季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

部活について

2015年06月11日 | その他
つい先ごろ、学校の部活でまったく知識、経験のない分野で顧問を務める問題、ストレスについて、教師から様々な声が寄せられているとの記事があった。たしか名古屋大の何とか先生よる纏めだった。

当然といえば当然だ。

とは言え、僕にはこのレポートの要旨が掴みかねた。

その分野分野の専門知識を持っている教師を配置すべきだと主張しているのか、教師が多忙を極めている実態を訴えているのか、等々。

調査に協力した教師にしても、何を訴えるのだろうか?

外部から専門知識を持った人をクラブ活動のために呼びたいのか、見合った手当を欲するのか。

どうも釈然としないのは、何れにせよ部活自体の存在だけは自明なものとして扱われているようにしかみえないことである。

その視点まで言及しないからあらゆる声が単なる愚痴にしか聞こえない。

部活が無い学校生活は考えにくい、というのはずいぶん根強い意見らしい。ちょっとちがう角度から見たら、部活はずっと学校にあったのだから考えにくいのは当たり前だろうに。

でもこれこそ議論の俎上に載せる価値がある話題ではないか。

こうした事を話すこと自体に及び腰なのはどうしたことなのか。

話し合いが何にも増して大切だと繰り返し説かれる。でもそれは建前に過ぎないのではないか、とすら思われる。

と書いている間に、スポーツの観点から問題提起があり、それにも首をかしげざるをえなかった。それについては改めて書く。

以上は少し以前に書いて、投稿しようとした矢先に柔道事故などが次々起り、タイミングを失した。しかし僕はスポーツ自体を書きたいのではなく、音楽も含めたあらゆることがらにまたがる今日的事象を指摘しておきたいので今投稿する。




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