朝のポタリング(自転車ブラブラ散歩)で一緒の83才のGさんから「支笏湖まで走ろう!」と提案があった。
しかし、片道40kmある。「行きは良い良い、帰りは・・・」になる。
やんわりと修正して行き先は隣の千歳市にあるサケ捕獲場になった。
元の職場の先輩のAさんと3人の初めてのサイクリングだった。
距離は17Km。
若い頃は社交ダンスが趣味だったというGさんは気持ちが若く、物事に前向きに取り組む姿勢は常々手本にしなければと思っている。
日々、駅前の交差点で子供達の交通安全の旗振りを欠かさず、朝のポタリングに顔を出してから駅前に向かう。
千歳市内の橋の上からも鮭の群れを眺めることが出来た。上流に一直線というよりは群れで周遊しているようだった。
交通量の少ない農道を選び、30分毎に休憩を取りながら昼に目的地に着いた。
バスツァーのコースになっているけれどこの日は1台も止まっていなかった。コロナ規制が緩和されてもまだ客足は戻っていないようだ。
《下の方は鱒 2022.9.11》
昼の休憩時間だったせいか、サケを捕獲する〝インディアン水車〟は回っていなかったが、支笏湖から流れる千歳川の堰にはサケ、サケ、サケの魚影。
鱒の群れもキラリと腹を光からせていた。
捕獲された鮭はトラックで上流の孵化場に運ばれ、来春、放流される。
ポタリングしている漁川にも間もなく鮭が遡上する。
家に戻って皆で近くの温泉に行きのんびり浸かった。
秋が深まって来た。
【訂正】
インディアン水車で「鱒の群れ」とあるのは「ウグイ」の誤りですので訂正します。
Blogで魚のことに詳しい人にお聞きしましたら、この時期サクラマスはもっと上流に行っているはずだし、
他の鱒の類いはこのような大群にはならないとのことでした。2022.9.21
ところでSATOさん、「日本奥地紀行」という本を知っていますか。最近2度目の読了を夢中になってやったのですが、明治の前半に日本に来たスコットランドの探検家・中年女性イザベラ・バードが東北、北海道などを旅した紀行文、まー詳しい探検報告ですね。
当時の日本人の良さが分かりますし、北海道は函館から、長万部、苫小牧から平取までを往復して、アイヌの記録を残しています。
イザベラバード、読みましたよ。
平取のゴール地点にある義経神社も自転車で訪ねたことがありました。
急遽ベッドを使った、入浴に苦労した、日本人とアイヌ民族の道案内・・・
断片的に想い出しました。
私も再読してみます。
日本橋からバードの道を自転車で走破した知人がいます。
今朝、あらためてもう一度ゆっくり鮭の様子を見てみましたが・・・
こんなに大挙して遡上するのですか?
透明度の高い川の水を透して鮭たちの動きや写真からは見えない背びれや尾びれの揺らめきまでもが伝わってくるようですね。
その昔の道東の薫別川では箒が立ったという逸話も残っています。少々オーバーですが。
今はそのようなことはありませんが、朝のポタリングで数匹の遡上を見ることが出来ます。
稚魚を放流している川でしか見れません。いつまでも続いて欲しいものです。
義経神社も見た! あれのいわれはどういうことなんですか?
アイヌ人の酒の習慣は元々のもの?
いろいろ確かめたいことが出てきました。
この頃から比べると日本人の徳性が落ちているように思ったなど、感想もいっぱいです。バードは日本がよほど気に入ったらしく、以降2度も来日していたようです。22日入院してきます。
平取はアイヌの聖地があった地域なので彼らとの色々な結びつきが言い伝えで残っているようです。
アイヌに酒をもたらしたのは松前藩です。
酔わせて酋長を籠絡したり殺害したりした事件が沢山あります。
松前藩が直接統治したのは渡島半島の和人居住区だけで、他の沿岸部や内陸部は商人を使ってアイヌから水産物、毛皮を搾取したわけで、その頃の和人は蝦夷地の征服者でした。