11月24日(水)、快晴の下、京王線笹塚駅から中央線三鷹駅までの玉川上水路を歩いて来た。歩数約22,000歩。最近再会した元同僚・菅原さんに同行のお誘いすると、是非ご一緒にということで、10時に笹塚駅集合となり、“弥次喜多”道中は次の様に辿った。
笹塚駅→玉川上水緑道→代田橋駅→和泉給水所→明治大学和泉キャンパス→玉川上水第二・第三公園→上北沢駅入口→(中央自動車道下)→久我山1丁目→井の頭公園→三鷹駅
久我山1丁目から先は次回に。 玉川上水の水路は真っすぐに造られているという先入観があったがとんでもない。水路が曲がりくねっつている箇所があることを笹塚駅付近で実感することとになった。右の図は安政時代の地図で、上水が曲がりくねっているのが一目で分かる。水路の勾配を出来るだけ緩やかにする目的からこの様になったのだろう。この地図から三田上水との分流点もよく分かる。
今回のコース、久我山1丁目までは高速道路付近か真下の暗渠部分を進み、久我山1丁目で漸く高速道路とは別れ、その先の上流が開渠の解放的な散策となった。
暗渠部分の大部分は緑道や公園となっていて、ブランコや滑り台が設置されていて幼稚園児や保育園児たちが嬉々として遊んでいた。暗渠が有効活用されていることを目の当りにしたのだった。 久我山1丁目で中央高速道路と別れては先は開渠で、そこまでは殆どが暗渠。その暗渠が代田橋付近でほんの数十メートルだけ開渠となり、代田橋駅ホームの下を微かな水が流れる風景はやや深山幽谷の面影が残り何故か印象深かった。24日に撮影した写真は満足のいくものではなく、28日(日)に再度出かけた。(写真:代田橋付近の玉川上水路。上に架かるのは京王線代田橋ホーム。写真下は駅手前の「ゆずり橋」)
歩く前から一番観察したかったのが「和泉給水所」(現在名は和泉水圧調整所)だ。現在は大きなタンクが造られていて、かつての玉川上水は真下を流れていたが、このタンクの場所には江戸時代には和田堀水衛所があった。明治になって淀橋浄水場ができると、ここから玉川上水の水を直接浄水場に送る水路が造られた。すなわち、明治31(1898)年にここから淀橋浄水場まで、約4キロメートルの「新水路」が築造されたのだ。
笹塚駅手前で「玉川上水旧水路」とうい表示を見て、“旧”という文字が疑問だった。その謎が解けたのだ。新水路が建設され、和田町下流の玉川上水は導水路としての役目を終え、旧の文字を冠されるようになった。その後、新水路も暗渠化され水道道路と呼ばれた自動車道路は井の頭道路と名称変更され現在に至っている。(写真はいずれもいずれも「和泉水圧調整所」内のタンク)