2016年4月10日に長島町の蔵之元港から天草の牛深港へ渡った。
前年は逆コースで天草を旅した。入江を観ていると溶け込んでしまいそうだ。九州では壱岐、対馬の入江も眺めたが美しい。
牛深港からR266で15Kmほど北上した辺りに面白い看板があった。店の前に立っていたのがマスターで、指笛を吹くと本当にトビが寄ってきた。
店内に若い頃にロックバンドで叩いていたドラムが置かれていた。
“長崎ちゃんぽん”はサッパリ系が多いが、豚肉、魚介類、野菜のスープが濃厚で、「半分食べたらレモン汁で」というのもアイディアだ。
ちゃんぽんとドラムという意外な取り合わせもマスターの型破りの〝作戦〟として納得した。いつかまた食べてみたい“天草ちゃんぽん”だった。
ちゃんぽんで腹ごしらえしてR389を少し走ると遠くの漁港らしき集落に聳える教会の尖塔が目に入った。
それが激しい弾圧を受けた隠れキリシタンの信仰の地に立つ「崎津教会」だった。
現在の建物は1934年(昭和9年)、フランス人宣教師ハルブ神父の時代に踏み絵が行われた庄屋宅の跡地に再建されたもので、内部は日本式の畳敷きだった。
旅から戻って遠藤周作の『沈黙』を読んだ。
午後、3時頃だっただろうか、宿の「風来坊」に到着した。
『夕方に戻りますので、ご自由にお休み下さい。』昨年訪ねた時に玄関に置かれていたメモだ。その玄関は薪ストーブを囲む談話コーナーに変わっていた。
ドミトリーのひと部屋もマスターが冬の間、働きに行っていた神戸から運んだアンティークで落ち着きのある談話室に模様替えされていた。
旅人に休んで貰う気遣いが伝わってくる。
マスターと奥さんが変わらず若々しく迎えてくれた。高齢化で限界集落になった浜辺の家屋を改修したゲストハウスで洗濯に最適の天気に恵まれ、テントも干してさっぱりした気分で芝生に寝転がり、ハンモックに揺られ、居眠りした。
ワーキングホリデーで滞在中の台湾の青年と話をする機会があった。「何をやるかをもう一度考えたい。」ヨーロッパを回り、トマム、京都を経て天草へ来ていた。
台湾の化学系の会社を3年で辞め、日本語を習得したくて来日したという。「先の事はまだ考えていない。でも技術は持っているし、英語と日本語は出来るので仕事はあるでしょう」
あの28才の青年は今どうしているかな。
我が学生時代に出来なかったことだけれど、自転車旅とは訳が違って流石にもう出来ない。笑
(つづく)