今年はこの本を読もうと元旦に注文したら3日に届いた。
Amaznさん、そんなに頑張らなくてもいいのに。
日本のエネルギーを支えた石炭を掘り出すために全国から様々な人が芦別市周辺の5つの炭鉱に移住し、暮らし、石油へのエネルギー転換と共に去った。
小学校、中学校、高校の友人達は殆ど住んでいない。
想い出の地には鹿が草を食んでいたりする。
陽炎を見るようだ。
国鉄の技術屋だった父親も移住者の一人だった。
40歳台で中途退職し、三井鉱山の石炭輸送を担う三井芦別鉄道に転職した。
5人兄弟で自分だけが炭鉱で生まれ高校卒業までを過ごした。
職員と従業員、会社と下請け、歴然たる格差社会の存在。
そんな中で分け隔てなく若い情熱を注いでいた教師。
15歳かそこらの少年たちの人格形成に深く関わっていた炭鉱という特殊な社会を『芦別』で追想したい。
編・著者の長谷山隆博さんは長いこと芦別市教育委員会の学芸員を務められ、膨大な資料からなるこの『芦別』を編み、2024年2月9日に64歳で旅立たれた。
中学のクラス会でマイクロバスに同乗して初めて聴く西芦別の歴史をご案内していただいた。
合掌
現在の西芦別町 炭鉱の事務所跡地 2024.9.15
小学校に上がる前、兄たちに連れられて行った炭鉱の映画館でこの曲が上映前にかかっていたことを覚えている。
アーサー・キッド(アメリカ 1927/2008)
1955年とあるから当方6歳くらい、アーサー・キット27歳頃になる。
いつも良いエントリーを書かれて、ただし久しぶりに読みました。年末からずっとサボっていたので。
ことしもよろしく!
お身体、ご自愛ください。
父は国鉄の薄給では子供を育てられないと思ったのか、炭鉱の景気につられて仲間とトラバーユしたようでした。明治生まれの蒸気機関士上がりですから、突然の話に母はびっくりしたようでした。炭鉱が閉山した時、私は大学であり家も札幌に出ていました。あの頃の友達は全国に散って、亡くなった人もいて、なかなか会うことも無くなり、『芦別』を捲るのが楽しみです。
お父さんは明治生まれ? 僕の父母はともに1910年の明治生まれです。転職には、ご家族が驚かれたことでしょうね。この下りがまた、心に残りました。
「私は大学であり家も札幌に出ていました。あの頃の友達は全国に散って、亡くなった人もいて、なかなか会うことも無くなり」
僕のクラスメイトにも、北大へ行った人がいて、青年時代の僕自身も北海道に憧れていました。「確か、都ぞ弥生の雲紫に・・」だったかな? 同人誌の仲間にも、お父さんが国鉄職員で青森にいたことがある女性が居ます。長年の随筆から伺うお父さんは、人としてとてもしっかりした家族思いの方でした。
また時々ここに書きたくなるのですが、今年もよろしくお願いします。