季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

記憶

2014年01月14日 | 音楽
いつも通る道でも、ある日に家や店が取り壊されていることがある。

するとそこには以前何が建っていたか思い出せない。僕らの記憶なんてそんなものだ。

自分の財布の正確な形状や細部だって、描こうと思ったら曖昧だということに気づく。中身だっていくらあるか、大抵は曖昧だけどね。僕の場合は入っていると信じていて店頭で🈳である(あれ、変な変換になったが、気持が伝わるからこのままでいいや)ことに気づく。僕が使ってしまったか、家内が抜き取ったかのどちらかだろう。

札束がワープした可能性もあるかもしれないが、現在の科学ではまだ解明されていない。そもそも札束というものを見た記憶があるのか曖昧である。

ゴッホがもう見ないでも描けると弟に豪語するのはそういう事だ。暗譜なども全く同じである。楽譜に起してみると余りにも曖昧で焦る。

僕らの脳みその特性を知る以外、曖昧さから逃れる方法はあるまい。