東京新聞の土曜日の朝刊にはほぼ毎週「東京どんぶらこ」が載る。12月7日の第902回は“田端”だった。その記事に触発されて11日(水)の早朝散歩は田端へ。田端は本当に久しぶりだった。富士神社から田端まで歩いてもよいのだが、この日は現地滞在時間を長くしようと、駒込病院前から都バスに乗った。(写真:田端駅北口)
下車するバス停は「新田端大橋」の上にある。そこは見晴らしの良い地点で正面には田端駅北口が、真下にはJRの山手線などの多数の線路が見える。ホテルメッツ田端や、来た方向に目を転じると切り通しや東台橋も見渡せる。この日は「新田端大橋」とその隣に架かる「田端ふれあい橋」を何度か往復した。(写真:田端ふれあい橋)
ここに2本の橋が架かっているとは長い間気が付かなかった。2年ほど前に初めて気が付いたのだが、実はここに山手線の内側と外側繋ぐ2本の跨線橋が架かっている。一本は自動車往来する「新田端大橋」で、もう一本が歩行者専用の「田端ふれあい橋」。こちらは自転車の走行も禁止されている。その「田端ふれあい橋」にはちょっとして歴史があった。その物語がここに現在2本の跨線橋がある謂れを物語ってくれる。(写真:右は新田端橋。左端が田端ふれあい橋)
現在の「ふれあい橋」は完成当時は「田端大橋」と名付けられ、現在は「旧田端大橋」とも呼ばれ、その“生い立ち”が橋の中ほどに掲示されている。その概略を綴ると
『旧田端大橋は昭和十年に架設された突桁式三径間のルーバー式全溶接橋です。当時、全溶接橋としては東洋では最初で最大級の橋として注目を浴びました。その後、自動車交通量の増加や橋の老朽化が進んだため、東京都は昭和62年に新田端大橋を架設しました。新田端大橋が開通したことで旧田端大橋はその役目を終え、撤去される予定でした。が、歴史的にも学術的にも貴重な橋であり、地域住民の方々から歩道橋としての、再生利用の強い要望もあり、田端ふれあい橋と生まれ変わることになりました』とあった。
橋の骨格はそのままにして、リニュアルされたモダンな橋を多くの通勤人が足早に田端駅に向かって歩いていた。自転車用としては新田端大橋の脇に一車線が造られていた。(下段の写真は田端切り通しと東台橋。最下段は左が新幹線などのJR線路)