季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

出まかせ

2009年02月18日 | 音楽
音楽関係の文章があまりにもお粗末なのはもう半ば諦めているけれど、次のようなものはいかがであろう。

ラン・ランが、音楽をじっくり弾いているのでなく、その技を展示したCDなのだ。

休まずに聴いてびっくり仰天するのが、正しい聴き方というもの。ピアノ音楽って、一体何なのだろう?と考えるのは、その後だ。考えたくなければ、スポーツ観戦に負けない、すっきり感を、心ゆくまで味わえばいい。


以上は、楽器店に置いてある小冊子の中のCD紹介コーナーにある紹介文だ。こんな文を書く奴が同じページでリヒャルト・シュトラウスのCDなどを紹介している。これをまともに信じていく人もいるからしょうね、謝礼を払って書いてもらうからには。

技を展示だって?この青年が何の技を持っているのか僕は分からない。ピアノを弾く技ではないことくらいしか分からない。CDで上手投げでも分かるのか。飛び膝けりの音でも入っているのか。

僕はCDを聴いてビックリすることは無いと確信しているが、この文章を読んでびっくりするね。

しかもそれを掲載する冊子があり、それをまた読んで何の感想も持たずにいられる人が大勢いるらしいことに又びっくりだね。

ランランという少年が数年前日本のある胡散臭いコンクールに出て、テレビでも彼を含むエントリーした子たちの記録を流していた。たしか同じ人物だろう。家が貧しかったかなにかで、紙鍵盤を使って練習している、そんな紹介ではなかったかなあ。

胡散臭いコンクールと書いたが、それはこのコンクールを特定しているわけではないよ、だいいちどのコンクールだか覚えていないのだもの。コンクールは何処も多かれ少なかれ胡散臭いものだ。横道にそれるが書いておこう。

受ける人は(僕の生徒だって受ける)練習は真面目にしたほうがよいに決まっているけれど、演奏もきちんと弾くように務めるべきではあるけれど、結果に過剰に反応することはやめたほうがよい。

さて話題を戻すが、僕ははじめて幼い?ランランを見たとき「こんな子はコンクールなぞに受かるとモンスターのようになるから受からせてはいけない」と言った。

結果は(どうやら)彼が優勝して、立派なモンスターに成長した。こんなことが的中しても自慢にもならない。ロトでも買った方が気が利いているなあ。

彼が紙鍵盤を弾く演奏会があったらその時は行ってもよい。音が出るときだけは願い下げだ。

ランランのせいではない。彼は評価されるからそんなものだと思っているだけだ。上述のごとき心ない、責任はもっとない評家たちが群がっている様は異様だと思う。

こんな評を書かれて平然とできるものだろうか?大人だなあ。読む人のすべてとはいわないが、かなりの数の人がほとんど何の関心も示さず、つまり文のでまかせさ加減に怒り心頭に発することもなく日常生活にいそしむのか。それはそれで恐ろしいことではないか。



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