季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

独りよがり(講座での質問を巡って)

2015年06月09日 | 音楽
先日講座を済ませたが、その際ピアノを学んでいる人から質問があった。

レッスンで「独りよがりにならないよう」注意があるけれど、それがどういうことか分からないとのことだった。

このフレーズはよく聞く。言われたほうはかなり否定的なことを言われたように深刻に受け止めるかもしれない。

僕はこうした漠然としたものは言ってはならないのではないかと思う。

この言い方が演奏を肯定したものではないのは誰でも分かる。その場合、たとえばどこがバランスを欠いているのか等、具体的に指摘すればことが足りるはずだ。それを独りよがりなんて言い方をしてごらんなさい。表現する勇気まで失せてしまいそうでしょう。

僕の懸念をはっきり言えば、こうした言い方の陰には自分が感じたことを表現することへの自信のなさが隠されているではないか、ということ。

演奏に客観的な表情なんてありえない以上、すべて「私」の判断なのである。「私」の責任において目の前の演奏を判断しているにすぎない。どこをどう探しても客観的表現なるものはありようがない。

抽象的すぎるならこう言っておこう。僕は生徒の演奏を聴き僕の主観に従って指摘をする。どこまで行ってもそれだけだ。生徒が納得出来ないことが重なれば、その時は僕から去れば良い。かんたんなことである。

独りよがりにならず、それでいて自己を主張する、こんなのはこれまた言葉のあや(あやにもなっていないじゃないか、ホントは)に過ぎない。独りよがりは良いか悪いか。悪い。ピンポン。自己主張はして良いか悪いか。良い。ピンポン。こんな問いかけに変容してしまうから、人から考える力、感じる力を根こそぎ奪ってしまう。だって答えは決まっているではないか。

そもそも考える力というと、何だかご大層に聞こえるが、決して難しい事柄を考えるという意味ではないはずだ。それは解釈についてで書いたことと重なる。





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