季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

建前論

2014年06月17日 | スポーツ
ひとつ僕が気になることを書いておきたい。

日本代表が「目標は優勝」と公言していることだ。これがどうもひっかかる。

出る以上は目標は優勝だ、というのは当然なのだろうか?

ブラジル、ドイツ、スペイン、アルゼンチンなどが言うのは分かる。彼らは2位でも失望するだろう。

無論希望するのは良い。しかし日本代表のは、どう言えば良いか、負けるために行くのではない、という常識をもっともらしいポジティブな表現にしてしまっただけだと思われる。

ちょうどそれは「平和が大切だと思います」と発言しておけば考えを持った良い生徒だと見なされる学校作文のように感じてしまうのである。

あるいは「みんな仲良く」でもそうだ。こうした言葉は子供に言わせてはいけないのではなかろうか。

僕は当然ながら平和が大切ではないと言っているのではなく、仲良くするのがおかしいと主張しているのでもない。

平和や仲良くすることが「良い」ことだというのは自ずから分かることだ。そしてそれが実生活では中々むつかしいということも嫌でも分かることだ。

お題目を唱えさせていると、その言葉はどんどん虚しい響きしか持たなくなる。心ある者は嘘臭さを感じ、それを感じないで唱え続ける人は度し難い空想家になる。ドストエフスキーが例えば「カラマーゾフの兄弟」でエカチェリーナ夫人で強烈に描いた通りに。

この手のフワフワした建前だけの発言に「目標は優勝」は重なる。僕はそう感じてしまう。「有言実行」というカッコ良い響きもあるかもしれない。この手の教育の結果、日本中に夢とか仲間とか、力のない、雰囲気だけの言葉や態度が拡がったのではないか?

本当に優勝を目指すチーム(ファンも含めて)ならばもっと違ったプレー、姿になるだろう。

自分たちのプレーさえすれば勝てる、というのも同様だ。相手も同じことを言っている。つまり、勝ちさえすれば負けないと力んで言うのと同じ滑稽な発言である。

自分たちのプレーをどうやったら出来るのか、ということが勝つということではないか。そう言えば「綺麗に弾くのがコツなの」とのたもうた「巨匠」もいたな。コツを掴めば綺麗に弾けるだろう、話が逆だろうと突っ込む人が続出しないのが不思議だった。


実体のある批評があれば周りも真剣に議論をするだろう。それが我々ファンからすればお祭りを楽しむことにもなる。言葉の醸し出す空気だけを楽しんだり批判するのはいい加減やめた方が良いと僕は思う。