季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

3月の講座

2016年03月04日 | 音楽
3月27日(日)14:30開講
KMアートホール(京王新線・幡ヶ谷)


今回取り上げるのはリストの編曲したワーグナーの諸作品の中で「イゾルデの愛の死」です。

僕はリストの編曲に関心を持って接したことが無い。名高い「リゴレットパラフレーズ」も何とも退屈だし、人気がある「献呈」にしてもシューマンは顔を背けたであろうという出来だ。

すべてはリストの善意から出たものだろう。諸君!ここに素晴らしい作品がある。私がそれを紹介しよう、聴いてくれ給え。
そんな声まで聞こえそうだ。

リストという男は、善意ほど人を傷つけるものはないということを嫌というほど感じさせる人だ。

ブルックナーの弟子たちを見てもそうだ。彼に改作を勧め、気の弱いブルックナーはそれを受け容れて、それなのに遺言が「自分の曲は元どおりの姿で演奏して貰いたい」哀しすぎる。

しかしリスト=ワーグナーは善意と恩着せがましいところは非常に少ない。

この曲は最近では取り上げられる機会が増えたのでしょうか、youtubeでも幾つも見かけるようになりました。

いわゆる指さばきが難しくないからでしょう。しかしもっと他の事柄、ポリフォニーの処理、ハーモニーを美しく作る能力など、技術的、音楽的課題はどっさりある、練習して面白い曲だという風に受け止められてはいないようです。

第一、ワーグナーの曲を聴いてはいるでしょうが、それはこの曲を「料理」するためであって、深い愛着をもって聴いてはいなさそうだと聴こえる。

そんなことをひとつレッスンしてみたいと思いました。

ラ・カンパネラは説明を要しないですが、これも僕は気持が動くことが少ない。でも大層人気があり、といってここでの技術的課題が他の作品にどう生かされているのかも曖昧です。練習曲というからには、リストといえども何かの意図を持っていたはずでしょう。

その点にも言及します。

はじめに四年生の女の子が無言歌を二曲弾きます。モーツアルトやハイドンをとても上手に弾き、初めてロマンティックな曲への入口に立っています。

そんな生徒に無言歌などは最適です。残念なことに昨今ではほとんど真面目に受け取られていないのですが。

化粧を施して一見豊かな表現だと騙すのは簡単ですが、それをすればするほど表現から遠ざかる。これも現代では理解すら難しくなってしまったのでしょうか。

同じ年頃のお子さん、生徒さんをお持ちの方も是非足を運んで下さい。

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