
我が家を(あくまでドイツでの話しだということをお忘れなく!うっかり素晴らしい、田園調布の一等地に住んでいるのか、と思われても困る)取り巻く環境は、長々と書いた。
ようやく犬の話になる。犬を愛する人にとって、その散歩する環境を語ることは、なによりよい説明になるので書いた。
そもそも何を書こうと思ったのか?そうそう、シェパードの襲撃訓練について書こうと思っていたのだった。
たまが我が家に来て数週間経ったころ、ハンブルク中央からの帰路、町に入るところに林があり、そこに「シェパード犬協会」の看板があるのに気づいた。
この道はそれこそ毎日のように通るのだ、それでもシェパードを飼うまではまったく目に入らなかったと見える。画家がただただ対象を見ろ、というはずである。
シェパードの並外れた賢さに気づいて、気持ちも高揚していたせいだろうか、看板が目に入ったときには、それに従って林の間の道に入ってしまった。
少し奥まったところに、大きな掘っ立て小屋と広大な広場がある。広大といっても、今回の文章では日本基準で考えてください。そう、郊外の小学校の校庭くらいかな。もう少し広かったか。粗末だが芝生が張ってあった。
あとで聞いた話では、この施設はドイツ・シェパード協会のもので、誰でも無料で出入りできるらしかった。維持費はどうしていたのか、そういう自分に関心のない話題は、もしかしたら教えてくれたのかもしれないが、まったくわからないままである。今となってははっきり知って、日本の訓練関係のシステムと対照できたらよかった、と残念に思う。
その施設に訓練士とおぼしき人が数人いて、10頭あまりのシェパードが集まり、訓練をするのである。訓練は飼い主がじぶんひとりでする。訓練士はただ見ていて、特別なアドヴァイスを与えるわけでもない。見よう見まねといったところだ。
若い女性もいれば、爺さんもいる。爺さんの飼っている雄のシェパードは甘えん坊で可愛かったなあ。名前は何といったかしらん。
必ずやるのは、一列に並んで広場を一周だか二周だかすること。Fuss!(つけ!)と一声掛けて自分の左側につかせる。他の犬といさかいを起こすこともなく、どの犬も模範的に歩いている。爺さんの甘えん坊でさえ、ピシッと歩いている。
子犬は我が家のたまだけだったから、最初はなかなかうまくできない。全員が黙々と歩いているところへ先頭にいる僕の「Fuss!Fuss!」と叫ぶ声だけが聞こえて、家内は笑いをこらえるのに骨を折ったという。
若い女性と彼女のシェパードが、訓練試験前の練習をしているのに出くわしたことがある。書いていると、いや書いていなくてもその時の光景は鮮やかに蘇る。こうした訓練になると、きちんとした指導のもとに行われる。
訓練士扮するところの暴漢が、彼女を襲うという想定だった。物陰から男が襲い掛かるやいなや、シェパードが猛烈な勢いで男に噛み付く。犬は左腕に噛み付くように躾けられているのだ。屈強なドイツ人が、分厚い防具を装着してはいるが、間近で見るととてつもない迫力だ。
暴漢から自由になった女性が「やめ」と一声叫ぶと、今まで喰らいついていた犬がパッと離れる。しかし目は暴漢(善良な訓練士を暴漢、暴漢と呼ぶのも気がひける。キレイだ、キレイだというと女性は美しくなるというでしょう、暴漢、暴漢と連呼したらあの訓練士が暴漢になりはしないだろうか、心配だ)から一瞬たりともはなさない。
暴漢が隙を見て再び襲い掛かろうとしてピクリと動く、そのとたん牙をむいて激しく吠え立てる。四肢を踏ん張り、尻尾は興奮の極を示す角度だ。まあ普通の暴漢ならそこでひるんでしまうだろう。だがこの暴漢は筋金入りの暴漢なのである。そこでひるむわけにはいかないのだ。吠え立てるのを無視して女性のほうに近づく。「かかれ」の号令と同時に犬は再び男の左腕に跳び掛る。見ているほうがわくわくする光景だった。他人の、しかも相手は犬なのに、感情移入してしまってね。
シェパード好きには堪えられない。勇敢さと従順さ。一度喰らいついたら、振り回されようが、叩かれようが、絶対に離れない。
誤解されないように言っておきたいが、犬はこの一連の訓練を遊びとして、嬉々とした態度でこなすのである。たまは並外れて遊び好きで従順なシェパードだった。訓練士がちょっと性格を試すために遊んでくれ「この子はすごい、素質がある。集中力も抜きん出ている」と嬉しそうに言った。
高次の訓練を入れるのは、決して人を襲ったりすることにはつながらない。ドイツのように飼い主と犬の共同作業にしていけば、飼い主の言いつけに絶対的に服従する素晴らしい犬に育つ。それは、これまでにも書いたように、犬の幸せでもあり、飼い主の幸せでもある。地位関係がはっきりして、自分の力に自信があると、犬はむしろ落ち着いて穏やかになる。
僕はたまをそこまで訓練する、正確に言えば自分を訓練する時間を見出せず、このドイツ・シェパード協会の施設からは次第に足が遠のいてしまった。それは今でも残念なのである。あそこでなら本格的に習うことができたなあと思う。もちろん、一人ででもできる。そうやっている人も知っている。でも、自然な態度でお互いに学び合う環境だけはない。
ここで躾けのこつを学んだことは、とても幸運だった。高次訓練こそしなかったが、たまは模範的な犬に育った。日本で知り合った、今では有名な訓練士のひとりに数えられている人が「たまちゃんは特別でした。自分は何百頭もシェパードを見てきたけれど、あの子は他のシェパードとはまったくちがった」と言っていたそうである。
僕はパソコン操作に不慣れである。試しに一枚、そのころのたまの写真を入れてみる。どこに配置したらよいのか、だいいち配置位置をどうやって決定するのかも分からないが。
ようやく犬の話になる。犬を愛する人にとって、その散歩する環境を語ることは、なによりよい説明になるので書いた。
そもそも何を書こうと思ったのか?そうそう、シェパードの襲撃訓練について書こうと思っていたのだった。
たまが我が家に来て数週間経ったころ、ハンブルク中央からの帰路、町に入るところに林があり、そこに「シェパード犬協会」の看板があるのに気づいた。
この道はそれこそ毎日のように通るのだ、それでもシェパードを飼うまではまったく目に入らなかったと見える。画家がただただ対象を見ろ、というはずである。
シェパードの並外れた賢さに気づいて、気持ちも高揚していたせいだろうか、看板が目に入ったときには、それに従って林の間の道に入ってしまった。
少し奥まったところに、大きな掘っ立て小屋と広大な広場がある。広大といっても、今回の文章では日本基準で考えてください。そう、郊外の小学校の校庭くらいかな。もう少し広かったか。粗末だが芝生が張ってあった。
あとで聞いた話では、この施設はドイツ・シェパード協会のもので、誰でも無料で出入りできるらしかった。維持費はどうしていたのか、そういう自分に関心のない話題は、もしかしたら教えてくれたのかもしれないが、まったくわからないままである。今となってははっきり知って、日本の訓練関係のシステムと対照できたらよかった、と残念に思う。
その施設に訓練士とおぼしき人が数人いて、10頭あまりのシェパードが集まり、訓練をするのである。訓練は飼い主がじぶんひとりでする。訓練士はただ見ていて、特別なアドヴァイスを与えるわけでもない。見よう見まねといったところだ。
若い女性もいれば、爺さんもいる。爺さんの飼っている雄のシェパードは甘えん坊で可愛かったなあ。名前は何といったかしらん。
必ずやるのは、一列に並んで広場を一周だか二周だかすること。Fuss!(つけ!)と一声掛けて自分の左側につかせる。他の犬といさかいを起こすこともなく、どの犬も模範的に歩いている。爺さんの甘えん坊でさえ、ピシッと歩いている。
子犬は我が家のたまだけだったから、最初はなかなかうまくできない。全員が黙々と歩いているところへ先頭にいる僕の「Fuss!Fuss!」と叫ぶ声だけが聞こえて、家内は笑いをこらえるのに骨を折ったという。
若い女性と彼女のシェパードが、訓練試験前の練習をしているのに出くわしたことがある。書いていると、いや書いていなくてもその時の光景は鮮やかに蘇る。こうした訓練になると、きちんとした指導のもとに行われる。
訓練士扮するところの暴漢が、彼女を襲うという想定だった。物陰から男が襲い掛かるやいなや、シェパードが猛烈な勢いで男に噛み付く。犬は左腕に噛み付くように躾けられているのだ。屈強なドイツ人が、分厚い防具を装着してはいるが、間近で見るととてつもない迫力だ。
暴漢から自由になった女性が「やめ」と一声叫ぶと、今まで喰らいついていた犬がパッと離れる。しかし目は暴漢(善良な訓練士を暴漢、暴漢と呼ぶのも気がひける。キレイだ、キレイだというと女性は美しくなるというでしょう、暴漢、暴漢と連呼したらあの訓練士が暴漢になりはしないだろうか、心配だ)から一瞬たりともはなさない。
暴漢が隙を見て再び襲い掛かろうとしてピクリと動く、そのとたん牙をむいて激しく吠え立てる。四肢を踏ん張り、尻尾は興奮の極を示す角度だ。まあ普通の暴漢ならそこでひるんでしまうだろう。だがこの暴漢は筋金入りの暴漢なのである。そこでひるむわけにはいかないのだ。吠え立てるのを無視して女性のほうに近づく。「かかれ」の号令と同時に犬は再び男の左腕に跳び掛る。見ているほうがわくわくする光景だった。他人の、しかも相手は犬なのに、感情移入してしまってね。
シェパード好きには堪えられない。勇敢さと従順さ。一度喰らいついたら、振り回されようが、叩かれようが、絶対に離れない。
誤解されないように言っておきたいが、犬はこの一連の訓練を遊びとして、嬉々とした態度でこなすのである。たまは並外れて遊び好きで従順なシェパードだった。訓練士がちょっと性格を試すために遊んでくれ「この子はすごい、素質がある。集中力も抜きん出ている」と嬉しそうに言った。
高次の訓練を入れるのは、決して人を襲ったりすることにはつながらない。ドイツのように飼い主と犬の共同作業にしていけば、飼い主の言いつけに絶対的に服従する素晴らしい犬に育つ。それは、これまでにも書いたように、犬の幸せでもあり、飼い主の幸せでもある。地位関係がはっきりして、自分の力に自信があると、犬はむしろ落ち着いて穏やかになる。
僕はたまをそこまで訓練する、正確に言えば自分を訓練する時間を見出せず、このドイツ・シェパード協会の施設からは次第に足が遠のいてしまった。それは今でも残念なのである。あそこでなら本格的に習うことができたなあと思う。もちろん、一人ででもできる。そうやっている人も知っている。でも、自然な態度でお互いに学び合う環境だけはない。
ここで躾けのこつを学んだことは、とても幸運だった。高次訓練こそしなかったが、たまは模範的な犬に育った。日本で知り合った、今では有名な訓練士のひとりに数えられている人が「たまちゃんは特別でした。自分は何百頭もシェパードを見てきたけれど、あの子は他のシェパードとはまったくちがった」と言っていたそうである。
僕はパソコン操作に不慣れである。試しに一枚、そのころのたまの写真を入れてみる。どこに配置したらよいのか、だいいち配置位置をどうやって決定するのかも分からないが。
ぼくもお母さんの足元をじょうずについて歩く練習を
しています。時々競技会の広い原っぱにやってくると
ぼくの心は、ルンルン、ワクワク、はちきれてしまうんです!!
でもー、お母さんの目は、、三角だよ!!
伏せ!とか、立って!とか言ってるけど、、、、、
ヤッターーーー 脱走成功!!
僕は、2度もやってしまったよ。たまちゃんは、そんな失敗をしたこともないんでしょうね。
もっともっとお話楽しみに待ってます。