季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

解釈の一端を

2015年05月26日 | 音楽
以前エドウィン・フィッシャーがベートーヴェンのOp.10 No.3 のソナタ第2テーマを、ふつうレドシラと8分音符で弾かれるのに、レを明らかな前打音として演奏していることを紹介した。(09年9月7日

そのことについて少し解説めいたことをしてみようと思う。本ブログを読む音楽関係以外の人には何の関心もないだろうが。簡単に書いておくから、音楽を学んでいる人たちは参考にしてもらいたい。



このソナタはレドシラという下降の音型を主要なモティーフとして成り立っている。レはアウフタクトで、2番目のドに向かって大きなエネルギーが蓄えられる。よくレにアクセントをつけて弾く人がいるが、それでは何のためにアウフタクトで開始するのか分からなくなる。

そこから得られる躍動感はフィナーレにも再び現れることも知っておいてもらいたい。2度の下降音にスラーが付くことにより生じる躍動感は3楽章のトリオでも左手に分かりやすい形で現れる。

少し先まで言っておこうか。このドはニ長調の導音で、フェルマータを超えて遠くレーミドラレまでを支配する。

演奏に際して、およそこうした根幹だけは辿っておかなければ、じゅげむじゅげむを唱えるのと大差無い結果になる。

書きながらもどかしいなあ。音符を打つソフトがあることは知っているが、それを使いこなすのは無理だろうね。でも音符で示せたら便利だろうな。

こうしてみると五線の発明がいかに偉大であったかが分かろうというものだ。音符を疎ましく眺めているあなた、片仮名でドだのミだの書いている僕の身になってごらんなさい。

ここまで読んだ人は音楽を学んでいる人だろうから、面倒がらずに楽譜にあたってください。楽譜なしで分かった人はもっと細かい分析まで独力でできる人だから僕のおしゃべりなんぞ必要ないから読み飛ばすことをお勧めする。

さて第2テーマだが、上記のように、通常は連続する8分音符として演奏される。この場合、レドシラソミという音列と第1テーマとの親近性がたちどころに理解できる。というよりは、この音型を重視して読めばこう読むほかないのである。

ではなぜフィッシャーはそうしなかったのか?ここからは彼の心を推し量る以外にないのであるが、おそらく第1テーマのもつレドシラのドへのエネルギーを感じること、それとの関連を示すことをより重要視したのではないだろうか。フィッシャーのように演奏した場合、ドにかなり強めのアクセントが付くことになる。

楽譜の上では何の変哲もない、紙魚のように見える前打音の扱いひとつでも、よく考え、吟味して演奏しなければならないことの好例である。

古典派の曲での前打音は普通の音符として弾けば良いのでございます、と澄ましかえって高邁な教えを垂れるわけにはいかないのである。