やはり日本代表は韓国にも完敗した。
犬飼会長は岡田監督の更迭はリスクが大きいから考えないという。僕はそれを予想していた。その上でその考え方に反論しよう。
前の記事で戦術云々ではない、もっと根深い問題だと書いた。それではただ監督を更迭するというのは矛盾しないか、という声もあろう。
しかし私見によれば(いやあ偉そうでしょう)犬飼さんのような考え方自体が日本の手詰まり感を産み出している。
サッカーの代表でいえばフォワードがリスクを恐れて安全なほうへ流れていくことが大きな特色のひとつである。これを特色といえばね。もうひとつはこれと密接な関係があるけれど、技術が技術としてのみあること。これも、これを技術と呼べるかということは今問わない。
今のままではいけないという認識を誰もが持っているのでしょう、それにもかかわらずなおもリスクが大きいというのは解せない。仕方ない、そこまで追い込まれているのだ、リスクを負ってでも決断しないと他になんの方法も見つからない。
あと1試合3月3日のバーレーン戦に負けて御覧なさい、もう解任論が大きくなりすぎるから。そしてそこまでの時間はあまりにも大きい。ただでも後手に回っているのにもう完全に手遅れである。仮に更迭しようか、という気持ちが少しでも心に浮かんだならば今をおいてしかない。
ワールドカップのことを考えると、どうやっても今のままではただ笑われにいくようなものだ。選手は萎縮している。たとえば前の試合で、勝ったにもかかわらず平山選手はインタビューの間、スタンドの反応をチラチラ気にしていて痛々しく感じるほどであった。前を向くしかないという選手たちのコメントはむなしく響くばかりだ。
そういう時に思い切って決断しない、その姿勢こそがフォワードの勝負弱さを生む土壌なのだと僕は思う。
本大会の直前に監督を代えてどうかなるような高いレベルには残念ながらない。しかしこれではおそらく1勝もできないだろう。その時に一気にサッカー離れが加速するだろうと古くからのファンは気を揉むのである。
サッカーに関して僕がこれほどまでに熱意をもって語るのは、もちろんサッカーを愛好するからであるが、前にも書いたように日本のあらゆるシーンの象徴でもあると感じるからだ。
以前関係していたコンクールが存亡の危機に直面していたときも、今日各音楽大学が学生の減少を憂えているときも、結局根本的な手を打たずうやむやにしながら明日になる。そして消滅する。
起死回生の妙案を持っているわけではない。自分の周りを見回してみろ、というだけの話だ。
大風呂敷を広げるとね、幕末の日本中のてんやわんやと何一つ変わっていない。記録を読めば読むほど、自分たちで決断をすることが苦手なのだと思わないわけにはいかない。
仮にメディアの中で解任論が大勢を占めるようになっても彼らの責任は大きい。「岡ちゃん」とか侍とかの演出を手がけたのは彼らだからだ。僕は結論が合致したからといってメディアを善しとはしない。結論が同じだからと呉越同舟を決め込むのは政治だけで充分だ。僕はメディアの「厳しさ」には眉につばを塗っている。
選手に芸能人と同じ扱いをしてすっかりその気にさせておいて、負けると梯子を外す。その幼稚さに僕は異論を唱える。
音楽界でもういやというほど見かけるのでやりきれないのである。当事者といいメディアといいうんざりだ。
犬飼会長は岡田監督の更迭はリスクが大きいから考えないという。僕はそれを予想していた。その上でその考え方に反論しよう。
前の記事で戦術云々ではない、もっと根深い問題だと書いた。それではただ監督を更迭するというのは矛盾しないか、という声もあろう。
しかし私見によれば(いやあ偉そうでしょう)犬飼さんのような考え方自体が日本の手詰まり感を産み出している。
サッカーの代表でいえばフォワードがリスクを恐れて安全なほうへ流れていくことが大きな特色のひとつである。これを特色といえばね。もうひとつはこれと密接な関係があるけれど、技術が技術としてのみあること。これも、これを技術と呼べるかということは今問わない。
今のままではいけないという認識を誰もが持っているのでしょう、それにもかかわらずなおもリスクが大きいというのは解せない。仕方ない、そこまで追い込まれているのだ、リスクを負ってでも決断しないと他になんの方法も見つからない。
あと1試合3月3日のバーレーン戦に負けて御覧なさい、もう解任論が大きくなりすぎるから。そしてそこまでの時間はあまりにも大きい。ただでも後手に回っているのにもう完全に手遅れである。仮に更迭しようか、という気持ちが少しでも心に浮かんだならば今をおいてしかない。
ワールドカップのことを考えると、どうやっても今のままではただ笑われにいくようなものだ。選手は萎縮している。たとえば前の試合で、勝ったにもかかわらず平山選手はインタビューの間、スタンドの反応をチラチラ気にしていて痛々しく感じるほどであった。前を向くしかないという選手たちのコメントはむなしく響くばかりだ。
そういう時に思い切って決断しない、その姿勢こそがフォワードの勝負弱さを生む土壌なのだと僕は思う。
本大会の直前に監督を代えてどうかなるような高いレベルには残念ながらない。しかしこれではおそらく1勝もできないだろう。その時に一気にサッカー離れが加速するだろうと古くからのファンは気を揉むのである。
サッカーに関して僕がこれほどまでに熱意をもって語るのは、もちろんサッカーを愛好するからであるが、前にも書いたように日本のあらゆるシーンの象徴でもあると感じるからだ。
以前関係していたコンクールが存亡の危機に直面していたときも、今日各音楽大学が学生の減少を憂えているときも、結局根本的な手を打たずうやむやにしながら明日になる。そして消滅する。
起死回生の妙案を持っているわけではない。自分の周りを見回してみろ、というだけの話だ。
大風呂敷を広げるとね、幕末の日本中のてんやわんやと何一つ変わっていない。記録を読めば読むほど、自分たちで決断をすることが苦手なのだと思わないわけにはいかない。
仮にメディアの中で解任論が大勢を占めるようになっても彼らの責任は大きい。「岡ちゃん」とか侍とかの演出を手がけたのは彼らだからだ。僕は結論が合致したからといってメディアを善しとはしない。結論が同じだからと呉越同舟を決め込むのは政治だけで充分だ。僕はメディアの「厳しさ」には眉につばを塗っている。
選手に芸能人と同じ扱いをしてすっかりその気にさせておいて、負けると梯子を外す。その幼稚さに僕は異論を唱える。
音楽界でもういやというほど見かけるのでやりきれないのである。当事者といいメディアといいうんざりだ。