徒然なるままに…なんてね。

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ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第三十四話 要らない子)

2006-03-25 22:41:34 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 部屋の片隅からじっと成り行きを見守っていた亮は、父親が単に治療師というだけではなくて、その他にも信じられないような力を持っているということを知り、わけもなく身震いした。
初めて眼にするノエルの力にもどきどきしていた。

 転げ落ちるようにソファから床に下りたノエルは何かに追われるようにじりじりと後退りし始めた。

 「違う…違うよ…。 僕…紫苑じゃない…。 絵里ちゃん…来ないで! 」

 壁際まで追い詰められるように逃げた後、その先がないことに絶望し、ママ助けて…とひたすら母を呼ぶ。

 英武の眼にはノエルが見ているものと同じ映像が見えているのか…次第に恐怖の色を帯びていく。
 それだけではない…英武とノエルの行動が次第にシンクロナイズし始め、まるで同一人物であるかのように同じ動作をするようになってきた。

 「ママ…怖いよ…。 ママ…。 」

 まるで何かを防ごうとするかのように手が空を切る。
何度も何度も…。 ママ…助けて…。

 その時…英武の目の前で何かが起きた。ノエルも英武も一瞬頭を抱えて蹲った。
しばらくして顔を上げると目の前に…。

驚いたことに怜雄と紫苑が同時に叫んだ。

 「お母さん…! 絵里ちゃんが…! 死んじゃう!」

 有が力を止めた。
ノエルが再び気を失ったように床に倒れこんだ。
滝川がそっと抱き上げて心配そうな顔をしている亮の傍へと運んだ。
 亮くん…ノエルはすぐに目が覚めるから少しの間看ててやって…ね。
亮は静かに頷いてノエルを受け取った。

 英武は今、頭の中の整理に追われていた。
断片化された記憶のデフラグ…空白の部分が少しずつ埋まっていき、英武を苦しめてきた恐怖の原因が形となって現われてくる。 

 それは紫苑も怜雄も同じ…。
三人の頭の中で同時に記憶のパズルが組み立てられていく。
迅速に…。

 事件の時はすでに小学生だった怜雄が、最も早く記憶のパズルの最後の一枚を嵌め終えた。

機とみた有が透かさず怜雄に話しかけた。

 「怜雄…きみは三人の中で最も年上だから当時の記憶も確かだと思う…。
最初にきみからその時のことを話してくれないか…? 
力はできるだけ使わないようにして…きみが覚えているだけでいい…。 」

 いま夢から覚めたところというような顔で怜雄はそこに居るみんなを見回した。
修正された記憶の中で思いもよらない場面に出くわしたらしく、なかなか言葉が出てこない。

 その時…ノエルが亮の腕の中で眼を覚まし…反射的に亮から飛びのいた。
まるで襲いくる何かから逃れようとするかのように頭を抱え悲痛な声を上げた。

 「ノエル…ノエル…大丈夫だよ。 何でもないよ…。 」

 亮がそう話しかけながらノエルの背中を撫で擦った。
ノエルはそれが亮だということにやっと気付いた様子で、泣きそうなくらい怯えた声を上げた。

 「亮…あれは誰? 紫苑さんに似た女の子…まだ…僕等くらいの…。
倒れたんだ…頭打って…ひどい音がした。
紫苑さんが…紫苑さんが死んじゃうって思ったくらい…よく似てて…怖かった。」

紫苑さんが死んじゃう…怜雄と英武がその言葉に明らかに動揺を見せた。

 「あれは…紫苑を産んだ僕等の叔母だ…。 僕等は絵里ちゃんと呼んでいた。」

怜雄はようよう落ち着いた様子でゆっくりと語り始めた。



 あの日…紫苑と英武が幼稚園から帰ってきて…紫苑だけ離れに居る実の母親にただいまの挨拶を言いに行ったんだ。
 生まれてすぐに僕等の両親に引き取られた紫苑は実の母親のことを僕等と同じように絵里ちゃんと呼んでいた。

 おやつを目の前に僕等がずっと待っているのになかなか戻ってこないんで…僕と英武は紫苑を迎えに行った。

 叔母の部屋のドアが開いていて僕等はそこから中の様子を覗き込んだ。
その瞬間に叔母が紫苑に馬乗りになって首絞めてるところを見てしまったんだ。
僕等が声を上げたので叔母は紫苑を離した。

 まだ絞められたばかりだったらしく、紫苑は咳き込みながらも動きだした。
叔母は驚いて動けない僕等を放っておいて瓶を取り出した。
水差しの水をコップに注ぐと瓶の中の錠剤をを出して幾つか飲み込んだ。
 
 紫苑の胴を捕まえると、叔母は飴だから食べなさいと無理やり紫苑の口の中にも錠剤をいっぱい突っ込んだ。
 幼い紫苑にだって薬だということは分かる。
錠剤の嫌いな紫苑は飲み込めず、次々突っ込まれて口いっぱいになったところで泣き出した。

 僕は紫苑が可哀想になって叔母の手から紫苑を引き離し、僕等の母のところへ連れて行った。
 紫苑が苦しそうで慌てていたので英武が動けないまま部屋に残っていることに気付かなかったんだ。

 母は紫苑を見てひどく驚いた。
紫苑がお菓子と間違えて薬を口に入れたと勘違いした母は、取り合えず紫苑の口に指を入れて中の錠剤を吐き出させた。

 傍でおろおろする家政婦さんに…紫苑が誤って薬を飲み込んだかもしれないからすぐに飯島先生に来て貰って…と頼んだ。
 飯島先生というのは近くで病院を経営している西沢家の主治医で祖父の友人だ。
叔母に睡眠薬を処方したのもこの先生だった。
家政婦さんは急いで病院に連絡し、ついでに父と祖父のところにも連絡した。 

 その時点で僕はやっと母に何があったのかを話すことができた。
真っ青になった母は物凄い勢いで離れの部屋へ飛んで行った。

 僕と紫苑が後を追って部屋に入った時、母と英武は部屋の隅で蹲っていて母の手から血が滴っていた。

 ふと見るとテーブルの脇で叔母が倒れていて身動きひとつしなかった。
叔母の手に果物ナイフがあって…。
 状況が分からない僕と紫苑はてっきりナイフで怪我をしたものと思い込み…絵里ちゃんが…死んじゃう…と思わず叫んだ。

 母が叔母の方に顔を向けた時、紫苑がふらふらしだして薬の効果が出たのかその場で倒れて眠ってしまった。
  倒れている叔母と紫苑を見つめながら母は茫然と座ったまま動かず、怯えながら英武はじっと紫苑の方を見ていた。

 「その後すぐ飯島先生が駆けつけてきた。祖父や父も…。
叔母と紫苑はすぐに病院へ搬送され、母も手当てを受けた。
大人たちの間でその後どんな話し合いがあったのかは分からない…。 」

 怜雄は自分が目撃しただけのことを全部話した。
絵里の死因は薬物の過剰摂取による自殺…表向きには事故死のはずだった。
少なくとも有も紫苑もそう聞かされていたし、そう信じていた。

 怜雄の話を聞いて有は絵里の死因に疑いを持ち始めた。
祥の顔をチラッと窺ったが動じる様子はなかった。

英武の記憶の修復が次第に加速し始めた。怜雄の話でさらに空白が埋められた。

 「紫苑…つらいだろうが…思い出せることを話してくれ…。 」

 母親の死についての自分の記憶がどこかおかしいと感じて戸惑っている紫苑に、有はそう促した。
 紫苑はしばらくじっと考えてから、深呼吸をし眼を閉じて…ひとつひとつを確かめるようにゆっくりと思い出していった。

 「怜雄の話したとおり…幼稚園から帰ってきて僕は母の部屋へ向かった…。
怜雄が話した以上の記憶はあまりない…けれど…。 」



 絵里ちゃんただいま…と声を掛けた。
母は誰かと電話で話をしていて…まるで喧嘩をしているような剣幕だった。
 ヒステリックに泣き喚いて…多分相手にして貰えなかったんだろう。
投げ捨てるように受話器を置くとうろうろと部屋を歩き回った。

 「死のう…紫苑。 こんな惨めな想いにおさらばするの…。
あんた一緒においで…。 」

 嫌だ…と僕は言った。
だめよ…あんたは要らない子なんだもの…。この世に居ちゃいけないのよ…。
 あんたの父親だってあんたを持て余したし…私もあんたのおかげで幸せにはなれないんだから…。
責任とって一緒に死ぬの…。生きてたらみんなの迷惑よ…。

 「要らない子なの…? 迷惑なの…? 」

 母にそう言われては仕方ないと思った。
悲しかったけれど…どうして…とも聞けなかった…。

 母の手が自分の首にあてられた時…ひどく苦しくて…やっぱり怖いと思った…。
その時怜雄と英武が声を上げてくれて…僕はその手から解放された。

 でも…すぐ捕まって口の中に大嫌いな薬を詰め込まれた。
飴よ…紫苑。 食べなさい…。

 その後は怜雄の話したとおり…。
養母が助けてくれて僕は死なずに済んだ。

 紫苑…馬鹿ね…お薬こんなに飲んだら死んじゃうのよ。
紫苑はママの大事な子でしょ…。
 死んだらママ…悲しくて泣いちゃうわよ…。
養母がそう言ってくれたので…生きててもいいのかな…と思い直した。

 養母を追って離れに向かう途中で養母が何かを叫んでいる声が聞こえた。
危ない…とか…やめなさい…とか…違う…とか。
 英武の声も…紫苑じゃない…と言ってたような気がする。
その後で何か物が倒れるような音がした。
 
 母が倒れているのを見た時…僕は母に捨てられたんだと何となく感じた。
要らない子だから置いていかれたんだと…。 
そのすぐ後に眠ってしまったから…それ以上は覚えていない…。 

 「今思えば…母が倒れている様子がどこか尋常ではなかったような気はするが…何しろまだ四歳だったので…すべての記憶が曖昧なんだ。 」

申し訳ないが…と紫苑は付け足した。

 有はますます疑いを深めた。
絵里は…薬で死んだんじゃない…な。 薬も死を招いた原因のひとつではあるんだろうけれど…それほど単純な死に方じゃなかったんだ…。

 さっきノエルが頭を打ったとか倒れたとか…言っていたが…薬を飲んでいたからふらついてどこかで頭を打ったんだろうか…。

 「あれは…事故だったんだ…。 どうしようもなかったんだよ…。」

 不意に英武が口を開いた。
英武の中の記憶のパズルがようよう完成したようだった。
みんなの眼が英武に集まった。

事故だったんだ…と英武は繰り返した。








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