楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

次は札幌市民、道民が試される

2021年08月13日 | 日記

志村喬主演の『生きる』という映画を劇場やTVで何度か観てきた。

前例踏襲の〝役所仕事〟をしていた主人公の課長が胃がんの宣告を受けて人が変わったように地域住民から長年に亘って要望が出されて放置されていた子供公園の整備に取り組む。

主人公が出来上がった公園のブランコに乗って〝命短し恋せよ乙女〟で始まる『ゴンドラの唄』を口ずさむ。観る度にブランコの揺れに自分を見つめ直す時間が重なる。

 

商業主義、勝利至上主義、不透明な運営、うす汚れた組織・・・。2020東京オリンピックが終わった。

始まる前の疑問、疑惑がお祭り騒ぎでかき消されるのを観たくなかったので自転車旅に出た。2020東京オリンピックは自身の中に何も残さず、残らず次へと向かった。

 

石原慎太郎が突如、招致をぶち上げて始まった2020東京大会は都民の関心も薄いまま猪瀨、小池の両知事に既定路線のように受け継がれた。

そこにどれほどのオリンピック開催に関する都民とのやり取りがあったのか、傍目には甚だ疑問であった。関心度を高めるのは「負担はありませんよ、損はしませんよ」という囁きだけではなかったか。

結果は惨憺たるものになった。人間の限界を超える激しいトレーニングを積んだアスリートを恰も資源のように見立て、“観光産業”に変質させてしまったオリンピックそのものの限界を突きつけている。

 

『生きる』の主人公の通夜のシーンがある。役所の上司らが課長を讃えつつも「手柄はオレのもの」と互いに自慢しながら盃を交わす。

映画は数日後に上から下まで以前の“事なかれ主義”に戻っている場面を映し出して終わる。

 

住んでいる北海道の札幌市では2030冬季オリンピックを招致しようとしている。次へと向かったオリンピックに今度は道民、札幌市民が向き合うことになる。傍目ではいられない。

選手を清涼剤にして誤魔化すことから今度は離れない。生きている間は。

 

 

《当時の報道記事;スキー板のメーカーロゴをカメラマンに向けて撮影させたことが違反とされる時代だった》