京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
俳句 冠句 自由律 詩 エッセイなど同好の人たちと交流

ハイ、皆さん、今日は詩人です 17年2月

2017-02-21 10:04:13 | 日記

ハイ、皆さん、今日は詩人です。西山寮のお話 2月
            金澤 ひろあき
 ハイ、皆さん、こんにちわ。2月は寒い日が多かったですね。しかしもうじきお水取り。春が近づいています。せめて、「冬うらら」な、春めいた日が多くあってくれるとうれしいですね。
 今月の私の句、「冬うらら」を使ってみました。
  冬うらら羽根を広ぐる白孔雀    ひろあき
 昔、岐阜に行った時、織田信長のお城があった稲葉山という山のふもとに、小さな動物園があり、白孔雀がいました。じっと見ていましたが、なかなか羽根を広げません。その日は結局見れませんでしたが、後日知り合いが、その白孔雀が羽根を広げた写真を送って下さいました。懐かしい思い出です。
 さて、皆さんの句を拝見しますね。今月もたくさんの作品、ありがとうございます。
  紅葉散り小春日和の食事会      塚本 一枝
 塚本さん、冬の初め頃のおだやかな日和。その中での食事会。楽しそうですね。
  柿ならべ童女の選ぶ丸い顔      奥田 一枝
 奥田さん、これまたかわいらしいですね。小さな女の子の顔も柿も丸いという、童話のような雰囲気が良いですね。
  母と子が夜汽車に揺られ冬景色   野原 加代子
 美しい思い出のひとこまという感じがします。私自身、親と夜汽車で京都に来たことがあり、その日のことを思い出します。
  ひと駅を歩くリハビリ紅葉晴      高田 操
 高田さん、前向きにリハビリに励まれる姿と、紅葉晴のあざやかな色が似合っています。ひと駅ぶん歩くのですから、けっこうな運動になりますね。
  白き鳥寒き碧空に見失ふ        畑 ヨシ枝
 畑さん、このあたりのきれいな空が思い浮かびます。姿を見失うのは、ちょっと寂しい感じがしますね。
  紅葉期に師の句碑杜(もり)になじみけり    宮崎 清枝
 私も昔お世話になった方の句碑を山科で見つけたことがあります。懐かしかったです。
  床に照る実相院の紅葉濃し       中野 賢一
 実相院は岩倉にあるお寺です。中野さんの句のように、みがかれた板の間に、紅葉が鏡のようにうつるんです。美しいですよ。
  門口に赤黄白の鉢植菊         井上 昭子
 上手に育てられいる様子ですね。菊作りの人、熱心ですね。

真浄院のわび椿

2017-02-20 08:47:06 | 日記
真浄院のわび椿
       金澤 ひろあき
 真浄院というお寺は、川端二条にある。といっても京都以外の人はわからないと思う。
二条通りの鴨川の橋を東へ渡ってすぐの所だ。
 ここで一月に冠句の大会があった。冠句は題に出された五字に七五をつける文芸。古式にのっとりゆっくりペース。
 ふと見ると坪庭があり、わび椿がある。そんな物をながめながら句を作る。久しぶりに会った人と会話がすすむ。
 聞くとこのお寺、私の好きな俵屋宗達のお墓があるという。帰りに寄ってみようかとも思う。
 冠句のほう、「布の色」の題で、
  布の色 禁色という愛染めて   ひろあき
 高岡ひろみ先生が天位にとって下さった。きのう『源氏物語絵巻』を見たのが良かった。 

長岡天神11月27日句会の記録

2017-02-17 12:13:18 | 日記
長岡天神11月27日句会の記
       金澤ひろあき
 11月27日は一日中雨でした。しかし、久しぶりに二神大輔様、そして箕面から裸時さんが参加され、楽しい会になりました。
 二神大輔様、久しぶりにお見えになって
  久方のたばこを咳が思い出す    ひろあき
 ということで、皆さんの作品です。
  腰痛やどこで充電するのやら    青島巡紅
 私も腰痛を持っているので、この感じはよくわかります。徐々に腰のあたりが固まっていく感じがするのです。「充電」とはうまい喩え。ともかくお大事に。
  日当たりて別子の山の冬桜     中野硯池
 四国別子銅山跡に行かれた折の作とか。今はもう閉山し、昔の繁栄は記録に残るだけとなっています。「山の冬桜」がその感じを伝えています。
  記録的大うそつきの雪つもる    金澤ひろあき
 こんな句を創ったせいでしょうか。この冬、本当に大雪になってしまいました。
他、投句の方々の作品です。
  子の姿母懸命に手たたく      岡畠さな子
 この頃が一番かわいいですね。
  蔵書引き出しもう一度暑い戦後を味わって 木下藤庵
 「暑い戦後」への思い。もう一度戦後を振り返る大切さ、今そういう時なのかもしれません。
  天気予報今日は何処ゆく一人暮らし 野谷真治
 さびしさをこういう表現で。勉強になります。
  見上げれば皇帝ダリアのまなざしか 坪谷智恵子  
 花に呼び止められたかのような感じ。そう感じることが確かにあります。

舞姫現代語訳24

2017-02-16 16:08:45 | 日記
『舞姫』現代語訳  第二十四段落        金澤 ひろあき
【要旨】
 結末
【現代語訳】       
意識が戻ったのは、数週間後であった。熱が激しくうわごとばかり言ったのをエリスが丁寧に看病していた時に、ある日相沢が尋ねてきて、私がエリスに隠していたすべての事情を詳しく伝えられ、また大臣には私が病気であるという事だけ伝え、つごうのよいように話をとりつくろっていた。
私は初めて、私の病床のそばにいるエリスを見て、その変わり果てた姿に驚いた。エリスはこの数週間のうちにひどくやせて、血走った目はくぼみ、灰色の頬は落ちていた。相沢の援助で、日々の生計には窮していなかったが、この恩人(相沢)はエリスを精神的に殺してしまったのだ。
後で聞くと、エリスは相沢に会った時、私が相沢に与えた約束を聞き、またあの夕べ大臣に申し上げた承諾を知り、にわかに椅子より躍り上がり、顔色はさながら土のようになって、「私の豊太郎様、ここまで私をだましておられたのですか。」と叫び、その場に倒れた。相沢はエリスの母を呼んで、ともに助けてベットに寝させていたが、しばらくしてエリスが目覚めた時には、目は直視したままでそばの人が誰かもわからず、私の名前を呼んでひどくののしり、髪をかきむしり、布団を噛みなどして、また急に何かに気づいたように物を探し求めている。母が手にとって与える物をすべて投げ捨てたのだが、机の上にあったおしめを与えた時、さぐって見て顔に押しあて、涙を流して泣いた。
これよりはしばらく騒ぐ事はなかったが、精神の働きはほとんどだめになり、赤ん坊のようになった。医者に見せたが、過激な心労によって急に起こったパラノイアという病気であるので、治癒の見込みがないという。ダルドルフの精神病院に入れようとしたが、泣き叫んできかず、後にはあのおしめ一つを身につけて、何度も出しては見、見てはすすり泣く。私の病床を離れないけれども、これすら判断力があってそうしているのではないように見える。ただ時々、思い出したように、「(倒れている太田に)薬を、薬を」と言うばかりである。
私の病気は全く治った。エリスの生けるしかばねを抱いて無数の涙を流したのは、どれほどであったか。大臣に従って帰国した時には、相沢と相談してエリスの母にささやかな生計を営むに足りるほどの金を与え、あわれな狂女の胎内に残った子供の生まれた時のことをたのみおいた。
ああ、相沢謙吉のような良い友は世の中でまた得難いであろう。しかしながら、わが脳裏に彼を憎む心も今日まで残っているのだった。
〔ポイント〕
1 結末…太田の裏切りを知らされたエリスが発狂
発狂しても覚えていることが二つ
① 準備していた産着を探す。身につける。=産まれて来る子どものことを覚えている。
② 倒れてしまった太田に「薬を」飲ませようとする。=太田への愛情は覚えている。
2 ラストの文の問題
a太田 意識不明=エリスに真実を告げたり、謝罪をすることができない状態に描かれる。
b相沢は良き友=失業した太田に職を斡旋。また、太田の日本復帰を助けた。
 しかし、対立する心情がある。
c「相沢を憎む心」=『舞姫』冒頭部の「恨み」と対応
①太田が意識不明の時に、エリスに真相を知らせ、精神的に殺してしまったこと。
②相沢の考え=当時の日本の常識=能力重視・個人よりも家や国家重視  
 太田は有能だから、日本・エリート社会に帰り、国のために尽くすべき。
 エリスは有能でないので、太田と釣り合わない。別れよ。個人の愛情など軽視する。
 その結果、エリスは発狂。見捨てるように太田は帰国。
 自分達を追い込んだのは相沢の考えに代表される日本の常識・個人軽視の考え=太田自身の生き方でもある。
 だから、相沢を憎む=自分自身を憎む=日本の常識・個人軽視の考えを憎むともとれそう。
③しかし、太田はその日本社会に復帰する道を選んだ。
3 なぜ、自分の恥を発表したのか。何を知らせたかったのか。『舞姫』執筆の動機。
『舞姫』を誰に読ませたのか。最初の読者…鷗外の家族 鷗外が家族を集め、弟の篤次郎に読ませたことが伝えられている。

 これらの考察は次の会で行いたい。

山への電車駅

2017-02-15 08:10:33 | 日記
山への電車駅
     金澤 ひろあき
 正月に親友の中村先生と、近鉄電車乗り継ぎの旅行をしました。山登りはしなかったのですが、山をたくさん見ました。
 まずは吉野へ。奈良県の橿原神宮前で一回降りると、西口は橿原神宮参詣の人がいっぱい。そこで東口へ行くと実に静かなもの。ふとみるとこざっぱりとしたお店があるので、入ってみました。昼の定食で粕汁がついていて、ほっとあたたまり、得をした気分です。
  初詣避けて穴場の店がある      ひろあき
 店をでて再び電車の旅です。単線なのでゆっくり。すれ違い待ちで一駅一駅長いこと停車します。吉野まで一時間ほどかかったかな。
 吉野口という駅でJR和歌山線の駅と隣り合います。駅の出入り口は、近鉄もJRも同じところで昔風です。
 JR和歌山線は紀ノ川ぞいを走り、近鉄は吉野川ぞいを行きます。いつか和歌山線のほうも乗りたいもんです。
 吉野に近づくにつれて、山旅の気分です。吉野川の河原には、枯れ尾花が光ります。
  枯れ尾花だんだん枯れて行くわたし  ひろあき
 吉野神宮の手前で、吉野川を渡る高い鉄橋があります。そこを過ぎると吉野。吉野駅は、ここが本格的な山の入り口という感じで、こじんまりとしていました。
 次に吉野から南大阪線を全部乗る形で、阿部野橋まで。空いていた車両も、橿原神宮前でたくさんの人が乗ってきて満席です。南大阪線は飛鳥から大阪へ抜ける古代のルートとほぼ同じです。悲劇の皇子大津皇子が葬られた二上山がひときわ目立ちます。折口信夫が『死者の書』で描いたように、飛鳥から見ると西の太陽が沈む位置にあり、しかもけっこう大きく見える山ですから、彼岸の入り口のように感じられるのでしょうか。もっとも、これは私が空想しただけであって、根拠はありません。
 阿部野橋につくとハルカスという高いビルが立っていますが、二上山のように空想を誘うものはありませんでした。阿部野橋から難波に移り、生駒まで。生駒からは生駒線に乗り換えます。生駒山の東側を南へ下って行きます。ちょうど日没の生駒山を仰ぎ見ました。
 南生駒という所から、暗峠へ行けるという話を中村先生からうかがいます。若い頃、悩みがあった時、友人と二人で暗峠を歩いて越えられたそうです。奈良県側はゆるやかで、大阪府側は急だそうです。
 暗峠は昔から、奈良と大阪を結ぶ道で、『伊勢物語』の筒井筒の男も、江戸時代の芭蕉も越えています。行ってみたいけど、大変だそうです。
 景色はそのうち竜田川、そして信貴山へと移り変わります。そこから先は日没で、空想するしかありません。
  そそくさと冬太陽の眠りかな      ひろあき