マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

“みちしるべ”を探しに(その1)

2020年09月06日 | 街道を行く

 『北区の古い道とみちしるべ』には「王子道をたどる」として次の記述がある。「王子道の道標銘は滝野川1丁目の西大原巡査派出所前の分岐点にある、庚申塔(元文5年)と観音塔に彫られている。前者は《これより右王子道 これより左弁天道》と彫り、後者は《右王子道 左せんりのたき いわやべんてん》と彫られている。(中略)ここから南へ向かうと大塚に至る折戸通りに至っている。後にこの道に並んで飛鳥山南麓へ電車が敷かれたのが、王子電車最初の軌道で都電荒川線となっているのである」と。ここまで読んできて、折戸通りからここに至る道も王子道だと知った。前回のブログで王子道として(5)を掲げたのはこの記述による。(写真:みちしるべ付近の都電と都電駅)

 最終ページの一覧には、現在地は滝野川1の77とあった。地図には⑨と⑩の番号が付いていた。この場所は都電「西ヶ原四丁目」のすぐ近くと予測し、9月1日(火)の早朝散歩はこのみちしるべを探しに出掛けた。

 都電通りを過ぎると交番が見えた。西大原巡査派出所は滝野川1丁目交番と名前を変えていたが、その前の分かれ道に2つの塔が建てられていた。私の予想より小さいものだったので、本当にこれかと疑い77番地を全部歩いて見たが、これ以外に塔は見当たらず、この塔こそが『北区の道』に登場するものだと一応納得した。



 4日に再度出かけ塔の高さを測定すると、一覧表の数値に一致したから間違いないと思う。この日は花が供えられていた。左が庚申塔で右が観音塔。その昔からこの様に花が添えられてきたのだろう。
それにしても彫られた字は“道”しか読めなかった。






 右に江戸時代の地図と道標位置(A地点)を記入したが、一番ビックリしたことは、この場所は私たちが結婚して直ぐに住んだ場所(B地点)から直線にして200mくらいの近距離にあったことだ。交番がここにあったことも思い出した。太いほうの道が王子道であることは納得できたが、細い方の道が「岩屋弁天道」とは信じられないほど細い道だった。それにしても岩屋弁天とは何だ?(A:みちしるべ B:昔住んだ辺り C:西ヶ原四丁目電停
)


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