マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

ホテルで湯治

2019年09月02日 | 

 9月1日は日曜日。夏休みが1日延びたようで、現役だった頃なら大喜びしていただろうな。この日、私達は新宿バスタ発8時25分の岡谷行きバスで、上諏訪へと向った。
 10年前と比較して、山荘無し・車無し・運転免許証無しの私はツルヤ上諏訪店で3日分の食料を買い込むと中央線で茅野駅へ。そこからはホテル専用のバスで「ハーヴェストクラブ蓼科アネックス」へ。蓼科のハーヴェスト3つの中でここだけ、自炊専用の造りとなっていて、調理器具が借りられる。更に今回は、今年の富士前町会の新年会のビンゴ大会でゲットしたグリルプレートを持参していた。ここで初めての使用だった。ツルヤの刺身はその筋で働く人の評判が良い。その刺身以外に、プレートでシイタケとレバを焼いての夕食。(写真:上は持参したプレート。下はツルヤで799円の刺身)
 
 
 今回の旅は、夏に二人で何処にも行かなかったことの代償。蓼科から富士見町を訪れる程度で他へ行く当てはなく、ただ温泉に浸かりのんびり過ごそうと考えていた。二日目になっても妻は蓼科より外へは行きたくない様で、ホテル周辺で時を過ごすことを決めた。ホテル滞在の湯治だ。(写真:甲斐駒ヶ岳山頂には雲が掛っていた)







 午前中は「蓼科リゾート」へ。3つあるハーベストのなかでここが一番高級ぽい。クラシカルな純洋館の造りの建物、敷地内には礼拝堂があり、広い池もある。森林に囲まれたテラスでコーヒを味わい、午後は温泉と読書。二人だと行動よりも休息が増えそうな昨今だ。





 写真は下左が礼拝堂。下右写真では微かに池が見えている。
 



長岡名物「洋風カツ丼」

2019年08月19日 | 

 実は長岡を訪れるのは今夏が初めてではなかった。1975(昭和50)年だったと思うのだが、妻と二人、2時間くらい長岡に滞在し、名前を思い出せないのだが、お洒落なレストランで食事をしたことがあった。
 その年、私は福島県の、只見線沿線の塩沢にある学生村でひと夏の半分くらいを過ごし、妻は、勤務校の夏季合宿の引率で新潟県のとある処(何処だか思い出せないらしい)に滞在していた。
そこで帰路長岡で落ち合うことにした。
 その日まで二人は学生村・合宿所と、いずれも比較的質素な食事環境にあった。そこで肉の料理を食したくなり、長岡では肉料理を求めてレストランへ入ったという次第。その肉料理が実に美味しかった。
 今回の長岡行に際し、ネットで長岡の名物料理を調べたら“洋風カツ丼”があげられ、それがB級グルメ的名物になっていることを知った。私の40数年前の、微かな記憶とオバーラップし、長岡は肉料理と一人悟り、事前に「レストランナカタ」と決めていた。












 お店は2階にあり、2階へと通じる狭い階段には長い列が出来ていた。室外の温度は30度をはるかに超えていたと思う。しかし待つほかない。40分は待っただろう。漸く入店して店内を見渡すと、東京では「洋食屋」といった風情のお店で居心地感が良い。メニューを見て、“洋風”の意味するところを知った。普通丼物はどんぶりに入れられて出て来るが、洋風カツ丼では皿にご飯が盛られ、その上にトンカツが乗せられているのだ。私は「ハーフ&ハーフ」のコース(1360円)を注文した。




 まずはスープ。続いて上の写真のように2種類のソース(デミグラスとケチャップ)が掛けられ洋風カツ丼。最後にコーヒー。ソースは濃厚で、揚げたてのカツがさくさくしていて実に美味しかった。ご飯もしっかり食べて腹ごしらえ終了。15時過ぎ、一路花火会場を目指したのだった。
 


長岡花火(復興祈願フェニックス)

2019年08月08日 | 

 「びゅう」受付に行って観覧席券を受領すると「長岡まつり花火目録」なる冊子を渡された。この様な冊子、どの花火大会にもあるものだろうか?長岡花火独特のものか?不明にして知らない。右の写真の様にプログラムが記載されていて、打ち上げる花火の種類・名称・スポンサー名を時系列に並べた一覧表だ。



 放送でもこの内容が流れていたが、私には「さあ、いよいよ打ち上げです」だけが聞えてきた。パンフレットの内容は陽が落ちて、暗くなってくると読めなくなった。懐中電灯が必要だった。放送が聞こえなくても、パンフレットが読めなくても花火観賞に大きな影響はないが、少なくともパンフレットが見え、花火の名称が分かった方が味わい深く観覧出来たと思う。

 長岡花火では花火名称に色々な思いが込められているようだ。例えば7:20の「10号3発」の花火名称は「慰霊と平和への祈り
」であり、8:30の「正三尺玉3連発」には“慰霊・復興祈願・世界平和への祈り“が込められていた。なかでも8:15の「復興祈願花火フェニックス」の“フェニックス2019”は圧巻だった。(写真はフェニックス2019)
 

 

 2004年10月23日午後、マグニチュード6.8、震度7の新潟中越地震が発生した。新潟県のみならず甲信越地方全域が被害を受けた。長岡市の被害も甚大だった。多くの人が、2005年の長岡花火の開催は無理だろうと思っていた。しかし花火は上がったのだ。中越大震災の時に受けた世界中からの支援への感謝の気持ちを花火に込め、「震災復興祈願フェニックス」と名付けられて。このフェニックス花火は、被災者への大きな感動と勇気を与えたそうな。以来、花火大会では必ず“フェニックス〇〇〇〇”が打ち上げられ、今年が15回目だった。フェニックスの打ち上げが終わると大きな大きな拍手が起こり、会場は一体感に包まれた。


 長岡は江戸時代長岡藩の城下町として栄えたが、戊辰戦争と第2次世界大戦時の空襲(長岡空襲。死者1488名)の二度にわたって市の中心部は壊滅的被害を受けた。空襲被害は甲信越地方では最大規模だったとか。しかし、共に奇跡的に復興を遂げきた。中越地震は3度目の苦難だった。復興への祈願は自分達だけに向けられるのではなかった。2011フェニックスは東日本大震災で亡くなられた方への慰霊と復興祈願として、大会冒頭に超豪華なフェニックスが打ち上げられたそうだ。
 花火開催打ち切りの地方自治体が出始めているとの報道がなされている。長岡市民の花火大会への想いは強い。今回はその一端に触れることが出来たように思う。今年の人出は過去最高の104万人。
 今日から鳥海山へ行ってきます。更新は13日以降になりそうです。
 
 
 

 

 

 


長岡花火(その1)

2019年08月04日 | 

 長岡の花火を見に行こうと思っていた。今年の5月だったか、少し調べ始めた。この期間に使える青春18切符を利用し、長岡周辺で一泊して、東京⇔長岡を往復すれば安上がりで行けるかなと考えた。東京・長岡間は約270Kmの距離なので列車を何本か乗り継げば目的地との往復は可能そうだった。しかし、8月3日(土)に現地付近の宿は何処も空き室は無かった。全く、出遅れていたのだ。
 そこで、あれこれ比較検討したが、最終的にはJR東日本の商品「びゅう」購入を決めた。

 ネットで申し込むと「往復の乗車券+新幹線特急券」と花火観賞席がセットが送られて来た。帰りの新幹線は時刻表には載っていないもので「びゅう」特別仕立ての貸し切り新幹線で、長岡始発22時14分。この列車がミソだった。






 8月3日(土)の行程
 上野7:56⇒(新幹線)⇒長岡⇒(バス)⇒新潟県立博物館→馬高縄文館⇒(バス)⇒長岡→花火会場→長岡22:14⇒(新幹線)⇒上野  (赤字部分が「びゅう」から購入のもの)
 赤字以外は全くフリーなので、その間をどう過ごそうか調べ、火炎土器で有名な馬高縄文館などを訪ねた後、16時に会場到着。物凄い暑さの中を、信濃川右岸に設定された観覧席で3時間待つと、19時20分漸く最初の花火が上がった。(写真は長生橋を利用したナイアガラ)
   
 
 今までに観た花火と比較してダントツの迫力で、豪快で、華麗に満ちた花火だった。色鮮やかだった。特に打ち上げの音響が凄かった。打ち上げ場所は主として信濃川左岸の、長生橋と大手大橋の間。観覧場所は左岸と右岸に設けられていた。私達「びゅう」席は右岸の長生橋付近で、打ち上げられる花火は上空真上に見えた。
(三脚使用不可でもあり、花火の写真が上手く撮影出来ていない。今回は主として録画を撮り、ビデオからから写真を抽出した。下図は会場図)



 
 
 
  


ブルーベリーを摘みに

2019年07月11日 | 

 昨日の10日(水)、指圧屋「SUCROSE」の水野さんと長野県富士見町先達へ出掛け、ブルーベリー2kgを摘んで来た。例年のように水野さんが借りたレンタカーが我が家の前に到着したのは7時5分。
 ブルーベリー農園⇒たてしな自由農園⇒そば西村⇒キャトル・セゾン⇒ツルヤ上諏訪店と回り、帰宅したのが19時丁度。ほぼ12時間を要したが、例年よりは短時間での買い物旅行だった。(写真下:付近を通過する中央本線を貨物列車が通過する)



 何回か書いたことのある信濃路行でもあり、今回は簡単に記しておきたい。
 天候はブルーベリー摘みには最適な天候だった。前夜は激しい雨が降ったとのことだがこの日は微かに太陽が顔を出す程度。昨年の様な猛暑では無かった。ただブルーベリーは割れてしまった粒があり、それを摘まないように気をつけながら摘んだので、摘むのに時間が掛かかり多くは獲れなかった。2kg(キロ1100円)の他に予め依頼しておいた3kg(キロ1600円。2kgは知人の注文分)の合計金額は7000円。水野さんは1.5kgを摘んでいた。平出夫妻と少し話した。私達はここへは15年くらい前から訪れていることが確認できた。。来年も宜しくと言って別れた。





 続いて、たてしな自由農園へ。以前よりも”たてしな物”以外の農作物が増えたように見受けられたが、私達はズッキーニなど蓼科産を中心に購入してきた。





 そば西村へは水野さんは初めてだった。3人とも2000円の蕎麦定食を注文した。蕎麦がき・そば・かやくご飯と続き、最後にコーヒーとキャトル・セゾンのケーキが出て来た。水野さんは好きな「黒糖シャーベット」をリクエストしたが、これが非常に美味しかったらしく大層喜んだ。




 そのケーキ屋さんで私達は初めてシフォンケーキを購入し、夕食時にこれを食した。ふわふわな食感が素晴らしいケーキだった。(写真:下が黒糖シャーベット)




 ツルヤ上諏訪店では999円の果実酒用の焼酎など、普段購入するよりも格安のものを多数購入。自宅まで運んでくれる車あっての購入になった。高速料金とガソリン代の合計金額は15453円とお安い交通費で済んだ。(写真:帰路車窓からは八ヶ岳の稜線が望めた。下は収穫して来たブルーベリーの粒)