「名張毒ぶどう酒事件」。52年前の1961年(昭和36年)に、三重県名張市の小さな村で起きたこの事件を、今となっては知らない人の方が多いのではないだろうか。村の公民館での懇親会の席上、ぶどう酒を飲んだ女性5名が死亡した事件。マスコミで大々的に報道されたこともあり、当時受験生だった私は良く覚えていて、大学生になってから、冤罪を訴える本を2冊読んだこともあった。時折報道されるドキュメンタリ番組を観たこともあったが、記憶から消えかかっていた。
獄中から半世紀以上にわたり、無実を訴え続けている死刑囚がいる。奥西勝、86歳。奥西は一度は犯行を自供するが、逮捕後、一貫して「自白を強要された」と主張し、一審は無罪。しかし2審で死刑判決。1972年、最高裁で死刑が確定。戦後唯一、無罪からの逆転死刑判決で、判決後繰り返される再審請求とその棄却。
冤罪の可能性が高いと信じる東海テレビは何度もドキュメンタリー番組を制作・報道してきたが、世に訴える力の弱さを感じた同社ニュース報道部長斎藤潤一が監督して、新たに制作したテレビドラマを劇場公開したのだ。奥西勝に仲代達矢、母タツノに樹木希林、若き日の奥西に山本太郎らの配役。
映画は渋谷「ユーロスペース」で2月16日~24日まで上映(この映画シニア割引で1200円)。私達は2月17日(日)に出掛けた。朝10時40分の部でもかなり混んでいたが、昼からの部には入場待ちの列も出来ていて、この映画への関心が高いことが窺える。
映画は、ドキュメンタリーのように、過去の映像が所どころ挿入されている。
仲代と樹木の迫真の演技。獄中で過ごす死刑囚と、故郷を追われ、名古屋のとある村で一人生きる母との往復書簡を基にしての場面が胸に迫り来る。
映画は7回にも渡る再審請求の経過をも詳しく追い、日本の司法制度の問題点にまで迫る。
奥西逮捕後、彼の供述とは矛盾する、村人の証言内容がことごとく変化する。
第5次再審請求では、彼が噛んで開けたとするぶどう酒の王冠(唯一の物証)に付いた歯型と、奥西の歯型が全く違うという、日本大学の3次元解析結果を提出するも、再審請求棄却。
第7次再審請求では農薬ニッカリンTが登場。ぶどう酒に混入したとされるニッカリンは40年前に製造を中止。その農薬を見つけるのは困難を極めるが、インターネットを通じて、未開封の農薬を入手しての解析で、入れられた毒はニッカリンTでない事を証明。2005年4月、名古屋高裁は再審開始の決定。
しかし2006年12月、名古屋高裁は「再審決定を棄却」。再び門は閉じられた。その理由は「死刑が予想される重大犯罪で嘘の自白をするとは考えられない」との自白重視の決定。憲法38条の3「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」はどこに行ったと思わず、心の中で叫んでしまった。
獄中で既に50有余年、帝銀事件平沢死刑囚と同じように、司法界は彼の獄中死を待っているかの様だ。
「無実の判決を」と言う請求では無い。「再度慎重な裁判を」との、50年来の切なる願い。それくらいの思いには応えるべく門戸を広げよ!裁判所と思う。
彼は今、八王子医療刑務所の病床にいて、第7次再審請求・第2次特別抗告を最高裁に要請している。日本の官僚機構のなかで一番に改革されなければならないのは裁判所だとつくづく思う。微かに期待した民主党政権には、この点でも幻滅。傍観者から、いとせめて、一歩抜け出したい。
2月3日、歌舞伎俳優の市川団十郎さんが、肺炎のため66歳で急逝された。衷心よりお悔やみを申し上げ、ご冥福を祈ります。
昨年末には中村勘三郎さんが57歳で亡くなったばかり。新歌舞伎座での舞台に立てなかったお二人の無念さを想う。こけら落とし興行の6月には「助六」が予定されていたそうで、団十郎の雄姿を二度と観られない残念さがこみ上げてくる。
団十郎を最後に観たのは、昨年の10月「大歌舞伎」。夜の部の「勧進帳」での富樫役で、弁慶は松本幸四郎。二人の役どころは昼と夜で逆転し、昼の団十郎は見なかったが、弁慶役で『団十郎の心は富樫にはなく、ただ義経を守ることにある。それは富樫との対決が済み、酒を勧められて舞う時にも現れて、主君一筋の武骨な漂泊者の悲しみがそくそくと伝わってくる』との劇評にある様に、男気豊かなで、豪快な荒事(あらごと)を得意にした舞台を何度かは観られたのに・・・。
朝日新聞には『2011年から全国骨髄バンク推進連絡協議会長として患者の支援活動に励んでいた。自身が出演する公演には、白血病患者や家族を無料で招待していた』とも紹介されていた。
それにしても歌舞伎役者とは何と体力・気力を必要とする稼業なのか。この2年数ヵ月の短い歌舞伎見物でも、”舞台に命を掛ける”との表現がぴったりする様な場面の身近にいた事になる。
11月2日に観た「吉例顔見世大歌舞伎」での片岡仁左衛門。病の片鱗をも見せず元気に出演していたのに、体調不良のため翌日から休演。復帰は23日となる重い病だった。
2年前の9月歌舞伎「沓手鳥孤城落月」の淀君と「口上」に出演した中村芝翫は、確か1日の出番で病に倒れ、10月10日には亡くなられた。代役は福助だった。恐らく病をおしての舞台と稽古だったろう。
市川染五郎が上演中の舞台で奈落に転落したのは8月27日。重傷で危うく一命を取り留めた。9月1日開幕の「秀山祭九月大歌舞伎」観劇時に、当然彼の姿は無かった。
以前に増して歌舞伎に関心が向くようになっている。新歌舞伎座にも興味が湧く。
日中国交正常化40周年を記念して「中国 王朝の至宝展」が東京国立博物館で開かれている。しかしお祝いムードは全くない。尖閣諸島問題で冷え切った日中関係の帰結するところは、入場の際の荷物検査であった。
12月12日(水)、東京国立博物館に出掛けると、そこで待っていたのは荷物検査。ここには、空港や裁判所の様な探知機は無いので、バックを開けての内部検査。不逞の輩の暴挙を恐れての処置でやむを得ないと理解しながらもやや不愉快。
しかし展示内容は国宝級の「一級文物」が約60%というスケールの大きさで、貴重な文物が168件も展示されるという素晴らしいものであった。展示は、歴代の中国王朝の成立順に次の六章から構成されていた。
第一章 王朝の曙 蜀vs夏・殷
第二章 群雄の輝き 楚vs斉・魯
第三章 初めての統一王朝 秦vs漢
第四章 南北の拮抗 北朝vs南朝
第五章 世界帝国の出現 長安vs洛陽
第六章 近世の胎動 遼vs宋
6000年ともいわれる歴史を持つ中国のあまたの王朝。その歴代王朝の都ないし中心地域に焦点を当て、それぞれの地域の特色ある文物を対比するという手法を取っていたが、スケールが大きすぎて、残念ながら、私にはその歴史的・文化的意味をよく理解出来ない点が多々。 この膨大な展示物のなかで特に印象に残ったのは3つ。その一つが跪射俑(きしゃよう)。秦の始皇帝は、生前から自らが入る巨大な陵墓を造営した。その遺産の一つが6000体以上もの兵士や馬の人形が埋められていた兵馬俑坑。跪射俑は兵馬俑のひとつ。そこに人がいるかの様な実にリアルな兵士だ。
金剛神坐像の印象も強烈だ。長安城の北東区域に建立された安国寺の跡から出土した大理石製の仏像。唐時代盛期の密教系仏像の貴重な遺例だそうで、躍動的で華やかな雰囲気を持つ仏像さま。 一番驚いたのが2001年に発見され、大きな話題をよんだ阿育王塔。南京市の長干寺の地下から近年出土した、新発見の金の仏塔で、高さが1mを超えるとか。この様なものが、漸く今世紀に入って発展される、中国と言う国の、底の深さと長き歴史を思い知らされる。(写真:阿育王塔)
日中の関係を考えるとき、暫くはこの様な規模の展示が行われるとは考えらない。今回の機会を逃したら阿育王塔に触れる機会は無かっただろうと思え、ここに足を運んのはラッキー、と思ったのでした。
11月18日(日)の旅に出る前日から、咳が酷かった。旅の間中、それに苦しめられながらも、途中からの帰京となるのが無念で、温泉にも入らず日程通りに行動した。
帰京した翌日の23日(勤労感謝の日)が39°台の高熱で、慌てて文京区の当番医の先生に診て頂いた。レントゲンを取り、肺炎では無いらしいとの診断。薬を多種頂いて、きちんと飲んだら咳は残ったが、熱は引いた。その時の話で「マイコプラズマ肺炎が流行」との話を聞いた。
26日(月)になって、漸く掛り付けの先生に診て頂いて、やはり薬を頂いてきちんと飲んだが、その日に再度の高熱。
ネットで調べると「マイコプラズマ肺炎」の症状に似ている。そうでは無いかも知れないが、兎も角、寝ているに限る。勤務も約束もキャンセルし、旅でのブログも書きかけで中止している。
マイコプラズマは、風邪ともインフルエンザとも違うとの事。皆さんもくれぐれもご注意、かつ適切な対応を。
今日のブログは家人からの特別寄稿です。家人も「さっちゃんの源氏物語」というタイトルのブログを開設していますが、今日の内容は「癌」に関する事柄で、自己のブログが「源氏物語」に特化しているのに対し、私のは”なんでも”ありのブログで、かつ読者も多そうなので、こちらに投稿したいとの、楽屋裏での話し合いの決着がつきまして、珍しいケースとなりました。以下は、文責は家人にありです。
胃を全摘してから4年になります。過去2回のオリンピックの度に手術していたので、今年もどきどきものでしたが、無事に通過したようです。前々回では食道側を残しての切除で、転移を心配していたのですが、同じ胃に、再発ではなくてまた癌が出るものなのですね。同じ畑の中に種が残っていて、遅く発芽した感じ。
ところで、全摘して2ヶ月位したころから、逆流症状が頻繁に起きるようになりました。それが、何の前兆も脈絡もないようで、胃がないものですから、腸液がストレートに上がってくるわけです。苦くヒリヒリした液で、食道がやられてしまう感じです。さらにまずいことに、眠っているなど防御態勢の無い時には、肺の方に行ってしまう、肺炎になってしまうのです。2009年中は、2~3ヵ月毎に肺炎になっていました。
今はさすがに身体が反応して逆流と同時に目が覚めるので減っていますが、その代わり睡眠が浅く短く、困ったものです。その他にも種々の「後遺症」があるのですが、ネットを見たりして、それなりに過ごしていました。
先日、新聞で、表題の本の紹介を見て、区の図書館に予約を入れてみました。予想通り、無かったのですが、買っていただけるように手続きしました。自分で買ってもいいのですが、多分、後遺症に悩む方は多いだろうと思うからです。電話を下さった係りの方もその趣旨をご理解下さり、今、パソコンの脇にあります。文京区に感謝します。
何と、すでに予約があるのですよ!
胃癌というのは、おそらく癌の中では、「たちのよい」方だと思います。けれども、それと、後遺症の辛さとは別です。症状だって、個人々々、全く違いますが、また共通点もあります。色々な症状があって、それが、1人々々にトッピングされているのですね。
この本は、「胃切者が語る後遺症とその克服法」との副題が示す内容です。4年前に知っていれば、もう少し快適な4年間だったことでしょう。このブログをご覧になった方や、そのお知り合いに胃切者(癌だけではなく胃潰瘍も同じです)がいらしたら、お勧めいたします。
私のために買ってくれたみたいな気持になっていたら、予約も入ってしまっているので、延長はできません。1,890円は痛いですが、これから先も長い?ので、買いに行くことにしました。
桐書房(03-5940-0682)は、同じ町内なのでした!