一昨年の大晦日、40年来の友人Tさんが突然に意識を失って倒れ、救急車で運ばれた。病院のベッドに到着するまでに2度の心肺停止。原因は肺塞栓症(はいそくせんしょう)だった。
肺塞栓症とはエコノミークラス症候群とも呼ばれ、心臓から肺へ血液を運ぶ血管である肺動脈に、血液の塊や脂肪の塊が詰まり、肺動脈が閉塞してしまう病気とは後日に知ったこと。彼女の肺塞栓症はその後のCT検査の結果「血栓はごく小さくなっており血流に問題はない」との診断がされたが、心肺停止の影響は甚大だった。
2月に、夫さんから来たメールには「手足・声・排泄・食事は他人の世話無しには出来ません」と書かれ、その段階では「お見舞い・面会は遠慮願っています」とのことだった。今後のリハビリにもよるだろが、体の自由を失う可能性が強いと感じられ、介護の大変さやご家族の心中は如何ばかりかと思われた。本人の無念さを思うと私も辛かった。
その後転院を繰り返すようになり、なかなか落ち着かないこともあり、お見舞いに行くことは叶わなかった。
10月になり、夫さんから来たメールには「急病以来既に10ヶ月経過しました。が、その後大きな変化はありません。転院すること4回目で漸く現在の介護付有料老人ホームに落ち着きました。小規模ホームですが看護師・介護士共に親切でアットホーム的雰囲気は悪い感じがしません」と書かれていたが、お見舞いOKとまではいかなかった。
11月にお見舞いに行った方がある事を知り、2月のある日、元同僚3人でお見舞いに行って来た。
実は私は、早くお見舞いに行きたいとの思いとは逆に、お見舞いに行くのが怖くもあった。彼女とは、職場の仲間と一緒に山や温泉に何度も行った。二人とも子連れ参加の温泉行もあったな。それと別に、職場での分会活動での”戦友”でもあった。指示通りのストがきちんと打てない職場で”指示通り”を提案した少数派でもあったな。
彼女に誘われて、「有機農業運動」を目指す会の一員に加わり、山形へ援農に行たことも何度かあった。倒れる前2ヶ月前には、その「創立30周年記念行事」で一緒に赤湯温泉に行って来たばかりだった。
積極的に行動する彼女にはまだまだやりたいことが沢山あったはず。彼女の無念さを思うとその現状を認識するのが怖かった。
介護付き有料ホームは周りに畑などあって、長閑な雰囲気の土地の中に建っていた。
彼女は穏やかな表情でベッドに横になっていた。か細い声しか出せなかったが耳は良く聞こえるらしかった。私はタブレットに取り込んで来た、昔の写真30葉ほどを見せた。懐かしかったのだろうか何度も頷いていた。
お見舞いに行ったのが同じ職場の同僚3人。夫さんも加わり、彼女も知る昔話を、私達4人が語るのを彼女は聞いて、時々笑った。穏やかに、にこやかに笑った。50分ほど過ごしただろうか、帰り際に夫さんを通じて彼女は「又来てね」と言った。
帰宅して数日後、娘さんから、同行したAさん宛てにメールが届き、Aさんから私へのメールには「私たちが行って数日たってからも、この間楽しかった?と聞くと、ちゃんと覚えていて、楽しかったと言っていたそうです。また機会があれば再訪しましょう」とあった。