仙台では「ドーミーイン仙台アネックス」にチェックイン。弘前以来、ドーミーイン系のビジネスホテルが気にいっています。仙台でも、地下1200mから湧出の自家温泉を用いての露天風呂、無料の夜食ラーメンとズボンプレッサー、それに朝食が充実しています。その宿まで、家人の大学時代の友人にして今回クラス会の幹事Eさんが訪ねて来てくれました。
車で早速向かったのが魯迅が留学時代に下宿していた家。続いて青葉城内にある魯迅の彫像。国文を学んだ家人にわざわざ見せてくれたようです。平地にあった東北大学が青葉城内に移転していて、広大な面積を持つ大学に大変身していたことも車で回って知りました。
Eさんのお宅は”豪邸”と聞いていましたから、拝見するのを楽しみにしていました。立派な屋根がそびえる外観だけでなく、建物内部の、ヒノキの太い3本の8寸柱も見事です。広い庭から獲れた数々の野菜を奥様が調理してくれました。これが非常に美味しく、仙台の夜をお店で味わうことは中止になって、Eさん家での食卓で料理と会話を楽しみました。(写真:青葉城にて) 明けて8月23日。仙台駅で各地からの参加者6人と合流。と、クラス会に関係のない私が書くのもなんですが・・・。熊本から飛行機での方もいます。昼食に仙台名物”牛タン定食”を食した後、再びEさん家を訪ね、青葉城から仙台市内を望み、その後荒浜と閖上(ゆりあげ)浜に向かいました。
大津波直後「荒浜には200~300の遺体が打ち上げられています」との誤報が流れた地域が荒浜です。海岸から直ぐの地帯に広がる広大な平野に建てられた住宅街。家屋をも飲み込む高さの津波に襲われた時、逃げ場は全くありません。この様なシチュエーションから出た誤報だったのでしょうか。多くの方は車で高速道路の向こうに逃れられたようです。しかし家屋は根こそぎ持っていかれ、非情な風景のみが遺されました。
高速道路を挟んで、海側は田圃も荒れ放題ですが、反対側の田圃は緑一面の対照を見せています。(写真:荒浜の風景)
(写真:荒浜の堤防) 今年の3月4日(日)の日経新聞朝刊に、「鉄塔家族」で大仏次郎賞を受賞した佐伯一麦が「震災と歌枕」と題する一文を寄せていました。そこに閖上浜が紹介され、大よそ次の様に書かれています。
「元禄十年、仙台藩第四代藩主伊達綱村が、小高いところに建立された大年寺に参詣した折りに、山門内から遥か東南の方角に波立つ浜をみて”あれはなんというところか”と問うと、近侍は”ゆりあげ浜であります”と答え、重ねて”文字はどう書くのか”と問えば”文字はありません”との返答に、綱村は”門の内から水が見えた故に、門の中に水を書いて閖上と呼ぼう”と言い・・・」とあります。かくして仙台藩専売の国字「閖」が出来たという訳です。
その由来もさることながら、小高い寺から波が見えるとは、海岸一帯が低地にあることを示唆しています。この地からの脱出の大変さを想像しました。(写真:閖上浜)
(写真:閖上浜で僅かに残った建物)
仙台を後に、Eさん絶賛の遠刈田温泉へと向かいました。
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