ソプラノのシュヴァルツコップが素晴らしいレッスンをする、これはドイツにいた時分テレビで観てよく知っていた。あらゆる演奏分野で、あの人ほど密度の濃いレッスンをする人はいなかった。草津の音楽祭でも熱心に教えていたようだ。僕がドイツで観たテレビでレッスンを受けていたのはドイツ人(正確な国籍は分からない。ただドイツ語圏の人)で、草津のシュヴァルツコップは、手を抜いているのではないが、一種の距離を保ったレッスンぶりだったように感じる。もっとも僕は草津音楽祭に参加したわけではなく、これまたテレビで観ただけなのだが。
彼女はザルツブルクの夏期講習かなにかでも、歌曲の講座を開いていたのだが、そのレッスンの模様が1時間におさめられレーザーディスクで売られた。おそらくこれもドイツのテレビ放送用にまとめられたのだろう。
これは貴重な記録である。この人がどれだけ細心の注意を払って生徒の演奏を聴きわけようとしているのか、またどれほど熱意をもって受講者に伝えようとしているか、それが手に取るように分かる。
残念なことに、この不世出のソプラノの講座に、少なくとも画面で見た限りでは、そんなにたくさんの人が聴講に訪れたようには見えないことである。受講者の数も予定に満たなかったため、急遽聴講者の中から受講者を募ったのだという。歌手の質も、シュヴァルツコップのレッスンなのに、高くない。
それにも拘わらず、彼女の教えぶりは徹底していて、感動する。受講者から笑いがもれるような、うち解けた空気ではあるが、耳だけは掛け値無しに厳しい。こういうレッスンは見ていても気持ちがよい。質が良いとはいえない生徒でも、根気強く同じことを繰り返し繰り返し指摘する。
どこかの国のレッスンとはまったく逆だ。昔のある有名教授は「なにを言ったらよいか分からなくなったら、怒鳴りつければよい」とのたまわったそうだ。正直なお方だ、まったく。
と、脱線しそうになるのをこらえつつ、先を書く。
このシュヴァルツコップの映像を見ていて切に思うのは、ああ、この場にいて聴講したかったな、ということだ。同時にこの、数日間にわたる講習会は全部記録されていることを思わないわけにはいかない。少なくとも録画はされているのだ。
それがたったの1時間に「まとめ」られている。いくつかの章に分けられ、その細目は忘れてしまったが、見る人は一応の目安をたてられる仕組みである。たとえば「レガートについて」とか。
まあ、見る人にとっては都合良いともいえようか。しかし実際のレッスンというものは、テーマを決めてそれについてのみ言及するものではない。あちらこちら、行ったり来たりしながら又同じ課題にもどったり、の繰り返しのはずである。
これを全部体験できたらどんなに面白いか。
テレビというか、映像メディアはその強みをまったく理解していないと思わざるを得ない。殊に、最近では多チャンネルだのデジタルだの、かけ声だけは何だかわからないけれど現代風に響くではないですか。こうした時代だからこそ、この講座全部を、それではあまりに膨大な量になるというならせめて、カットとか編集とかの手を加えずに「垂れ流す」ようなことをしてみればよいと思うのである。
少なくとも、視聴者のために編集して、理解しやすくするといった態度は、傲慢といった方がよい。演奏の一部を聴かせる、全部あるのに時間の都合で一部聴かせる。そのうえでN○Kが誇るライブラリー等のセリフをいう。そのての放送局ばかり増える。では画面の都合でモナリザの左側半分をお見せします、くらい言ってみろ、そうしたら自分たちがいかに馬鹿で傲慢な態度で文化に接しているか気付くだろう。
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