札幌市の狸小路にあるシアター・キノで森達也監督の『福田村事件』を観た。
制作委員会に関わった多くの人の名前がエンドロールで重たく流れた。
100年前の1923年9月1に起きた関東大震災の混乱時に、「朝鮮人が井戸に毒薬を撒いている、略奪している、婦女子へ暴行をはたらいている。」といった流言飛語が蔓延し、6,000人、或いはそれ以上ではないかとも言われている朝鮮人虐殺があった。
この事実は知っていたが、「福田村事件」のことはこの映画で知り、何年ぶりかで映画館に足を運んだ。
今から100年前、千葉県の福田村(現在の野田市)で事件は起きた。
香川県から薬の行商で福田村に来ていた15人のうち、9人(妊婦もいたので10人と数える場合もある)が「話している言葉(讃岐弁)が分からない。朝鮮人ではないか。」という理由で村の自警団に惨殺された。
内閣府防災会議は事実として認めているが、全容は未だに分かっていない。
何故、事件は起きたのか。
何故、普通の村人が狂気に走ったのか、
何故、新聞は事実を書こうとしなかったのか、
エンドロールのように頭の中を回った。
同調圧力、組織の暴走、事実の隠蔽。
今の時代と100年前が重なる。
小池東京都知事は「朝鮮人の虐殺は後世の歴史家が判断すること。」として事実を認めず、〝忘れてしまう〟ことを待っているかのようだ。
森監督はインタビューで、「どのような人に観てほしいか。」という問いかけに、「まず日本人の全員に」、「次にアジアの全員に」、「最後は世界の全員に」と答えている。
なんばんが色づいてきた 2023.10.1
関東大震災の混乱時「朝鮮人が放火した」
などの流言飛語によってそれを信じた
官憲や自警団などが多数の朝鮮人や共産
主義者を虐殺した事件は語り継がれてき
ましたが「らんまん」では混乱の様子は
伝えられましたが、詳しくは語られませ
んでしたね。
過去に目を閉ざすと現在にも盲目になるという言葉がありますが、最近、特に感じる事が多すぎます。