マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

岩屋弁天は紅葉寺だった

2020年09月15日 | 東京散歩

 9月6日のブログに書いた岩屋弁天道を『復元江戸情報地図』で調べた。地図上で弁天道を真直ぐに延長すると石神井川と交差する地点に紅葉寺(正式名金剛寺)があり、松橋弁天(岩屋弁天)とも書かれていた。知らなかった!これは是非訪ねようと思い立ち、9月8日の午後、暑さが少し和らいでから出かけた。(写真:安政時代の江戸の地図。1:6500)









 『北区の古い道』に書かれていた分岐点の庚申塔情報を基に、分かれ道を左に進むと直ぐに明治通りにぶつかり、その上を今では「中央環状線」が走っている。その下を潜り抜け、なおも真っすぐ進むと都営住宅にぶつかり、既に弁天道は無くなっていることを知った。ここで古道を進むことは断念し、王子総合高の前を通る自動車道に出て石神井川を目指した。(写真:右が王子道、左が岩屋弁天道)



 2・3度は訪れたことのある紅葉寺。お参りをした後松橋弁天の説明版を探したが見当たらず、石神井川の上流へと歩みを進めた。この川は蛇行が激しく、その名残りを留める場所の前に説明版はあった。(写真:金剛寺本堂)






 「もともとこの辺りは、石神井川が蛇行して流れていた場所でした。左の絵は、『江戸名所図会』に描かれた《松橋弁財天窟 石神井川》ですが、(中略)画面を見ると、岩屋の前に鳥居があり、その横に松橋が描かれています。水遊びする人や茶店も描かれ、行楽客が景色などを楽しんでいる様子が見て取れます。崖下の岩屋の中には、弘法大師の作と伝えられる弁財天像がまつられていました。このため松橋弁財天とも呼ばれました。(以下略) 」。松橋が架けられていたから松橋弁天と呼ばれたのか、松橋弁天から橋名が松橋と呼ばれたのかは分からないが・・・。(写真:湾曲の名残の音無し緑地。この一角に窟があったか?) 

 この風景は広重『名所江戸百景』の「王子瀧の川」にも描かれ『名所図会』と細部は異なるが、大筋では似たような風景が描かれているので、ここでは『百景』を右に掲げたが、窟と松橋を確認下さい。今から僅か180年ほど前には、山と渓谷の織りなすこのような風景があったのだ。紅葉の名所として知られたと書かれていることから、紅葉寺とも呼ばれたことが良く分かる。
 ところが
 「滝は昭和初期に枯れていたようですが、像を収めていた岩屋は、昭和50(1975)年前後に石神井川の護岸故事が行われるまで残っていました。金剛寺境内をはじめ、区内には松橋弁天へ行くための道標が幾つか残っており、当時の名所であったことをうかがわせます」ともあった。その江戸時代の道標の一つに導かれて、令和の時代に私はここまでやってこれたのであった。
 江戸から明治・大正から昭和にかけて、首都は“風情”を置き去りにして“安全”を獲得してきたことが良く分かる。


 


勤務再開、「ばんゆう」サロンへも再び

2020年09月12日 | 身辺雑記

 文京区シルバー人材センターの紹介で夜間の大学院大学で働き始めてから今年で5年目となったが、コロナ禍ではオンライン授業となり、出勤には及ばなくなっていた。ところが9月からはオンライン授業と並行して教室での授業が再開され、私も9月3日(木)から出勤することとあいなった。
 多くの大学ではオンライン授業が継続されているらしい。白山駅周辺にいまだ学生の姿は疎らだ。学びの方法としてはリモートで一定の効果はあるだろうが、学びの場での人と人の交流や、先生と直接接することも学生生活では凄く大事なこと。それが1年間も失われてしまう今年の学生は本当に可哀そうだと思う。勤務校では兎も角、リモート参加の学生と教室で学ぶ学生の入れ替えはあるだろうが、教室で仲間と共に学ぶ生活が再開され、その点では改善された。
 3日に初出勤すると今までと幾つかの点で違いがみられた。エントランスには自動体温測定器が置かれ、顔をかざすと体温が測定される。教室での机は半数くらいに減らされ、着席はソーシャルディスタンスが保たれる工夫がなされ、各階の換気窓も開けられている等々。(写真:顔をかざすと体温が測定される)
 本音を言うと来年3月までのんびり過ごしたかった。体が楽なほうに慣れていまっていたので6ヶ月ぶりの勤務は辛かった。ただ職場は少し大変な事態になっていた。シルバーからの派遣の男性4人のうち半数の2名が体調を壊し勤めを辞めていた。残る2名の勤務体制となり、週に2回くらいの勤務となっていた。私が体調を壊したり、交通事故に遭ったりすると、もう一人に過重な負担をかけることになってしまう(逆の可能性もあるが)。辞めるのも躊躇われ、健康管理に今まで以上に気を遣わねがならなくなってしまった。

 一方、コンピュター教室「ばんゆう」のサロンに再び参加しようと決めて、9月4日(金)に出掛けていった。当然密になるサロンは休止していたと思ったら、休みなしで続けていたとのこと。パソコンやスマホで困ったときに相談に乗ってもらえるこのシステム、月2回ほど足を運ぶつもりだ。

 この様に少しずつ日常が戻りつつあるが、旅行・観劇・映画鑑賞・一献・外食などのお楽しみはまだ様子見だ。


Lineでのグループの一員となる

2020年09月09日 | IT

 ラインには“友だち”以外に“グループ”なるものがあって、私は2つのグループの一員となっている。新年が明けたころ、グループに誘われたのだが、必要ないのではと感じてお断りしていた。それが今年の5月「オンライン飲み会」に招待されて、必然的にラインのグループに加わった。グループは荒川5中に勤務したことのある3名で構成され、私以外のお二人は大の読書好き。話題は本の話やNetflixなどに及び、私は読書やYou tube上のドラマなどの情報を知ることになるのだった。
 そうこうしている内に、源氏物語をもう一度より詳しく学びたいという人達4人と妻が「LAST源氏」というグループを作った。グループを作っておくと諸連絡に都合がいいと考えたのだ。私の役割は会の会場確保しかないのだが、私もこのブループに入れて貰い会員は都合6名になった。
 7月28日のこと。妻が『新紫式部日記』に関連したクイズをライン上に出題した。すると、それを切っ掛けにラインでのやり取りが活発になり、話が盛り上がっていた。クイズが触発剤になったのだ。そのことから私もあるクイズを思い立った。一枚の写真(時に動画)と問題文から、場所などを当てるクイズ。このクイズを切っ掛けに話題が拡がっていくこともある。そこがグループの面白さかもしれない。
 こんな問題という意味で、ここでも私が作成したクイズと同じ問題を出題するので、宜しければ考えて下さい。解答は最下段から5行ほど空けて書きます。

 ①これは何でしょう。









 ②写真は都内にあるJRのとある駅の改札口です。どこの駅でしょう








 ③このみちしるべは何というお店の前にあるでしょうか











 ④高崎線や京浜東北線の横浜方面行を跨ぐこの跨線橋名はなんでしょ。








 ⑤左から右へと走る地下鉄線、ややスピードを落としました。次の停車駅は何処でしょ。







 ⑥ここは何処でしょ。












 ⑦この電車こちらに向かっています。何処の駅をスタートしたのでしょう。(動画を示したがここでは写真)













正解 ①旧岩淵水門の赤水門 ②田端駅 ③羽二重団子店 ④田端ふれあい橋 ⑤茗荷谷駅 ⑥不忍池 ⑦駒込駅  


“みちしるべ”を探しに(その1)

2020年09月06日 | 街道を行く

 『北区の古い道とみちしるべ』には「王子道をたどる」として次の記述がある。「王子道の道標銘は滝野川1丁目の西大原巡査派出所前の分岐点にある、庚申塔(元文5年)と観音塔に彫られている。前者は《これより右王子道 これより左弁天道》と彫り、後者は《右王子道 左せんりのたき いわやべんてん》と彫られている。(中略)ここから南へ向かうと大塚に至る折戸通りに至っている。後にこの道に並んで飛鳥山南麓へ電車が敷かれたのが、王子電車最初の軌道で都電荒川線となっているのである」と。ここまで読んできて、折戸通りからここに至る道も王子道だと知った。前回のブログで王子道として(5)を掲げたのはこの記述による。(写真:みちしるべ付近の都電と都電駅)

 最終ページの一覧には、現在地は滝野川1の77とあった。地図には⑨と⑩の番号が付いていた。この場所は都電「西ヶ原四丁目」のすぐ近くと予測し、9月1日(火)の早朝散歩はこのみちしるべを探しに出掛けた。

 都電通りを過ぎると交番が見えた。西大原巡査派出所は滝野川1丁目交番と名前を変えていたが、その前の分かれ道に2つの塔が建てられていた。私の予想より小さいものだったので、本当にこれかと疑い77番地を全部歩いて見たが、これ以外に塔は見当たらず、この塔こそが『北区の道』に登場するものだと一応納得した。



 4日に再度出かけ塔の高さを測定すると、一覧表の数値に一致したから間違いないと思う。この日は花が供えられていた。左が庚申塔で右が観音塔。その昔からこの様に花が添えられてきたのだろう。
それにしても彫られた字は“道”しか読めなかった。






 右に江戸時代の地図と道標位置(A地点)を記入したが、一番ビックリしたことは、この場所は私たちが結婚して直ぐに住んだ場所(B地点)から直線にして200mくらいの近距離にあったことだ。交番がここにあったことも思い出した。太いほうの道が王子道であることは納得できたが、細い方の道が「岩屋弁天道」とは信じられないほど細い道だった。それにしても岩屋弁天とは何だ?(A:みちしるべ B:昔住んだ辺り C:西ヶ原四丁目電停
)


『北区 古い道とみちしるべ』を読んで

2020年09月03日 | 読書

 2020/8/16のブログで「新たに王子道の道標発見」と題する文章を綴った。ネットでそれについて調べると、その道標について書かれたブログがあり、丁寧なことに参考文献が紹介されていた。『北区 古い道とみちしるべ』(北区教育委員会出版)と『郷土の歴史・文化マップ』がそれで、早速北区の教育委員会へ電話した。するとそれらは北区中央図書館に備えられているとのことだった。
 北区の図書館へは文京区民はオンライン予約が出来ない。最寄りの図書館へ出向き予約して本の到着を待つより、直接中央図書館に行った方が手っ取り早いので、2週間ほど前に出掛けて行った。駒込駅から北区コミュニティバス《愛称名「Kバス」》の「王子・駒込循環コース」を利用した。下車駅の一つに「中央図書館前」があり、至って便利。ここまでの所要時間も20分。予めスマホのメモ帳に書いておいた資料2冊を貸出カウンターに示すと、郷土資料の所へ案内してくれて、資料を取り出してくれた。膨大な資料のあるコーナーで私一人が探したら相当時間を要したと思われる。係りの方には感謝感謝。
 『北区 古い道とみちしるべ』は17ページの薄い冊子だったが、最初のページに北区の江戸時代の道が赤線で書かれ、その当時の“みちしるべ”が番号とともに記されていた(こんなもの、という意味で、最下段に掲載)。一番最後のページには番号の記されたみちしるべの現在地と道標名が一覧表で載っていて、今後そこを訪ねる上で大変便利に作られていた。
 内容は、まずは、道とみちしるべの概説が書かれ、古代の道から中世の道を経て江戸時代の道までが語られている。北区の古い道としては日光御成街道・中山道・十条富士道・王子道・十条板橋道・六阿弥陀道・西新井薬師道などが記されていた。他に日光御成道と中山道を結ぶ道や隅田川沿いの古い道など興味ある事柄が記されていた。いずれ歩いてみたい。今日のブログでは再度王子道に触れたい。
 王子稲荷へお参るするに利用された大きな道は5つ登場する。
 (1)日本橋方面からは中山道を通り、本郷追分からは日光稲荷街道(現在の本郷通り)を行くルート
 (2)下谷や三ノ輪などからだと音無川沿いの道(王子街道と言われている)
 (3)小台などからは六阿弥陀道を経て王子街道に合流するルート
 (4)大宮などからは中山道を経て、旧蓮沼村からは姥ヶ橋を通る道(王子道と呼ばれている)
 (5)大塚方面からは現在の折戸通りを経て都電に沿うように続く道(王子道と呼ばれている)
 以上のうち(4)については次のように記述されている。
 「旧蓮沼村の中山道から分かれて姥ヶ橋を越え、東南に進んで現在の十条駅の南端を通り、さらに進んで王子本町で日光御成街道に合する道筋で、北のほうからの王子稲荷への参詣道だったので、・・・」と。2020/8/13のブログに書いた私の推定と、中山道との分岐点を除けばほぼ同じだ。