季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

人が悪い

2010年02月22日 | 音楽
ショパンイヤーに因んで僕なりの空想を。

この人はなかなか理解するのに骨が折れる人だと思う。結構屈折した性質だと思われる。

僕は何ひとつ(例によって)調べ上げたものはない。単なる山勘なんだが。この人の練習曲ひとつ例にとっても、空想を羽ばたかせるのが楽しい。

有名な「エオリアンハープ」をチェルニーへの当てこすり、軽蔑の念だと言ったらどう思いますか?

チェルニー50番に変イ長調の曲がある。これの左手の音型は「エオリアンハープ」とよく似ている。

ショパンのこんな声が聞こえてくるようだ。「変イ長調という絶妙なニュアンスを持っている調でしかも分散和音を使ってこれほど詰まらない曲を書くとは!ひとつ僕が手本を書いてやろうじゃないか」

あるいは「黒鍵」で。「諸君は1指で黒鍵を弾くことを避けているでしょう。なぜですか?1指を一番強い指だなんて思っていないでしょうね?1指を使いこなすことはピアノ演奏の基本ですよ」そういう声がする。

ヘ短調の練習曲はリストの「超絶技巧練習曲」のヘ短調と酷似している。これらがどちらが先に書かれているのか僕は知らない。リストの作品は書き直されているから、よけい書かれた時期について知ることは面倒だ。

いや、簡単に調べられるんですよ。僕は怠惰だからそれをしないだけだ。それよりもあれこれ空想してみる。

研究を馬鹿にするわけではないけれど、研究者は研究することの危険をよく承知しているか、と問いたいのである。

例をひとつ。

西郷隆盛はほんとうは日本から脱出してロシアの皇太子になったという言い伝えがある。

こんなこと否定することはきっと簡単だろう。しかし、西郷の死を信じたくなかった人々の心がこういう言い伝えを創りあげたのであれば、この創作自体は意味を持つ。

歴史ではウソまでが意味を持つというのはそういうことなのである。

ショパンとリストの関係に戻れば、ショパンはこの二つの曲が非常に似通っていることに対して苦笑いしたに違いない。

ショパンのリスト評。「リストは才能がない。しかし彼は才能があるかのように振舞うことができる」

正確な評だ。これを読んだだけでショパンという男が一筋縄では行かぬ男であることが分かる。

どちらが先にできたにせよ、ショパンのこの意見だけは変わらないであろう。僕が研究よりも山勘を、と山勘磨きに精を出すのはそうした理由からだ。

でも知っている人がいたらぜひ教えてください。僕の山勘はショパンが先に書いてリストが触発されたと囁くのだが。