犬学 4
2009年06月02日 | 犬
現在我が家にいるのはミケ(ランジェロ)の娘アイ(ンシュタイン)である。アインシュタインは馬鹿だねえと言いたい一心で付けた名前である。ただしアイちゃんアイちゃんと呼ばれているため、本名を呼ばれてもまったく反応しないところはたまやミケと同様である。
この子は3頭生まれたうちの2頭が死産だったので、一人っ子である。生まれたときから、おっぱいの奪い合いをはじめ、あらゆる争いごとを経験したことがない。その上8歳まで母親と一緒に暮らしたのであるから、シェパードとしては珍しい経歴?の持ち主だろう。
この子を見て、いろいろ犬の社会が分かった。そのうちに犬の社会学で博士にでもなろうかと思っている。
アイは小さいときから怖いもの知らずであった。どんな獰猛な犬にあっても平然としていた。まだ成犬になる前のこと、河川敷でやはりシェパードを2頭連れた家族に出会った。
これは見るからに躾を誤ったシェパードで、悪いことにその危険さがシェパードらしいと飼い主が思い込んでいる様子であった。これがいちばん手におえない。(じっさい何年か経って、どちらかは分からないが他の犬を咬んでしまい、飼い続けることができなくなり手放したときいた)
ところがアイは1歳にも満たぬころ、ひょこひょこ近寄っていったと思ったら、より獰猛なほうに「ヨッ」といった感じで頭に手をかけた。驚いたね。むこうのシェパードも何だかあっけにとられたような按配であった。僕の脇ではミケが用心深く様子をうかがい、緊張が高まっていたので、一連の出来事の結末はスローモーションの中で行われたようで、僕も呆気にとられてぼんやり見ていただけのような気がする。
一時が万事そんな調子。だから他の犬と揉め事になることも無く、第一犬の影を見ても眼中にない、そんなひょうひょうとした性格だった。
ミケが死んでしまった後しばらく経ったころ、どうも様子が変だと気づいた。子犬が寄ってきてじゃれる。するとどう振舞ってよいか分からない、といった様子で逃げ回る。
今までだって色々な子犬が寄ってきたが、そういえばミケが子犬の扱いが大変上手で、また大好きで、相手をしていたのはミケだったことを思い出した。
羊飼いの犬が先輩犬の仕事振りを見て学習するらしいとちょっと前に書いた。アイがただ見て覚えたのはボール探しくらいだ。
公園のつつじの植え込みの中には野球ボールがどっさりある。一度入ってしまったら探し出すのはまず不可能に近い。
我が家のシェパードたちは代々ボール遊びが上手で、ということはボール探しが上手なのだ。あっという間に手に入れる。あやかりたいくらいだ。ピアノを弾くことが上手であっという間にピアノが手に入る。こんな風に展開したら生徒たちも喜ぶだろう。
アイは子犬を扱うミケを見て(羊飼いの犬のように学習して)いたのではなくて、自分が子犬だったのだとようやく合点がいった。いくつになっても保護される、かまってもらう存在。寄って来る子犬もアイにしてみれば、ミケとじゃれている存在で、いわば自分にとっては同格で、一緒になって遊んだり甘えたりする仲間なのだ。
これは面白い発見だった。そういえば我が家にいるウサギとシェパードの関係でも思い当たる。
ミケもアイも他の生き物を襲う心配はまったくない。それでもウサギはゲージに入れて飼うのは、ミケが毛づくろいをしてウサギを舐めすぎて、ウサギの皮膚は弱く、皮膚が炎症を起こす恐れがあったからだ。
大型犬が自分よりはるかに小さな生き物を見下ろす角度は実に微笑ましい。たま、ミケとも何というかなあ、慈愛とでも言っておこうか、そんな眼差しで見下ろしていたものだ。
アイも同じ角度で見下ろすよ。でも、体全体からは「遊べる?」というオーラが発散していて、ウサギが跳ねたら一緒に跳びまわりそうだ。ちょっとでも前足が触れたら大事になる。嬉しくて振る尻尾でも当たったらこわい。
ここでその首の角度が写っている写真を載せようと試みたが「サイズオーバーでできません」と相成る。今の僕の知識では、どうやればサイズダウンできるのか分からない。友人も己のサイズダウンに苦労しているようでご同慶である。こちらは知識の問題ではなく意志の問題らしいが。
近いうちにマスターして貼り付けます。乞うご期待。
この子は3頭生まれたうちの2頭が死産だったので、一人っ子である。生まれたときから、おっぱいの奪い合いをはじめ、あらゆる争いごとを経験したことがない。その上8歳まで母親と一緒に暮らしたのであるから、シェパードとしては珍しい経歴?の持ち主だろう。
この子を見て、いろいろ犬の社会が分かった。そのうちに犬の社会学で博士にでもなろうかと思っている。
アイは小さいときから怖いもの知らずであった。どんな獰猛な犬にあっても平然としていた。まだ成犬になる前のこと、河川敷でやはりシェパードを2頭連れた家族に出会った。
これは見るからに躾を誤ったシェパードで、悪いことにその危険さがシェパードらしいと飼い主が思い込んでいる様子であった。これがいちばん手におえない。(じっさい何年か経って、どちらかは分からないが他の犬を咬んでしまい、飼い続けることができなくなり手放したときいた)
ところがアイは1歳にも満たぬころ、ひょこひょこ近寄っていったと思ったら、より獰猛なほうに「ヨッ」といった感じで頭に手をかけた。驚いたね。むこうのシェパードも何だかあっけにとられたような按配であった。僕の脇ではミケが用心深く様子をうかがい、緊張が高まっていたので、一連の出来事の結末はスローモーションの中で行われたようで、僕も呆気にとられてぼんやり見ていただけのような気がする。
一時が万事そんな調子。だから他の犬と揉め事になることも無く、第一犬の影を見ても眼中にない、そんなひょうひょうとした性格だった。
ミケが死んでしまった後しばらく経ったころ、どうも様子が変だと気づいた。子犬が寄ってきてじゃれる。するとどう振舞ってよいか分からない、といった様子で逃げ回る。
今までだって色々な子犬が寄ってきたが、そういえばミケが子犬の扱いが大変上手で、また大好きで、相手をしていたのはミケだったことを思い出した。
羊飼いの犬が先輩犬の仕事振りを見て学習するらしいとちょっと前に書いた。アイがただ見て覚えたのはボール探しくらいだ。
公園のつつじの植え込みの中には野球ボールがどっさりある。一度入ってしまったら探し出すのはまず不可能に近い。
我が家のシェパードたちは代々ボール遊びが上手で、ということはボール探しが上手なのだ。あっという間に手に入れる。あやかりたいくらいだ。ピアノを弾くことが上手であっという間にピアノが手に入る。こんな風に展開したら生徒たちも喜ぶだろう。
アイは子犬を扱うミケを見て(羊飼いの犬のように学習して)いたのではなくて、自分が子犬だったのだとようやく合点がいった。いくつになっても保護される、かまってもらう存在。寄って来る子犬もアイにしてみれば、ミケとじゃれている存在で、いわば自分にとっては同格で、一緒になって遊んだり甘えたりする仲間なのだ。
これは面白い発見だった。そういえば我が家にいるウサギとシェパードの関係でも思い当たる。
ミケもアイも他の生き物を襲う心配はまったくない。それでもウサギはゲージに入れて飼うのは、ミケが毛づくろいをしてウサギを舐めすぎて、ウサギの皮膚は弱く、皮膚が炎症を起こす恐れがあったからだ。
大型犬が自分よりはるかに小さな生き物を見下ろす角度は実に微笑ましい。たま、ミケとも何というかなあ、慈愛とでも言っておこうか、そんな眼差しで見下ろしていたものだ。
アイも同じ角度で見下ろすよ。でも、体全体からは「遊べる?」というオーラが発散していて、ウサギが跳ねたら一緒に跳びまわりそうだ。ちょっとでも前足が触れたら大事になる。嬉しくて振る尻尾でも当たったらこわい。
ここでその首の角度が写っている写真を載せようと試みたが「サイズオーバーでできません」と相成る。今の僕の知識では、どうやればサイズダウンできるのか分からない。友人も己のサイズダウンに苦労しているようでご同慶である。こちらは知識の問題ではなく意志の問題らしいが。
近いうちにマスターして貼り付けます。乞うご期待。
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