徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第三十三話 ずっと一緒に…。)

2006-03-24 18:25:33 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 熱めの湯にどっぷりと肩まで浸かりながら亮は大きく息を吐いた。
馬鹿なことを言った…と今更ながら後悔していた。
 バイトとはいえノエルは西沢に雇われているのだから、西沢が描きたいと思えば本人が嫌と言わない限り、身体を晒したって問題があろうはずがない。

 西沢は約束どおり、ノエルだと判らないように挿絵の人物の顔を変えて描いていたし、別段ノエルに疚しいことをするわけでもなかった。
文句を言えた義理じゃないのに…。

 それに今夜は…いつものように亮の後について来ようとするノエルを…冷たく帰してしまった。

 女の子だなんて言われて…ショックだっただろうな…。
帰りたくない家へひとりしょんぼりと帰っていくノエルの、傘に隠れた華奢な背中が眼に浮かんだ。
 今日はお父さんが早く帰って来る日だから、帰ればまたお父さんになんだかんだ言われて哀しい想いをするんだろう…。
それなのに僕ときたら一番傷付く言葉を言ってしまった…。
 
 ほんと馬鹿だ…。思い切り湯の中に顔を突っ込んでから勢いよく立ち上がった。

 帰って来た時よりも勢いを増して雨は降り続いていた。
不意に玄関の方でガタンと音がした。風で傘立てが倒れたのかと思った。
 風呂あがりにいささか面倒だとは思ったが何処かへ転がっていってしまっても始末が悪い。

 玄関に行くと傘立てどころか誰かが扉のところに屈んでいるのが分厚いガラス越しに見えてドキッとした。
慌てて扉を開けると、ノエルがびしょ濡れになって傘を立て直していた。

 「何してんだよ…。 」

亮は急いでノエルを玄関の中へ引っ張り込んだ。

 「ずぶ濡れじゃないか…。 ずっと居たのかよ…。 あほたれ…。
何でベル鳴らさないんだよ。 」

ノエルは項垂れた。

 「だって…亮…怒ってるもん…。 何だか知らないけど…機嫌悪いし…。 」

 身体中から滴が垂れていた。
父さんが居たんで…家…入れなかったんだ…おまえみたいなやつ…帰ってくるなってさ…母さんが内緒で少しお金くれたけど…他に行くとこないし…。

 何度か泊めてもらってるから紫苑さんのところへ戻ろうかなとも思ったけど…病み上がりの紫苑さんには迷惑かけたくないし…。
 ノエルがちょっと鼻を啜った。
また…喧嘩か…。

 「早くあがれ…。 風呂まだ落としてないから…すぐに入れ…。
西沢さんみたいにひどい風邪引いたらどうすんだよ。 」

 ノエルの手を引っ張って風呂場へ連れて行った。
ノエルを浴槽に沈めておいて、亮は雨でびちゃびちゃになった服や何やらを洗濯機へ放り込んだ。

 「ノエル…ここにパジャマ置いとくぞ! 」

 うん…ありがと…。 
汚れた廊下にモップをかけながら…亮は悲しくなった。
 ちゃんとした家族と家がありながら…帰る場所のないノエル…。
亮と知り合う前はどうしていたんだろう…。
口答えもできずに部屋に閉じ籠っているしかなかったんだろうか…。

風呂から上がってきたノエルはぶかぶかのパジャマの中で余計に華奢に見えた。

 「ご免ね…。 また面倒かけちゃってさ…。 」

 恐る恐るノエルは言った。
亮がまた機嫌を悪くしないように気を使っているようだった。

 「腹減ってないか? 」

 居眠りする前に紫苑さんとこで夕飯食べたんだ。
だから大丈夫…。

 「客間に布団敷いといたから…。 」

 えっ…? ノエルは怪訝そうに亮を見た。
なんで…? いつも亮の部屋で一緒に寝るのに…。

 「やっぱり…怒ってんだ…? 僕…何か悪いこと言った? 」

 違うよ…と亮は首を横に振った。
じゃあ…なんでさ? 急に別の部屋だなんて…。
ノエルは口を尖らせた。

 「ノエル…今夜は…ほんとは西沢さんとこへ泊まった方が良かったんだ…。
抑えられないから…。 」

亮はそう言って項垂れた。

 「嫉妬なんだ…あれ…ノエルと西沢さんの間に何もないことは分かってるんだけど…。
 西沢さん綺麗で格好よくておまけにめちゃいい人だから…ノエルはきっとあの人のこと好きなんだろうなって…いつも思ってた。
 僕なんか…どう見たって兄貴には敵わないからね…。
ノエルの中に女の子の気持ちが少しでもあれば…兄貴を選ぶに決まってるってね。

 だから…今日…おまえがあんな格好で…ずっと兄貴の前に居たんだと思うと…悔しくてさ…。 」

 亮は顔を強張らせた。
襲っちゃいそうだから…帰れって言ったんだ。

 ノエルは驚いたように亮の顔を見つめた。
何だか顔が熱くなってきた。

 「亮…僕のことずっと…女の子だって思ってたの? 
男同士…友だちとして付き合ってくれてるんじゃなかったの…? 」

不安げな声でノエルは訊いた。

 「複雑…そのつもりだったんだけど…。 出会った時はずっと女の子だと思ってたし…千春から男の子だと聞いてそれも信じた。
両方だって分かって…ノエルが男だと言うんだから男なんだって思ってた。

 だけど…好きになっちゃったから…さ。
おまえが男でも女でも…諦めようもなくて…黙ってるのがつらかった。
いつもは平気なんだけど…今夜はだめ…別々に寝よう…。 」

 亮はちょっと悲しそうに笑った。
ノエルは少し戸惑い気味にあちらこちらに視線を動かして考えていたが、やがて屈託なくにっこり笑って見せた。

 「やっぱり…一緒がいい。 ずっと亮と一緒がいい…。
僕…胸ないけど…それに…ついてるけど…できる…かな…? 」

 ノエルは本気で心配しているようだった。
馬鹿…だね…何言ってんだか…。 亮の眼が少し潤んだ。

 物語は西沢さんの苦手な恋愛もの…だけど…今夜は仕事抜き…。
キャラクターはお馴染みのふたりだけれどこれは演技じゃない…。
夜の帳の中でいま…新しいチャプターが始まる…。



 英武の治療に西沢のマンションを使うことになったのは、祥がこのところ体調の優れない美郷のことを気遣ってのことだった。
 事件の目撃者でもある美郷がそこに居ないのは少し残念だが、美郷の健康に影響を及ぼすようなことはできない。
その代わり祥が出向いて立ち会ってくれることになっていた。

 先ほどから滝川と有は治療についての相談をしている。
何時になくふたりとも厳しい顔をしていて、滝川先生も親父もまるで別人のようだと亮は思った。

 西沢は亮とノエルをモデルに…今度は依頼された恋愛ものじゃなくて西沢個人の作品用のデッサンをしていた。
 これまでとは程遠いイデアの世界にモデルも何をやらされているのか理解不能。
こうなると亮も焼もちの焼きようがない。

 「そろそろ…西沢の面々が来る頃だ…。 このくらいにしとこう。 」

 モデルを務めながら頭の痛くなるような難解な話を聞かされてさすがのふたりも肩が凝った。

 「紫苑さんの脳はどこか別世界に浮いてるに違いないよ…。 」

 伸びをしながらノエルは言った。
いきなり紫苑がノエルのお腹を触った。 くすぐったいよぉ~紫苑さん。

 「うん…大丈夫ね。 できてない…。 」

 何…何のこと…? あかちゃん…。
あかちゃん…? ノエルと亮が同時に赤面した。

 「ノエルの身体は可能性0%とは言えないんだよ。
女性の器官はすべてが未成熟でほとんど機能してないように見えるけれど…死んでるわけじゃない。
 人間の身体は時に思ってもみないような奇跡を起こすことがある。
大事なことだから心に留めておいて…。」
 
 西沢は亮に向かってそう話した。亮は素直に頷いた。
お説教する柄じゃないんだけど…と西沢が笑った。
 
いきなり仕事部屋の扉が開いて怜雄が騒がしく飛び込んできた。

 「お姫さま…元気になったかい? 見舞いに来れなくてご免よ…。 」

 見舞いに来たがる英武を抑えるので手一杯でさ…。
いつものように紫苑の手を握ってにこにこと話しかける。
 
 「気にしないで…怜雄。 もう心配ないから。 お養父さんはもう来てるの?」

 もうすぐ来るよ…英武と一緒に…僕は出先から戻ってきたとこ…。
怜雄は無造作に置かれた紫苑のスケッチブックを取り上げて、さっき描いたばかりのデッサンを見た。
 おお…これは二極の世界図だな…? 
とてもいいが…欲を言えば人間の姿などは既存の気(エナジー)の中に融合させてしまって…影も形もない中に新しい生命(エナジー)の息吹を感じさせ…云々。

 それを聞いてノエルは頭を抱えた。
怜雄にはあれがちゃんと理解できるんだ…言ってる意味は全然分かんないけど…。
あのふたりは紛れもなく同じ人種だね。
亮はうんうん…コロイドとヤジロベーなんだ…と頷いた。 

 「紫苑…怜雄…祥さんたちが到着したぜ…。 」

 滝川が扉から顔を覗かせてふたりを呼んだ。
西沢の指示で亮とノエルはキッチン側の隅の方で見学させてもらうことになった。

 西沢が血の繋がった亮だけではなく、まったく無関係と言っていいノエルを同席させたのはノエルの中にある特殊な能力に気付いたからだった。

 他の大人たちにもある程度そのことが分かるらしく、ノエルがその場に居ることを咎める者は居なかった。
 
  ソファだけを残して居間のテーブルを片付け、みんなの正面に英武を座らせ、
両側に有と滝川が腰を下ろした。
 不安げな面持ちの英武に…大丈夫だよ…頑張って…と軽くキスして、西沢も席についた。
 西沢の向かいの席には祥が悠然と構えており、その隣で怜雄が何かことがあればすぐに動けるようにやや緊張した表情で控えていた。

 有は先ず英武の額に手を触れて、念入りに英武の状態を調べた。
少し怪訝な顔をして何かを滝川に囁いた。
有がしたように滝川も英武の状態を調べ、有に向かって…確かに…と答えた。

 「のっけから申し訳ないが…英武の記憶に操作の後があるので…怜雄と紫苑にも協力してもらいたい。
きみたちの記憶も調べさせてくれ…。 」

 有がそう頼むとふたりはいいですよ…と頷いた。
有は先ず怜雄に近付き怜雄の状態を調べた。滝川も後に続いた。
次に紫苑の記憶にも触れた。

 「有難う…きみたちにも同じ痕跡がある…が英武のほどは強力ではないようだ。
これより先ず…その操作された部分を開放しなければならない。
ノエル…ここへおいで…。 」

有はノエルを呼んだ。ノエルは急いで有の近くへ行った。

 「ノエル…いいかい…今から英武の記憶の中の空白の部分をきみに見せる。
もし何かを感じたら感じたまま話して欲しい。
誰かが何かを話していたら…そのままの言葉でかまわないから…伝えて…。 」

 ノエルは分かりました…と答えた。
有がノエルに触れるとノエルはふらふらし始め、やがてトランス状態に陥った。
有は自分の席にノエルを掛けさせておいて、英武の脳から伝わる空白の情報を有の身体を通じてノエルに送り込んだ。

 ノエルは微動だにしなかった。
まるで眠ってしまったかのようにぐったりとソファに身を沈めていた。
みな息を呑んでノエルの動静を見守った。

 やがて痙攣するように身体が動き出した。
恐怖に慄くように眼を見開いたノエルの口から、鋭い叫び声が上がり、狂ったようにその場を逃げ出そうともがきだした。

 滝川が怪我をさせないようにそっと抑えつけた。
激しい息遣いとともにノエルは四歳の英武の記憶を再現し始めた。
それは…想像を絶する西沢家の隠された真実だった。





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