季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

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2015年05月20日 | 音楽
最近床についてからYou Tubeで演奏を検索することが増えてしまった。言うまでもなく感心した方法ではない。

それはさておき、改めて昔の歌手が優秀だったと痛感する。美しい声であるのはもちろんだが、何より層が厚い。僕は昔の歌手を知っている方だとは思うのだが、聞いたことのない名前の演奏を聴き、優秀さに驚くことが多いのである。

付け加えておく。よく知った方だと書いたが、所謂音楽ファンからすると赤ん坊のようなものだ。あくまでピアノ弾きとしては昔の歌手に親しんでいると言うのが正確。

へえ、知らない歌手だが良いなぁ、と思って検索をかけるでしょう、すると「その道のプロ」たちが微に入り細にわたって論評している。なんだ、お前はこの人を知らなかったのかい、と言われそうだ。論評が当を得たものかは別さ。

シュヴァルツコップが「今だって才能のある人はいるのでしょうが、昔と一番違うのは、今日では最初からもっと豊かな声量で歌うことを要求されること。それによって声を成長させることができなくなる。自分の声も決して大きな声なのではなく、よく透る声なのだ」と語っていたが、まさにその通りだ。これはピアノにも当てはまる。

オーケストラを圧倒する音量、なんて寝言が評論家の言葉として通用するんだからな。寝言では可愛すぎるな。論評自体がわめき散らしたような感じだと僕は思う。あなたが女性だとして、汚い声で「あなたはきれいですねぇ」とわめかれたら嬉しいですか?

脱線してきたからここまでにする。サムネイルがモノクロを選んで行くと良い歌手に行き当たる確率は高くなる。こんないい加減な方法もある。