季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

過去の遺産

2014年01月03日 | 音楽
ヴァイオリニストのメニューインはグールドと共演した際、現代音楽について実に面白い比喩を使って説明している。因みに彼はシェーンベルクなどの現代音楽に心を寄せることができず、対してグールドは好んで取り上げる。

メニューインに拠ると、たとえば誰もが知る劇、「ロメオとジュリエット」の一場面を、セリフだけ意味不明なものに置き換えても、人はその場面を思い浮かべることが出来る。ああ、あの場面かと承知しているからだ。そうして、「意味不明」の言葉と場面とを何となく重ね合わせる。

現代の曲は過去のあらゆる名曲を下敷きに使っていて、それらの経験(聴き手のみならず弾き手も)の集積があってはじめて「理解」できるのだという。

これはまさにその通りなのであって、大変に分かりやすい説明だ。これを読んでくださっている方が分かりにくいと感じたならば責任は僕の書きぶりにある。ずいぶん早口に書いているのは自覚しているから。

以上は、様々な新しい試みが乱立しているように見える現代音楽のある部分にしか当てはまらないかも知れない。

その他の試みについてここでは触れない。まず僕自身に知識が無い。

メニューインの説明が実に明快だったからそれを紹介したかった。グールドも他の時に面白いことを言ったから、いずれそちらも紹介しよう。