マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「皇室の名宝」展

2009年10月10日 | 身辺雑記

 10月6日(火)から東京国立博物館で、「天皇御即位20年記念特別展」と銘うって「皇室の名宝」展(ー日本美の華)が始りました。1期は11月3日(火)まで。2期は11月12日(木)~11月29日(日)。
 昨日妻と出掛けま
した。上野まで30分以内に行ける事もあり、普段は開館30分前には並びますが、昨日は少し出遅れて到着が9時20分、既に100人ほどの方が並んでいます。私は美術には素人、妻に引かれて美術館まいり、の傾向があります。その妻の予想を超えての人気のようです。


           
(開門5分前)

 私でも知っている画家達の名品の数々も展示されていました。狩野永徳、伊藤若冲、円山応挙、岩佐又兵衛などの名宝が一堂に集結されているのです。中でも右隻狩野永徳筆、左隻狩野常信筆の「唐獅子図屏風」が観ていて楽しく、やや長時間立ち尽くしてしまいました。
 伊藤若冲筆の「動植綵絵」、細部まで丁寧に、又色彩鮮やかに、動物や植物が描かれていて、絵画に疎い私でもその凄さに感動します。
 岩佐又兵衛筆「小栗判官絵巻」のうち巻1・11・13も展示されていました。モノトーンは書物で見たという妻も、現物を観る事が出来て興奮した様子。
 展示された作品に中に虎を描いたものが3点。円山応挙「旭日猛虎図」、谷文晁「虎図」、橋本雅邦「龍虎図」。日本の画家さんは虎を描く事を好むのかなと一人合点。(丁度この日、セリーグの虎さんはCS進出を逃しましたが・・・)
 皇室にさまざまな経緯で伝えられてきた美術工芸品等の数々を集大成する大規模な展覧会。他にも多くの名宝が姿を現してくれていました。
 帰路御徒町にまわり、ドラ焼きの名品を「うさぎや」で買って帰ってきました。

          (観終えて)


       (代表作がポスターに)

 


地球一周 4万キロ?

2009年10月09日 | 身辺雑記

 マーちゃんが火曜日以外の日に通うラジオ体操会場、放送設備がありません。何時もラジカセをお持ちくださる方がSさんです。1年ほど通ううちに顔見知りになり、体操開始前の数分間に会話を交わすようになりました。お歳をお聞きすると、なんと85歳。”かくしゃく”と表現すると、お歳を召された方が如何にも頑張っている雰囲気になりますが、そうでは無く、”しゃんとして”いて年齢よりお若い感じ。噂では毎食前にワインを嗜むとの事、その事も伺って見ました。その通りですとの事。お元気の秘訣もお聞きしました。毎朝のラジオ体操とかワインとのお答えを想定していましたら、「遺伝ですね。父母も長生きでした」とのご返事。自慢話にはなりませんでした。密かに目標とさせていただいているお方のお1人です。

 そのSさんとどういう話の流れでそうなったのか記憶は定かでは無いのですが、Sさんから「赤道に沿って地球一周は何キロあるの」と聞かれた事があります。マーちゃんは即座に「丁度4万キロです」とお答えしました。「丁度なの」「丁度です」と会話が続きましたが、マーちゃんには自信がありました。
 中学を卒業して入社したN会社の養成校時代の、初期の授業で習った事柄だったのです。「ノギス」や「マイクロメータ」など、1mmの百分の1をも測定する工具についての授業でした。メートル原器という1mの長さのものが存在し、それを基準に全ての長さが測定される。
そのメートル原器は地球の赤道一周を4万kmと決め、そこからメートル原器の1mが定められたとも教えてもらいました。何故かその事は鮮明に覚えていました。更にメートル原器は温度などで変化してはまずいので温度管理のしっかりした室内で厳重に管理されていることも教えてもらいました。
 そんな事情がありましたから、即座にお答えができました。
 暫くして、そのことが書かれている文書をネットで捜して、印刷してお渡ししようと調べ直して、驚きました。なんと地球一周はジャスト4万では無かったのです。
 落ち着いてよく調べ直すと、1mの基準が1983年に変更になっとありました。、「真空中での光速度」を基準に長さ定義するとありました。その新基準によれば赤道一周は40075.017kmとの記述。慌ててその記事をプリントアウトしたものをSさんにお渡しし、訂正もさせて頂きました。古い知識の上に安住し続けてはいけない、いい見本になってしまいました。

*追記(09/10/18) kumasan からコメントを頂きました。私に記憶違いがありました。「赤道一周を4万kmと決め」(アンダーライン部分)の部分は「赤道から北極までの距離を1万キロと定めると子午線方向の地球一周は丁度4万kmとなり」と改めてお読み下さい。

 


沢渡温泉 まるほん旅館(秘湯へ その3)

2009年10月08日 | 秘湯へ

 2年前の4月、中学時代のミニクラス会総勢9名で上州の沢渡温泉「まるほん旅館」に出掛けました。
 上野から特急「草津3号」で中之条へ。中之条では昼食にクラスメイト I  さん推薦の「そば処 吾妻路」でお蕎麦を頂きました。この「吾妻路」知られざる名店です。喉ごしのよいもりそばと味わい深い田舎そばがウリで、何れも石臼で挽いた自家製粉が使用されているとの事。私は田舎そばを頂きました。 I さんの話の通り、密度濃い蕎麦湯も美味でした。中之条からはタクシー利用で直接宿に向かいました。

 実はこの「まるほん旅館」、10年ほど前、存亡の危機を迎えていたのでした。旅館店主の息子さんが交通事故で急逝されたのです。「温泉利用権」は相続によってのみ認めるとの温泉組合の規約があり、権利を売買する事は出来ない決まりになっています。跡取り息子さんを亡くされた店主さんは「温泉利用権」を譲るべき、その最愛の息子さんに先立たれてしまったのです。
 温泉廃業を覚悟する失意の日々に、”救世主”とも言うべき方が現れました。この湯治場的雰囲気が気に入り何度か足を運んでいて、実情を知るに至ったAさんが、養子になる事を承諾してくれたのです。某銀行の支店長代理の地位にあったAさんの家族は大反対。でもAさんは時間を掛けて家族を説得、漸く家族の皆さんに認めてもらって、目出度く養子縁組整い、家族の皆さんでこの地に移住、前店主は辛うじて「温泉利用権」を”息子”さんに相続出来たのでした。
 その現店主のAさんが、クラス会の一員 I さんの親戚。その縁で今回のミニクラス会は沢渡温泉「まるほん旅館」と決めたいたのでした。I さんから凡そのことは聞いていましたが、更にこの宿の常連客「嵐山光三郎」さんのエッセイからも上記事実を知りました。Aさんなどと書いてしまいましたが、嵐山さんはエッセイの中でサトシ君と呼んでいます。私はサトシさんと呼ばせて頂くことにして、そのサトシさんはじめ家族の皆さんで総力をあげて、この400年の歴史を持つ老舗温泉宿を盛り立ているとお見受けしました。

 沢渡温泉、昔ながらの有名な湯治場的温泉です。草津の湯が強力でその湯あたりを鎮める為にも、草津の帰り道にこの沢渡温泉が仕上げ湯として利用されたそうで、肌にやさしい美肌湯と言われています。草津と中之条を結ぶ旧道に代わって県道のバイパスが造られ、温泉街へは県道を逸れて旧道の細い道を行きます。その道筋に肩を寄せ合うように数件の宿があります。そのなかでも「まるほん旅館」は老舗。「秘湯を守る会」の会員でもあります。
 何と言っても湯が素晴らしい。内風呂入口から湯殿は見えませんが、木作りの階段を下り、折り返しの階段を下り始めると湯殿の全体が見渡せます。大きな浴槽が2つ。湯は無色透明で、源泉掛け流しの大きな浴槽に浸り、心ゆくまで温泉を味わえます。ミニクラス会の一行もその湯の素晴らしさを実感し、話題も弾み、夜の更け行くまでのお喋り三昧でした。 
 
 (「まるほん旅館」で検索して見て下さい)


再びの教壇

2009年10月06日 | 身辺雑記

 千葉県の、ある中学校の専任の先生が病になられ、急遽非常勤講師を依頼されました。嘱託を辞めてから早や4年、教える事からは遠ざかっていましたので、せいぜい週に2日間くらいの勤務ならばとお引き受けし、9月に打ち合わせに行きました。ところがどういう行き違いかは知りませんが、週4日の時間割が組まれていました。これではお引き受け出来ないとお話しましたら、向う様も困ったらしく、結局、週3日間勤務を引き受けざるを得ない心境になり、中学2年生の数学の授業を12時間受け持つ事に相成りました。久しぶりの授業なので、教えることへの緊張感と同時に不安感をも感じつつ、初日の今日、朝7時前には駒込駅を出発、日暮里からは常磐線の人となりました。

 中学生を相手の4時間連続の授業。久しぶりの授業でもあり、年齢から来る面もあってか、些か疲れました。授業の後半、緊張感が解けて騒がしくなるクラスがある反面、非常に熱心に聴くクラスもあります。反応の良いクラスでは快調に授業が進められ、教える楽しさを思い出させて呉れたクラスもありました。僅か今日一日の経験の中にも、教えることの難しさと楽しさが同居していました。今日一日の体験は、数年前までに
体験した事の素早い再現でもありました。

 自己紹介では趣味としての山登りとパズルの話。パズルは8月21日のブログ「不思議な数列」に登場した問題を出題しましたが、10人ほどが正解のクラスもあり、この学校のレベルの高い事を実感しました。その後いよいよ教科書の内容に入り、この日の授業内容は「2次方程式の解き方」。かっては高校生を相手に教えていた事柄をこの学校では中学2年生で習います。8月23日のブログ「再会」に登場した中高一貫学校と同様、この学校でも中高一貫教育が行われ、授業の進路ペースも同じようにハイスピードで進みます。来年3月までの担当、腰を据えてじっくりと取り組みたいと思います。気楽に彷徨い歩く機会が今までよりは若干減り、話題に事欠くかも知れません。授業準備もありグログを書く頻度が少し落ちるかも知れませんが、ご容赦下さい。


大洲のいもたき

2009年10月05日 | 身辺雑記
 妻の友人で四国愛媛に住む友人のSさんから「大洲のいもたき」が送られてきました。今回が2度目です。岩手の「いも煮」が有名ですが、この「大洲のいもたき」も全国区の名品だそうです。
 早速頂きました。具はサトイモ、こんにゃく、鶏肉、しいたけ、油揚げ、白玉の6種類。同封されていたスープと一緒に煮込みました。まず汁から味見です。薄い味付けながら、甘みが感じられます。それから具を味わいました。特にサトイモが口の中でとろける様で、美味でした。


    (同封のチラシ)


         (盛ったところ)

 後日、ネットで調べると、サトイモは加熱すると消化が良くなり、芋類の中でも低カロリーという優れものだそうです。又、この「いもたき」は藩政時代から伝わる約300年の歴史があり、大洲自慢の夏芋を用いて作られ、肱川の河原でゴザを敷き、名月を愛でながら楽しみます。とも書かれてありました。
 中秋の名月の頃に、自家製の”いもたき”を調理して、ベランダから名月を眺めながら楽しめそうです。具は家庭でも揃えられるでしょうが、出汁を作るのは難しそうです。
 
 大洲は過去に3回、私の前に登場して来ました。
 最初はNHKの朝の連続ドラマ「おはなはん」。1966年(昭和39年)、樫山文枝扮するおはなはんの生活の場が大洲。当時の超人気ドラマでした。

 2度目は巣鴨にある「ちはら街並美術館」。知人のBさんから聞いて訪れた美術館、千原昭彦さんのペン画が60点ほど展示されていて、その中に大洲の街並みを描いた絵がありました。

 3度目は川本三郎著「日本すみずみ紀行」。川本さんは昔ながらの風景や雰囲気が色濃く残る町を”昔町”と名付けています。この本には牛窓(うしまど)や城端(じょうはな)、内子(うちこ)、柳津(やないづ)などの”昔町”や五能線などが登場してきて旅心をくすぐります。

 特にこの「日本すみずみ紀行」を読んで大洲へ旅したくなっていました。鉄道乗り継ぎは辛いので飛行機利用かなと思っていましたら、”いもたき”をプレゼントして下さったSさん、耳寄りな話も聞かせてくれました。なんと飛行機利用は国内ならば何処へでも9000円で行けると言うのです。「サライ」にも同様な記事があり、ネットで調べました。確かにありました。但し条件が二つ。①満65歳以上であること ②マイレージ会員であること。ただし予約は出来ず、空席があるときのみ利用可能とある「シニア空割」。搭乗が確定しない難点があり、宿を予約しての旅行には不安が残りますが、閑古鳥なく路線ならば搭乗可能性はかなり高いと見ました。(「シニア空割」 はANAでのみ確認)
 妻はまだ”適齢期”に達していません。遠からず訪れるその日を心待ちしています。