀上野前駅』とあるようにイオンのショッピングセンターの最寄り駅です。見たとおりとても新しい駅で、地元住民による請願で2018年に出来た駅。なお、元々は現在地より300m程南側にあった駅で1945年まで営業していたがその後廃止され、こちらに復活した駅であるようです。
四十九駅から旧街道的な先の道に戻り北上していき、名阪国道の下の伊賀線の踏切を渡って行くと、次の駅桑町(くわまち)駅です。ここも1面1線の単線駅ですが、駅周辺にマンションが3棟ほど建ち、市街地感が強くなってきます。でも線路の向こう側は田畑が残っていたりする環境で、いい感じに昭和から時間が止まったような小さな駅舎と、駅舎の前の手作り花壇とかがかもし出す、長閑な空気が流れています。
ここで、缶コーヒーを自販機で仕入れて小休止しました☕️。ここの駅までは駅名標には気付きませんでしたが、桑町駅のものは伊賀鉄道マスコットキャラの“ふくにん”のイラストが入ったものになっていて、沿線住民に親近感をアピールしている感じです。
桑町駅で小休止したあと、駅横の久米川を渡って市の中心部に向かって少し坂を登っていく。イオン伊賀上野店の横を通って、次の駅、茅町(かやまち)駅に到着です。副名称が「ライフラインの上野ガス」。駅裏手にガスの会社があります。島式ホーム1面2線の交換可能駅で係員駐在駅です。
…ここで、実は大変な見落としがありました。茅町駅舎の線路反対側の真南側に、松本零士先生が創った『太陽系モニュメント』と名付けられた作品が設置されていたのを帰宅後に知ることとなり、残念なことをしてしまいました。Google Mapによると、鉄道車両の車輪を太陽に見立てて、太陽系の立体モデルを表現している作品のようです。(なおこの件は再訪線して改めてここに書き足すかも知れません🙇♂️)
茅町駅に重大な見落としがあったことに気が付くこともなく、次の駅を目指して古い街並みの中を自転車を進めます。…結構癒しの風景かもです。そして次の駅、広小路(ひろこうじ)駅に到着です。1面1線の単線駅ですが、駅のホームも曲線上で、上下両側の線路もきつい目の曲線になっていて、見通しの悪い線路です。とくに伊賀神戸側は、列車が線路際の壁に擦れそうな気がするほど密集した街中の線路になっています。
ここから次の駅、伊賀鉄道の一大拠点駅、上野市駅までは線路では0.5kmで約500メートルって事になりますが、道路で線路を追いながら行くとちょっと遠回りになって、800メートル程の距離になってしまいましたが、上野市駅に到着です。副名称は“忍者市駅”ですが、正式名称を差し置いてデカデカと表示されていてちょっと可笑しいです♪
“忍者駅”アピールをする小道具がいろいろと散りばめられていて、独特の雰囲気が漂います。
駅の入口からロータリー側を見たところに、今回の目標物でもある、松本零士先生の創ったメーテルと星野鉄郎のブロンズ像モニュメントと対面です。創作時当初は伊賀市の新興ニュータウンであるゆめが丘に置かれていた様ですが、伊賀鉄道の利用促進と観光資源化を併せて“忍者市駅”前に移設された様です。
松本零士先生創作のこんな感じのモニュメントは、各地の他の場所にも何か所かあり、地域まち興しにすごく協力的積極的だったりな姿が見て取れます。そして、松本零士先生のそれらの創造物作品たちは、この世を去られてからも燦然と姿を残し名も残していきます。これは松本零士先生だけの事ではない話ですが、ものを創る、絵を創る才能に溢れた人たちのすごいところと僕は思っていて、本当に尊敬してしまいます。それ故にTwitterでもそんな人たちを大変リスペクトしてフォロー入れたりしています。しかし僕にはとくに絵心、ってか絵を描くセンスが全く欠如しているものなので、このBlogなんかは、文書なら何か残せへんかなぁ、、、とかの、クリエイターな人たちへの憧れみたいな思いから、何年続けてても全然文章力の付かないにも関わらず懲りもせず続けている、と言うところです。 夢 …ですかね?
…ちょっと個人的な“描く・創る”への思いで脱線しました。“忍者市駅”でお昼を回ってしまいましたが、上野城趾の下の方のロードサイド店街の牛丼屋で早くて安いお昼を食してから、次の駅へ向かいます。国道163号線上から上野市車庫をちょろっとのぞき見しながら、次の駅、西大手駅に到着です。駅名通り城趾の大手門の西側の地域です。1面1線の単線駅で駅舎のある無人駅です。
伊賀線は、上野市駅で伊賀神戸方面と伊賀上野方面でほぼ系統が分かれていて、これは、近鉄線連絡に合わせた運行と、JR関西本線連絡に合わせた運行にしている為で、上野市駅をまたぐ一部列車もあるものの、これが基本のようです。故に、上野市駅からこちら側は列車本数が少なくなっています。駅周辺はまだ民家も多く、上野市駅から続く古い市街地ですが、駅には過疎感が漂っています。
西大手駅から北西方面に向かう線路は、上野市街地の台地から下に降りて行きます。線路周囲に田んぼも増えて来ます。国道163号線小田西交差点近くにはロードサイド店舗が集まっているので、ここに駅が出来たら集客になりそうに思ってしまいますが、伊賀上野方面に電車本数を増やすのは無理ゲーと思われ、費用対効果、出ないかもですね。線路はエクセディーの工場の裏手を通って服部川の鉄橋を渡り、次の駅、新居(にい)駅に到着です。1面1線の単線駅で、副名称が『伊賀を守る上野遊水池』。
駅の西側には民家が点在するけど、その東側は遊水池になる田畑が広がり人家は全くありません。
そして、新居駅からは線路に沿った道で1km弱の駅間を走りきると、最後の駅、伊賀上野駅に到着です。これで伊賀神戸駅から伊賀上野駅まで伊賀鉄道沿線全線併走が完了しました。
伊賀線は、JRの駅に間借りしたかたちで線路が敷かれています。
上野市駅から北方向のここまで単線で来ているので、1列車が往復するだけの線路です。1時間に1本ほどのJRにあわせて連絡しているのでこの設備で適正な様です。
ここから輪行して全線完乗するために乗る電車が、入ってきました。青い忍者電車の上野市駅行きです。元東急時代(1000系電車)の原型に近い車両です。車内に入ると一部クロスシートに改造されてますが、京阪京津線800系に似た座席が置いてあって驚きます。後で調べたら昔京阪9000系に使ってた座席との事で、意外なリサイクルが行われていて、おもしろいです。
私は伊賀神戸駅まで戻る必要があるので、上野市駅で乗り接ぎです。ピンク色の忍者電車が待っていました。
今日走ってきた沿線を車窓に眺めつつ、のんびりと各駅に停まっていき、伊賀神戸駅に到着。伊賀鉄道全線完乗完了です♪
このあと、伊賀市の温泉にてほっこりしてから帰宅しました♪
なお、今回の旅から、スマホの位置情報ゲーム『駅メモ・ステーションメモリーズ』を使用して、訪問した駅を記録するようにしました。伊賀線完乗コンプリートが付きます。ただ、ゲームの仕組みをあんまりわかっていないので、ゲーム参加度は低い感じで推移しています。。。
↓ STRAVAで記録した伊賀鉄道線伊賀神戸~伊賀上野駅までの走行ルート
…拙い旅のお話ですが、最後まで拝読くださいましてありがとうございました。
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