このブログを訪れた友人たちが「宣伝料は入るのか」「笑ってしまった」と騒ぐ。実は僕は最初に記事が反映されているのを確認した後は、書いては投稿するのを繰り返していただけで、なんのことやら分からなかった。
ブログを書こうと思い立ったとき手許にあったのが「無料でできる・・・」といった種類の手引き書で、その通りにクリックだの記入だのしていったら、ご覧のような代物ができあがった次第である。
友人が笑ったというのは僕の記事に対してではなく、記事の下に自動的に現れる宣伝に対してである。
自分の文章が雑誌に載ったりすると、限りなく嫌悪感が湧く。そこまでない場合でも、すくなくともこっぱずかしい感情と戦わなければならない。
ネットでも同じだ。学生のころまでは誰かが撮ったスナップなぞがいつのまにかたまっていったが、そういうとき自分が写った写真を見るのは実に嫌なものだ。そんな感じかな。書きたいことをずらずら書いてみないと「運動神経」もつかないから書いてみるのだが、自分の書いたものが画面に現れては気力も失せるから、なるべく見たくなかった。でも仕方なくちょいとページを開いてみた。そしてうなってしまった。
「よい耳」に「諦めないで。難聴」とか「あばら屋」には「お金欲しいですか」とかが、多分キーワードの自動解析で付くシステムらしい。そんなこと手引き書に書いてはなかったような気がする。あったかもしれない。要するに必要な項目を適当に選択してとばし読みしていたわけだ。保険の約款ではなくて幸いだった。
でも僕は知らないうちに、高利貸しだの音楽教室だの補聴器メーカーの宣伝に一役買っていたのだ。驚いた。でも大笑いしたのも事実である。
昔の人は田舎から都会へ出て、都会人の抜け目なさに驚き、生き馬の眼を抜くようだと表現した。今の僕はちょうどそういった田舎者の心境だ。
まあ、考えてみれば無料なのにはわけがある。わけがあるのは分かっていたが、それがこんなこととは思わなかった。現代は小賢しい知恵にあふれてもいるのだな。
引っ越してじゃまな宣伝を消したいが、方法が分からないし、面倒くさいかもしれない。今のところ、タイトルからどんな宣伝が想起されるのかを楽しみにした方が良いかもしれない。
と書いてはたと困った。それを楽しむには自分でページを開く必要がある。それは困る。どなたか面白そうなのがあったら教えて下さい。