徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第二十八話 太極からの伝言)

2006-03-16 11:41:17 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 長蛇の列がMデパート催事場の前から続いている。
イラスト展の初日に当のイラストレーターがやって来るというので、どうせならその顔もひと目見てやろうと考えた人たちが大勢集まっていた。

 今回はデパート側の意向もあって、新たに受賞したメインの作品の他、いままで受賞したいくつもの作品と他の作品を合わせて展示し、イベントとして初日と中日だけ本人を会場に招致するということになっている。
 企画自体はありきたりだが、そのイラストレーター自身に宣伝価値及び商品的付加価値があるという点では、さらに集客率UP間違いなしとの太鼓判が押されていた。

 僕が見て欲しいのはあくまでイラストの方なんだけど…と控え室を出たイラストレーターは思った。
 その姿を人々の前に現した時、あちらこちらから喚声があがったのは、時たまテレビにも顔を出す結構名の知られたエッセイストであり、もとモデルのその端麗な容姿がお客に受けているからだ。

 彼は作品を鑑賞しに来てくれたお客に対して上品に頭を下げ、両手を合わせるようにして小さくお礼を述べながら催事場へと向かった。


 係員に案内されて今まさに催事場へ入ろうとしている男たち…その中のひと際目立つ若い男に眼を向けながら旭(あさひ)は考えていた。

 西沢…というその男は少し前まで亮という学生を護るため以外には決して力を使おうとはしなかった。
ところがなぜか今は積極的に旭の導く仲間たちの動きを止めようとしている。  

 桂(かつら)の配下の者たちのように敵意があるわけではなく、ただ、仲間たちにかかっている自己暗示を解いて、もとの生活に戻るように諭しているだけなのだが、その力は強力で一旦暗示が解けると仲間であったことさえ忘れてしまう。
幾人もの仲間が離れていった。それは桂の配下の者たちも同じだ。

 何の目的で邪魔をするのだろう…何があの男を動かしているのだろう…。
我々はこの地球を救うために働いているに過ぎないのに…。

 旭は鑑賞者の列に紛れ込んでいた。
入り口係員に特別招待のチケットを渡すと何食わぬ顔で催事場へと入っていった。

 イラストを見るつもりで来たのではなかった。
真っ直ぐに西沢に近付くつもりだった。
面識のない旭にチケットを送りつけてきた真の理由を質すために…。

 だが…そのイラストは初っ端から旭の眼を捕らえて放さなかった。
西沢が生み出したその世界はまるでそれ自体が意思を持つかのように旭の心に語りかけてきた。
 
 西沢が実際にどんな生き方をしてきたのかは知らない…。
けれども旭にはそれらのイラスト一枚一枚に込められた西沢の魂の叫びが聞こえるようで…感動と共に底知れない恐怖すら覚えた。

 最近賞を受けたばかりだというイラストを前にした時、旭は確かにその時刻…夜半過ぎのその場所にいて、雪明りの静寂の中に息づくほのかな命の温かみを感じたような気持ちになった。

 そのイラストの展示してあるコーナーのもっとも目に付きやすいところに、旭がわざわざアレンジして送り届けさせた花が、それを生けた本人である贈り主の名前付きで飾られてあった。
 現代生け花の新鋭、紅村旭(こうむらあさひ)…デパート側としてはその名前も十分に付加価値のあるものだった。

 その現代風にアレンジされた生け花の傍で西沢は無遠慮に話しかけてくるファンたちの相手をしていた。
どうでもいい話に気を悪くすることもなく穏やかに受け答えをしている。

 近付いてきた旭の表情があまりに尋常ではなかったせいか、その場に居たファンたちは早々に暇を告げて逃げるように先へと進んでいった。

 穏やかに微笑んで迎えてくれた西沢の前で…なぜか旭の頬を涙が伝った。
西沢がさらに相好を崩した。

 「素晴らしい贈り物を…本当に有難うございました。
紅村先生にも会場までわざわざお運び頂いて…恐縮です。 」

 西沢は丁寧に頭を下げた。
どう致しまして…本来ならこの場で生けて差し上げた方がいいのですがそうもいきませんで…と旭も軽く頭を下げた。
旭が顔を上げると西沢の眼がじっと旭の眼を見つめた。

 「先生…今なすべきことは…争うことではありません。 どうか早急に…両極和解と共存の道をお考えになってください。

 争うことは失うこと…そこから生み出せるものは何もない。
あるとすれば不信と憎悪…。

 両極が相争えば…確実に滅びの時は早まるでしょう。 これは太極と名乗るおおいなるエナジーからの伝言です…。 」

 西沢は旭だけに聞こえるようにそう伝えた。 
太極…旭は驚いて眼を見張った。
 それは自分たちを動かしているものたちよりもさらに上をいく存在…。
この男はいったい何者…?

 その時またファンの集団が西沢に近付いてきた。
旭は軽く一礼すると何れまた…と言い残してその場を立ち去った。 

 最終コーナーを出ようとするところで、カメラを持った男とすれ違った。
滝川恭介だ…と旭は気付いた。

 西沢の周りには西沢家だけでなく、いくつもの系統の影がある…と見た。
万が一敵対することにでもなれば…それらのすべてをも敵にまわすことになる。
 旭の仲間のほとんどはその系統に属する族人だ。
仲間とはいえ、いざとなったらどう動くか分かったものではない…。
慎重に動かねばならぬ…と改めて思った。



 初日・中日と展示場での二日間の仕事を終えた西沢は、人酔いと疲れで居間の絨毯の上でのびていた。
 イラスト展は連日盛況だし売上も絶好調…まったく言うことなしだが、普段静かに暮らしている西沢にとって人の多い場所での仕事はとにかく疲れる。

 初日には写真を撮りながら西沢と一緒に会場に詰めていた滝川も今日は別の仕事が入っていて、さっき帰ってきたばかり…。

 「紫苑…ほら…紫苑…コーヒー…。 」

 滝川は居間のテーブルの上にコーヒーカップを置くと、ふにゃふにゃになっている西沢を引っ張り起こした。
 西沢はソファを背もたれにぐったりしていたが、香りに誘われてようよう身を起こしコーヒーを口にした。
ふうっと大きな溜息が漏れた。
 
 「あれ…いい絵だな…紫苑…。 
夜中の雪景色なのに寒々しくなくて…ほのかに温かい…。 」

 滝川がぼそっと呟いた。西沢の唇が微かに緩んだ。
夜中だからさ…と西沢は言った。
 真夜中には雪の白さが緩和されて微妙に穏やかな色合いになるんだ。
雪明りで辺りの景色がはっきり見えて…それでいてすべての輪郭が柔らかい。
尤もこの地方は雪が少ないからそんなふうに優しく感じられるんだろうけど…ね。
西沢はそっとカップを置いた。
 
 再びふにゃっとソファにもたれかかった。
西沢の喉の流れるようなラインが滝川の悪戯心を堪らなく刺激する。

 「紫苑…ちょっと遊んでいい…? 」

 えらくご丁寧な前置きだな…いつも黙ってやるくせに…。
だって…お疲れのようだから…さ。
そう言いながらもすでに紫苑に身を寄せている。

おまえの喉のラインが堪んないんだよ。
ドラキュラかおまえは…。 
ん~…何とでも…言ってくれ…。
 
 「あのぉ…お取り込み中…悪いんですけどぉ…。 」

 買い物袋を提げたノエルが突然出現した。
その後ろに呆れたような顔をして亮が立っている。

 「おやおや…見られちゃった。 」

 滝川は悪戯っぽい目をして笑った。西沢もその場を取り繕うなんて気はさらさらないらしい。
このくらいのお遊び…どうってことないっしょ…くらいに思っているんだろう。

 輝さんとの時も平気だったもんね…おかげで艶かしい輝さんのお姿もろ見ちゃったし…と亮は妙に納得していた。

 「ソース焼きそばと五目焼きそばとどっちがいいですかぁ?  」

 えっ…? 滝川と西沢の表情が固まった。
この場面でそれを訊くか…ノエル。亮は天を仰いだ。
 
ソース…かな…戸惑ったように西沢が答えた。ソース…だな…滝川も同意した。

 「亮…ソースだって…。 作れる? 」

 ノエルが不安そうに亮を見た。亮はうん…と頷いた。
あ…晩飯の話なのね…と滝川はようやく理解した。
遊んでる場合じゃねえな…西沢がクスクス笑いながら立ち上がった。

 「あ…いいよ。 西沢さん…今夜は僕たちで作るから…ここで待ってて。 」

 キッチンへ行こうとする西沢を亮が慌てて止めた。
そう…じゃ…お言葉に甘えて…。

 亮とノエルはキッチンへ向かった。

再びもとの場所に腰を降ろすと、西沢は冷めてしまったコーヒーを飲み干した。

 「まだ…西沢さん…と呼んでいるんだな…。 」

滝川が呟くように言った。

 「亮の中に…僕に対する何か吹っ切れないものがあるんだろう…。
ま…こんなハチャメチャな兄貴だから…そう簡単に受け入れて貰えなくても仕方ないんだけどな…。 」

西沢は少し寂しそうに笑った。

キッチンからは楽しげな声が聞こえてくる。

 ノエル…油引かなきゃ…。
えっ…だってこのそば油付いてるよ。
 付いててもだめなの…焦げちゃうでしょ。それに具を先に炒めなきゃ。
あ…そうなんだぁ…ああ…くっついちゃった。

 じっと見てちゃだめ…炒って…炒るの…菜箸動かして…。
菜箸って何?
 手に持ってるでかい箸のこと…。
あ…これ…あ…キャベツが飛んだ。

居間のふたりは堪えきれぬとばかりげらげらと笑い転げた。

 やがてジュージューと音をたてて香ばしいソースの匂いが漂ってきた。
揚げそばかと見まごうほどいっぱいおこげの入った焼きそばがその夜のメインとして食卓を飾った。





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