中古のピアノを見るのは楽しい。たとえ自分で買うのではなくても楽しい。
ドイツ時代の楽しみのひとつが、中古ピアノ巡りだった。
毎週末、ハンブルガー・アーベントブラットという新聞が、広告ばかりの紙面構成版を出すのだ。何でもある。車、あらゆる電化製品、不動産等の売買、賃貸住宅の貸し借り。ペットも、いや、それどころか恋人、結婚相手募集などまであった。
思い返せば僕も随分世話になった。車を売った。ビデオカメラを売った。我が家の最初のシェパード、たまもここの広告でみつけた。ピアノ教えます、という広告を出したのもここだったな。
こう書きながら気がついた。いったい今でも同じような形態で存続しているのだろうか、インターネットの時代に。ヨーロッパの国々は、新しいものに飛びつくことはあまりないけれど、ドイツ人の友人でさえメールを送ってくる時代だからなあ。
あの分厚い広告版がもしなくなって(すっかりなくなることは当分ないにせよ)しまっていたら残念だ。僕は現在インターネットオークションを利用しているが、そういう形式では見つからないものだって多い。
まあ犬も売っているけれど、オークションなどで買わないほうがよい。恋人や結婚相手を見つけるのも不可能だろう。中にはそんな突拍子もないことをする人もいるだろうが。それでもノークレーム・ノーリターンで、と書いてあったらたじろぐだろう。(オークションのサイトを見たことがある人しか分からないでしょう。出品する際の常套句なのです)
友人が中古のスタインウェイを買ったころから、帰国する直前まで、本当によく見に行った。家内が中古のスタインウェイを買ったときは6台も売りに出ていた。楽器屋もあったが、個人が売りに出しているものがほとんどだった。ハンブルグの町中を丸一日かけて歩き回った。一時にこれだけまとめて見て、しかもよい楽器が2台あったのは幸いだった。
免許を取得してからは、行動範囲も広くなり、中古楽器を専門に扱っている業者の倉庫まで行ったりした。今はもう無いらしいが、ちょっと前まで日本の調律師たちもよく出入りしていたそうだ。そこ経由で日本へ入ってきたピアノも多いはずである。
昔は(戦前のこと。僕も知らない昔だ)たくさんのメーカーがあった。その中には、良いものをつくりながら、資本力の弱さゆえ撤退を余儀なくされたものも多くある。いつの世も、良いものが残るとは限らない。ピアノの世界もそうだ。そういうことを身をもって知ったのは、このような中古ピアノ巡りをしたおかげなのである。
美しい音色を持ったグランドピアノが、安物の電子ピアノより安く手に入ることもある。現在はもうとっくにつぶれたメーカーの場合、買い手がつかないから驚くほど安く売りに出すわけである。もっとも、買う目的で行くのではないから、よい楽器に巡り合っても、なにかを言い繕って辞さなければならないのが、正直者の僕にとってはちょいとした苦痛だった。楽器商より個人の出品が多く、そこでピアノの来歴などを聞くのも楽しかったな。
スタインウェイを売りに出している人を訪ねたら、ブリュートナーも持っていて、それが実によい。そんなこともあった。こちらは売らないよ、と言うが根拠は分からない。これは僕がみたブリュートナーのうちもっとも美しかった。グロトリアンの素晴らしいものもあった。
こんな調子で思い出すと、本当にたくさんのきれいな音に接したものだと改めて思う。「ドン・ジョヴァンニ」ではレポレロが、ドン・ジョヴァンニがものにした女性の名前一覧を、エルヴィラにみせて歌う「カタログの歌」というのがある。あんなふうに歌って紹介できないのが残念だ。
定評のある楽器も、中古となると選定が難しい。楽器自体は古い時代のほうがはるかに美しいのだが、全部がぜんぶよい状態とは限らない。それどころか、随分多くの楽器が、買える状態にないのである。
骨董は買わなければ分からないというのは本当だ。でも、買ったら分かるというのではないよ。楽器も同じである。買って、弾いて、長く付き合って分かる。次第に、だめな楽器なら、数音弾いただけでわかるようにはなる。これは、と思うものに出会ったら初めて、時間をかけて吟味するのだ。
友人が、同業者から「中古ピアノを選ぶコツを教えて」と頼まれたと憤慨していた。その気持ちは大変よく分かる。コツがあるのではない、耳があるかどうか、それだけなのだ。もうひとつ、ピアノを弾ける指を持っているかどうかだ。
自分が選べないのは、コツを知らないからだ、というのはまた、大した自信だ。買ってみたまえ、何百万円かをかけて、思い知ったほうがためになるかもしれない。そんな高慢な態度を改めて、素直に選んでもらえばよいのにね。
ドイツ時代の楽しみのひとつが、中古ピアノ巡りだった。
毎週末、ハンブルガー・アーベントブラットという新聞が、広告ばかりの紙面構成版を出すのだ。何でもある。車、あらゆる電化製品、不動産等の売買、賃貸住宅の貸し借り。ペットも、いや、それどころか恋人、結婚相手募集などまであった。
思い返せば僕も随分世話になった。車を売った。ビデオカメラを売った。我が家の最初のシェパード、たまもここの広告でみつけた。ピアノ教えます、という広告を出したのもここだったな。
こう書きながら気がついた。いったい今でも同じような形態で存続しているのだろうか、インターネットの時代に。ヨーロッパの国々は、新しいものに飛びつくことはあまりないけれど、ドイツ人の友人でさえメールを送ってくる時代だからなあ。
あの分厚い広告版がもしなくなって(すっかりなくなることは当分ないにせよ)しまっていたら残念だ。僕は現在インターネットオークションを利用しているが、そういう形式では見つからないものだって多い。
まあ犬も売っているけれど、オークションなどで買わないほうがよい。恋人や結婚相手を見つけるのも不可能だろう。中にはそんな突拍子もないことをする人もいるだろうが。それでもノークレーム・ノーリターンで、と書いてあったらたじろぐだろう。(オークションのサイトを見たことがある人しか分からないでしょう。出品する際の常套句なのです)
友人が中古のスタインウェイを買ったころから、帰国する直前まで、本当によく見に行った。家内が中古のスタインウェイを買ったときは6台も売りに出ていた。楽器屋もあったが、個人が売りに出しているものがほとんどだった。ハンブルグの町中を丸一日かけて歩き回った。一時にこれだけまとめて見て、しかもよい楽器が2台あったのは幸いだった。
免許を取得してからは、行動範囲も広くなり、中古楽器を専門に扱っている業者の倉庫まで行ったりした。今はもう無いらしいが、ちょっと前まで日本の調律師たちもよく出入りしていたそうだ。そこ経由で日本へ入ってきたピアノも多いはずである。
昔は(戦前のこと。僕も知らない昔だ)たくさんのメーカーがあった。その中には、良いものをつくりながら、資本力の弱さゆえ撤退を余儀なくされたものも多くある。いつの世も、良いものが残るとは限らない。ピアノの世界もそうだ。そういうことを身をもって知ったのは、このような中古ピアノ巡りをしたおかげなのである。
美しい音色を持ったグランドピアノが、安物の電子ピアノより安く手に入ることもある。現在はもうとっくにつぶれたメーカーの場合、買い手がつかないから驚くほど安く売りに出すわけである。もっとも、買う目的で行くのではないから、よい楽器に巡り合っても、なにかを言い繕って辞さなければならないのが、正直者の僕にとってはちょいとした苦痛だった。楽器商より個人の出品が多く、そこでピアノの来歴などを聞くのも楽しかったな。
スタインウェイを売りに出している人を訪ねたら、ブリュートナーも持っていて、それが実によい。そんなこともあった。こちらは売らないよ、と言うが根拠は分からない。これは僕がみたブリュートナーのうちもっとも美しかった。グロトリアンの素晴らしいものもあった。
こんな調子で思い出すと、本当にたくさんのきれいな音に接したものだと改めて思う。「ドン・ジョヴァンニ」ではレポレロが、ドン・ジョヴァンニがものにした女性の名前一覧を、エルヴィラにみせて歌う「カタログの歌」というのがある。あんなふうに歌って紹介できないのが残念だ。
定評のある楽器も、中古となると選定が難しい。楽器自体は古い時代のほうがはるかに美しいのだが、全部がぜんぶよい状態とは限らない。それどころか、随分多くの楽器が、買える状態にないのである。
骨董は買わなければ分からないというのは本当だ。でも、買ったら分かるというのではないよ。楽器も同じである。買って、弾いて、長く付き合って分かる。次第に、だめな楽器なら、数音弾いただけでわかるようにはなる。これは、と思うものに出会ったら初めて、時間をかけて吟味するのだ。
友人が、同業者から「中古ピアノを選ぶコツを教えて」と頼まれたと憤慨していた。その気持ちは大変よく分かる。コツがあるのではない、耳があるかどうか、それだけなのだ。もうひとつ、ピアノを弾ける指を持っているかどうかだ。
自分が選べないのは、コツを知らないからだ、というのはまた、大した自信だ。買ってみたまえ、何百万円かをかけて、思い知ったほうがためになるかもしれない。そんな高慢な態度を改めて、素直に選んでもらえばよいのにね。
専門家を探して、ピアノの状態をよく調べてもらいましょう。定期的に弾かれるよう、コンサートみたいなものを企画できたらいいな、と思っています。
君は弦の錆を気にしているようだが、これはそんなに気を揉む必要はない。僕のところにあるベヒシュタインのコンサートグランドは100年以上経っているし、弦も錆だらけだ。技術者は音が悪くなると言い、理屈ではその通りだが、実際は誰もが驚く音だ。しかし、都心に古いブリュートナーがあったとは。日本にも、昔の学校等にまだ残っているのは知っていたが。ピアノにとって、過乾燥が一番悪い。40%を切ったらいけない。もし良い楽器だったら、演奏されることが一番のメンテナンスだが、乱暴に弾かれるといっぺんに駄目になるのが厄介だ。修理の部品の心配は多分要らないだろう。それより、腕の立つ技術者を見つけられるかだと思う。それ以前に、手入れが必要かどうか。ピアノという楽器は、戦前が最も質が高かったので、そのままの方が良い場合も多い。
だが修理できるのか。古い楽器の部品はあるだろうか。現代の部品で修理すると、直ったとしても、楽器として違ってしまうのではないか。戦前のブリュートナーの音はもう出せないだろう。
どうしたものか。途方に暮れています。
東京は新宿区に四谷第四小学校という百年続いた学校があったが、児童数減少で昨年ついに閉校した。その校舎は改修されて、今、地域住民のための「四谷ひろば」として蘇り、様々の団体や個人が講堂で卓球、グラウンドでテニスをしたり、教室でパソコン、バレー、語学を学習したり、種々の会合を開いている。(私は一応住民のひとりとして、ボランティア的に四谷ひろばに関わっています。)この校舎三階の一角にメモリアルルームがあり、学校の歴史を語る品々が展示されているが、ここにブリュートナーが一台ある。一週間ほど前メモリアルルームに入って、蓋を開け読みにくかったロゴを確かめた。
貴重なピアノとして大切にされている。
おそらく戦前の製作だろう。この校舎は昭和十年くらいに建てられた。しかもドイツ様式だと言う。実際 Rampe があって、それを卒業生や学校を知る人たちは「ランプ坂」と呼んで親しんでいる。校舎は戦争で焼けなかった。旧職員室にも grandfather clock があって、こちらも一世紀以上前のドイツ製だそうだ。
ピアノの音は、このピアノを調べに来た人だろうか、ちょっと弾くのを立ち聞いたことがあるが、美しいを感じた。でも重松君のようにいろんなピアノを聞いているわけではないので、その響きがどの程度価値のあるものなのか、私には判断できない。
問題はピアノの現状である。メンテナンスがされていない。
弦に錆があるとのこと。だから弦が切れては困る、あまり弾かせられない。とはいえ、このまま何もしないで放っておくと