
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面(ぢべた)もみえないで。
なんという繊細な感性でしょう。見えないものを見る金子みすゞの感性に痺れます。自然に愛情を寄せる彼女の優しさを私たちは少しだけでも持ちたいものです。
【金子みすゞ記念館ホームページより】
『赤い鳥』・『金の船』・『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期、そのなかで彗星のごとく現れ ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル )は 明治36年山口県大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは 『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなどめざましい活躍をみせていきました。ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気・離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年、長い年月埋もれていたみすゞの作品は 児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。天才童謡詩人「金子みすゞ」自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(写真提供:金子みすゞ著作権保存会)