季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

一見温かい

2014年01月19日 | 音楽
故園田高弘さんは、音大の入試でも手が小さい人は、たとえどんな良い演奏をしても落としていたそうだ。

そしてその話を紹介する人は「演奏家として独り立ちするには手が小さいと不利だ、それをいやというほど知り尽くしていた園田さんの温かい愛情だろう」と書く。

馬鹿を言っちゃいけない。この逸話が本当だと仮定して、なんという傲慢な独りよがりかと僕は呆れる。

良い演奏をしたなら素直に入れろよ、と言いたいね。音大生すべてが演奏家として自立できるはずがない。言うまでもない。

でも良い演奏をした人が良い教師になってくれたならば、それはそれで大切なことではないか。その人が名演奏家を育てるかも知れないではないか。もっと率直に言ってしまえば、そういう存在は、得体の知れない演奏家とやらよりずっと大切なのだ。

こんなバカバカしい言葉を温かい心だと受け止める、日本の人は素直だなあ。僕が擦れからしなのかね。それでも誰が何と言おうとこの手のはったりは大嫌いである。

はったりばかりではない。温かいどころか反対に冷血だと思う。冷血という言葉が適切でなければ、例えようもない気障だね。この種の自己陶酔は。

さて、この一連の感想は園田さんの発言を巡ってのものだが、本当にそう言われたのか僕には知る術がない。

でもこれを紹介した人にとってはその発言の内容は「真実」なのである。つまり発言の主が園田さんであろうとピアニストAさんBさんであろうと、温かい心だと感じるわけだ。僕が持つ激しい違和感はむしろその底抜けのお人好しにある。

因みにルフェビュールという名ピアニストはオクターヴがやっとだったそうだ。