季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

刑務所

2008年07月08日 | 
まだ刑務所には入ったことがない。

入ったら静かな時間が持てるような気がしないではないが、どうやらきびしい資格が要るようだ。僕は今のところ資格を持っていない。第一、考えているような静かな環境なのか、そこがちょっと気にかかる。

アメリカの刑務所、といっても以前テレビで見た所だけかもしれないが、これは塀と看守さえ除けば、ヴィラ・なんとか、といった風情であった。あやうく憧れを持ちかけたほどだ。

これがなんと、凶悪犯専用の刑務所なのであった。なるほど、住人はたしかに、ここに入る資格は充分にある、と納得できるご面相なのだ。資格を取るには、ちょっとくらいの修行では足りない、と感じさせるものがある。

ここの服役囚の矯正に、シェパードが使われているのだ。といっても、悪いことをしたら尻を噛むとか、見張っていて怪しげな動作をしたら吠えるとかではない。

意外なことに、囚人は全員が一頭ずつシェパードを与えられて、各人がこの子たちを訓練するのだ。かなり本格的な訓練を入れるのである。囚人が警察犬を育てる、というのが笑える。このコンセプトは、まさかそういった洒落から出ているのではあるまいが。

しかし、囚人たちは大真面目にその訓練に取り組んでいる様子である。彼らは一日中自分のシェパードと寝起きを共にする。その様子だけを見ていると、刑務所、悪くないではないか、とふたたび憧れの念が生じてしまいそうだ。

刑務所犬たちは、自分の主人が極悪人だとも知らず(たぶんね。人間だけが智を持っているというのはもしかすると勝手な思い込みかもしれない。ホラホラ、またヘソクリなんかしちゃってさ、とかすべてを知っていたらどうしますか)服従して、訓練が終わると、日がな一日ご主人の横で、無邪気に甘えたり、居眠りしたりしている。

いいねえ。犬を伴侶にし始めた大昔の人は偉かった。やはり昔の犬も、こうやって全幅の信頼を人間に寄せていたのだろうか。

泣く子も黙るどころか、何人も人を殺したような男たちが、自分の犬相手には、あきらかに打って変わった、人間的な表情を見せて、愛しそうに撫でたりしている。人の心のどこにそうした情緒が隠れているのか知らないけれど、そんなことを詮索するよりも、ここはひとつ、それを囚人の更生に使ったアイデアをほめたい。

もっとも、テレビで紹介されていたのは終身刑の囚人だったような気もする。そうなると、更生目的というのは意味をなさないね。まあ、細かいことは抜きさ。

日本の刑務所のように、色々な作業をさせて、ちょっとした品物を作って売るのも悪くないが、こんな面白いアイデアを出せないものだろうか。

なにもオリジナルであることにこだわることもあるまい。アメリカの刑務所のやりかたを、そっくりそのままいただけばよいではないか。

日本では盲導犬も、災害救助犬も、麻薬犬も払底しているではないか。その理由は、おそらく訓練士の不足および予算の不足だろう。

その点、刑務所を使えば、コストもかからない。ノウハウが無ければ訓練できない、それに素人がそんな専門的なことをできるだろうか、モチベーションだって高いとは思えない。そう疑問を呈するする人もあろう。

心配は要らない。アメリカの囚人たちは、皆本気でやっていた。自分の犬が試験に合格するだろうかと、緊張している様子はウソではないと思う。モチベーションは不足しないさ。人間は、何かしら課題がないと不幸になる動物らしい。6億円のtotoが当たっても、それを元手に事業を始めてスッカラカンになる人が出るほどだもの。僕も当たったって音楽をやめないぞ、教えるのもやめないぞ。

素人には無理だというのならば、訓練士を派遣すればよい。その気になれば、方法はいくらでもある。

そういえば、囚人の更生に音楽をさせても良いかもしれない。練習時間がたっぷりあって、上手になるかもね。その時は教えに行っても良いな。すばらしいピアニストが出現したりしてね。

懸念はただひとつ。評論家や雑誌屋が「更生した人の美しい魂」だとか「渦巻く悪の情念」だとかレッテルを貼ることが必定だ。これは避けられまいなあ。


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