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 季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

サッカーを見て

2009年02月21日 | スポーツ
サッカーの番組を見ていて感じたことを。サッカーのバラエティー番組だが。

現在ドイツリーグで活躍する長谷部という選手がいる。ちょっとサッカーに関心のある人ならば知っている人気選手だ。

あるバラエティー番組に登場して司会者と歓談するコーナーを見ていたとき、長谷部選手の発言で、やはり日本のチームは強くなりきれぬはずだと改めて思った。

彼がある試合中、味方の年上の選手に「パスを出すのが遅いんだよ」と怒ったところ、年長の選手がマジで(ここは長谷部選手の言ったとおりに伝えておく)「その言葉づかいはなんだ!」と切れたというのだ。

長幼の序だかなんだか知らないが、じつに詰まらぬことである。

なにかい、試合中に「あのー、パスがすこーし遅いと思うんですけど、せんぱーい」とでも言えというのかい?

フィールドに入ったら歳もなにもない、正確なプレーと正確な指示、批判があるばかりだ。フィールドでは皆が対等だ。こんな当たり前のことが通用しない。

金田さんという解説者がいる。なかなかはっきりものを言う男である。というか感情を露わにしてしまうタイプだ。そんな彼が他の番組でだが、岡田代表監督と対談していた。現役時代、岡田監督が先輩にあたる。

金田さんは直前の代表チームの情けない敗戦に明らかに苛ついていた。それでも具体的に戦術を批判することもなく、ただ「岡田さん、大丈夫なんですよね?」と繰り返し訊ねるだけに終始した。

こうしたことが改まらない限り、日本チームは時々の浮き沈みはあっても強くはならないと思った。

と書くと年配の男性から嫌な顔をされると思う。しかしフィールド内では平等であるばかりではない。社会に出れば当然なことではないか。

年長者を敬えということは年長者が「要求」するべきことではあるまい。洋の東西を問わず、年少者は何らかの肯定的な感情を以って年長者に接しているものだ。

僕だって碌でもない奴には年長もへったくれもない、と痛罵しているが、ふつうに接しているときは一種の畏敬のまなざしを以って接している。

しかし普段の生活ではたとえバイトの若い女の子に対してでも対等に接するのが礼儀というものだろう。

店の若いアルバイト店員と思しき子に「オイ、これはいくらなんだね?」といった調子でものを言うおじさんやおばさんを見かけるけれど、あれはよくないね。これでは若い人に礼儀云々言う資格なぞあったものではない。

そもそも政治家が新聞記者たちに「君はなんだね、あーん?自分の質問の意味分かっているのかね?」とか言っていますね。言われるほうも言われるほうなのだが。それはさておいて、これだって不愉快なことだ。

普通の人同士の会話が成り立たない。これはどうしたことなのか。

以前、イギリスの番組でブレア前首相が、イラクへの派兵の是非をめぐって一般国民と公開討論をしていた。その是非はさておいて、僕はじつに羨ましく思った。ブレアは必死に派兵の重要性を訴え、国民は(本当は個人だけどね、国民という多数の意味ではないよ)それに同調する者、異を唱えるもの様々だった。

僕は英語が苦手なのは、自慢ではないがひとかどのものだ。それでもブレアが「君、反対というが、現地の政治状況を正確に知っているのかね、あーん?」「そりゃ君のような気楽な素人の言うことだ、もっと勉強したらどうかね」なんて調子で喋っていないくらいは分かった。犬だって怒られているか褒められているか、分かるんだ。つまり僕は犬と同じくらいには賢いのさ。

日本ではそのような当たり前のことすらついにあり得ないまま21世紀も10年近く経つ。

サッカーは複雑なチームプレー故に、世相をよく反映する。


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1 コメント

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長幼の序 (伊藤治雄)
2009-02-21 20:50:57
サッカーのような、ボールを追って広いフィールドを絶えず動き回るゲームでは、選手同士声をかけあうことは必要ですからね。言葉使いなんて気にしていたらチームプレイがうまういくはずがない。
 しかし日本語には敬語というものがある。学校の部活でも、相手が先輩か後輩か同輩かで、話し方が違ってくるでしょ。
 敬語は、上下の別や礼節を示すことで、組織をまとめるのに役立っている。しかし、このような上下関係と、試合をする選手たちの対等な関係とは、確かに相容れないところがある。
 先輩に対しては卑屈で、後輩に対しては居丈高になる奴は、いろんな所にいるようだが、敬語がそうした人格を、作り上げるとは言わぬまでも、支えている面はあるのかもしれない。
 「21世紀も10年近く…」そうなのだ。敬語をなくせとは言わない。が、年上とか年下とかはどうでもいいこと。年上だから偉いということは全くない。相手は常に自分と対等と考えて話すべきなのだ。敬語という型を離れて、素直に自分の思いを発言する工夫も必要だろう。我々の言語生活はもっと改善されるはずです。
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